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我が家の先月の電気代。婆ちゃん、相方、私、三人家族ひとつ屋根。


今年の六ヶ月分明細で最高\3,657円、最低\2,487円、月平均\3,150円。

あなたの家の電気代をご存じですか。知らない方は良い機会ですから見てください。聞いては駄目ですよ。聞かれた方が曖昧かもしれませんからご自身で見てください。

私の家より少ない方が単身者でもおられるでしょうか。多くても少なくても実際金額が知りたいです。掲載しませんからメールくださると嬉しいです。
読者から関西は電気の単価が安いのかという指摘があったが写真は前年同月消費電力値。

私の前年電気代と連続で比べると半分以下に減っている。減らせたということです。減らす前がメールをいただいた方々の電気代よりかなり少なく。減らしたあとの月額は個別で2割から4割、一人当たりだと7千円と千円の差です。

ともすれば行動を敬遠しがちな話題ですが一年で地球一周旅行の費用に届かなくとも継続ですから何年かで捻出できます。どのようにして減らしたかは長くなるので後ほどにします。

メールで詳しく情報をくださった方々にお礼申し上げます。そのメールが役立つように記事内容でお応えさせてください。ありがとうございました。
消費電力削減の第一歩は現状をしっかりと把握することから始めました。特別な電力計などなくとも家庭の電力計で充分。

まず電気機器をすべてリストアップ。全ての機器をOFFにして電力計の前に行く。回転板が完全に停止していることを確認。この時点で回転していたら何が動 いているかを突き止める。リスト漏れが多いが意外とOFFでもコンセントに入った状態で待機電流が流れている。その機器はコンセントから抜く。

機器のひとつだけONにする。メモと時計を持って電力計の前に行き1回転の所要時間をメモする。全ての機器をひとつずつ計測してメモする。機器ごとに一日の使う時間を書き込む。機器毎に一年の回転数を計算する。

例えば外灯が1回転するのに60秒だとして一日に12時間点灯すると12時間は43,200秒だからそれを60秒で割ると一日に720回転。一年で262,800回転する。

このリストで全ての機器の回転数を比べると自分の感覚と実態の相違に驚くはずです。思わぬ機器が多大な電力を消費していることが分かります。
この回転数の総計を三割減らせば電気料金が三割減ります。

このリストが完成したら節減は半分成功したも同然。大切なことは現実を正確に直視することです。

さぁ、一週間先に続きを書きますが、それまでにリストしましょう。1時間でできますから。
電力計の回転数を減らすのにリストに穴が開くほど見てみよう。いくつか方法があるが今日はいちばん効果のある方法。機器を使わない。リストの中に必ず使わなくてよいものがいくつかあります。

私が使わなくなった機器は門灯と玄関外灯、それに庭の照明。夜間の来客時に表札が見えなくなる意外に弊害はない。外灯くらいで泥棒よけにはなっていない。庭の照明は装飾だから庭で遊ぶときだけ点灯すればよい。

この夜間照明が時間が長いからけっこう電力を食っています。リストに「使わない」で済む機器が必ずあります。その回転数はまるまる減ります。
電気機器の使い方。

冷蔵庫で製氷をやめた。氷がなくとも不自由でないから製氷スイッチを切った。冷蔵室ごとの温度設定をいちばん高い温度に設定した。それで充分冷蔵できる。

冷蔵庫に入れないものを増やした。漬物は家で漬けるが床下収納が部屋温度より三度低いのでそこにぬか床を置く。根菜は屋外の涼しい所に専用庫を作った。沢山買って何日も冷蔵庫に入れるほど買わないようにして毎日食べるだけ買うようにした。

照明は四部屋がサークル蛍光灯だが全て外側の一灯のコネクタを抜いて内側しか点かなくした。抜いた本人は明るさの変化が分かるが、云わずにいると何も感じていない。相方も婆ちゃんも娘も感じない。充分明るいから気がつかないのです。

テレビを見るときは部屋の照明を消す。目に悪いと云われるが本当に悪いのか。だったら映画館はどうか。USJやディズニーはどうか。かなりの長時間以外あまり関係ない。明るさよりも電磁波のほうを気にする。

テレビを見ない私もPCの前では部屋照明は消す。キーボードが見えるように5w電球で自作手元灯を作った。これで充分。目も疲れることはない。

他にもたくさん使い方を変えたが、それらでなにひとつ不自由をしていないことが大切。誇張していない事実です。
消費電力を減らす障害になる病。

トイレに入るときに昼も夜も点灯していたが昼は窓の明かりで充分だから点灯しないと決めた。ところが癖のついた手が勝手にスイッチを触る。夕刻になると無意識に外灯のスイッチに足が向く。これも癖。この癖という病を治すのがたいへん。

「冷蔵庫→必要」で終わってしまう先入観。冷蔵室に温度計を入れて測りもせずに冷えすぎが適温と思っている先入観。スイカは山水に漬ける程度で口当たりは素晴らしいのに冷えすぎが多いのも先入観という病。

三つ目の病はは先行拒否。「熊本の夏は暑いから冷房は欠かせない」というのは問答に先行して冷房を見直すことを拒否しているのです。私は全国を旅しますが 熊本が特別暑いわけではない。京都盆地のほうが暑い。でも、私は夏に冷房を入れない。もう十年以上冷房したことがない。やせ我慢でなく冷房なしで汗を楽し んでいます。家も事務所も。

「床机に蚊取り線香で夕涼み」とか忘れたでしょう。水を打った夕風がとても心地よいのを忘れたでしょう。問答無用で先行拒否すると忘れます。冷房をやめろとは云いませんが、ちょっと見直してください。
あなたは今日までの記事をどのように扱いましたか。読み飛ばした方、読んだだけの方、読んで自分の電気を見回した だけの方。結局は行動は何もしなかった方々ですが、このご時世、消費電力は少ない方が良いと大半の方は思うはず。でも思うだけで行動しなければ何も変わり ません。



「変える方が良いが変えるに至らない」が今の大勢かもしれませんが、かとけんが少し違うのは良いと思ったら必ず実行することでしょうか。

こういう問題は政府や機関が先導するものでなく市民ひとりひとりが行うものです。ひとりひとりの小さな行動の連続がその人の思いを変え、国や世界を変えていく。すべて市民ひとりひとりの思考と行動からしか始まらないと思っています。

このシリーズを含めて以前から「エコ」とか「省エネ」という単語は使わないようにしているのは、世の中、言葉だけが踊って実際は動いていないことの象徴に思えるからです。

言葉尻で終わらず、行動に移す方がひとりでも増えることを願ってこのシリーズを終わります。

これがヤフオクで落札したマイクロメータ。\810円で落札。校正しなくてもきっちり精度がでている。新品だとどれくらいするのだろう。使う機会は少ないがこれがないと鋼球の直径など0.01mmは測れない。道具は持っているだけで楽しい。使いこなせばもっと楽しい。


四十年以上使っているノギス。これはよく使います。ノギスは数ミリから二十センチくらいまで0.1mmの計測。

使い込まれた道具は特に美しい。

これは高校入学時に買った計算尺。四十五年前に買ったものを大切に大切にしているかとけん。計算尺全盛期のあと機械式計算機、電気式計算機、電子計算機と時代の変遷を潜り抜けて四十五年間保管しているのは馬鹿か。

いや、私には宝もの。これは当時のままでケースにビニールテープ巻いて本体に名前を彫りこんで、几帳面だったんだ。ところがいくら探してもカーソルが見つからない。カーソルがないと計算尺の役を果たさない。

カーソルのために何度も何度も家捜しをして、また違う古い道具を見つけるかとけん。こんなかとけんダイチュキ。

でもカーソルは何処へいったのだろう。

探し物は何ですか
見つけにくい物ですか
カバンの中も 机の中も
探したけれど 見つからないのに
まだまだ探す気ですか
それより僕と 踊りませんか
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと 思いませんか
Woo woo woo-- Woo woo woo--
Woo woo woo-- さあ--
45年前に買った計算尺のメーカー「ヘンミ計算尺」は健在でした。早速サイトの質問欄で「四十五年前の機種のカーソルは手に入りますか」と尋ねた。一時間後に「2664S用カーソルの件ですが、本体の在庫はすでに欠品しておりまして、カーソルにつきましても欠品しておりますが倉庫に残っている可能性もございますので、御調べさせて頂きます」という返事。

そして三日後に「確認させて頂きました結果、在庫は残っておりませんでした。互換性のある機種のカーソルはありましたので、そのカーソルで代用することは可能ですが・・価格は¥240円です」

嬉しいじゃないですか。なにが嬉しいかといいますと、魂のある企業が日本に存在していたことですよ。利益利益と目先のことばかり考える企業が多い中、二百 四十円のカーソル在庫を倉庫まで連絡して探し、しかも互換性まで調べてくれてきちんと対応してくれる。本当に立派な企業だと思う。


「先にこちらからカーソルを送らせて頂きますので、同封いたします封筒で、240円分+400円(送料)の切手を、郵送願います」ということで翌日に届いたのです。


ヘンミ計算尺という会社の製品を通して四十五年間の時の流れをひしひしと感じることが出来た。その会社の姿勢から企業とは何かを、しかと学ばせていただきました。

最近にない感動です。

四十五年前の高校生の自分が使っていた計算尺にカーソルを嵌め、忘れかけていた操作を思い出して計算してみた。なんという温かさが伝わってくることか。中 尺が滑る感触。カーソルを合わせる微妙な指の動き。計算結果は線の合わせ方で誤差が出る。その誤差のもつ何ともいえない大らかさ。全体がとても温かい。

そして、四十五年前に同じ操作をしていた自分に対し、今の自分を比べていた。あの頃の目の輝きをもち続けているか。あの頃の喜怒哀楽を失っていないか。歳を重ねて感性は磨り減っていないか。

一本の計算尺が自分自身の糸を、遥か彼方にまで遡る琴線を震わせて、あの頃の自分と今の自分を感じさせてくれた。

物を大切にするってことは、自分自身を大切にすることなんだ。
お酒をを完全に止めることにしました。実際にはお酒を断って十日目です。
なぜ十日なのかと云いますとアルコール依存症になっていたら酒を断って一週間以内に発作を起こして病院の世話になったり死に至る場合もあります。

依存症からの酒の絶ち方と依存症でない場合の絶ち方が全く異なるのですね。ここに書くことも随分変わるので十日間様子を見たわけです。

先日の焼肉で酒なしでごはんをたべた理由がこれです。私はアルコール依存症ではありませんでした。即ち、自分の意思と行動でお酒をやめられる環境であるということを確認しました。

旅先の宿に疲れて着いて缶ビールを開けないのは寂しいかもしれん。みんなと集まって自分ひとり飲まないで素面でいるのは白けるかもしれん。実は私が四十過ぎのとき八年間、お酒を完全に絶ったことがあります。確かに寂しさも白けることもありましたが、それはそれなりに上手くやっていけた。だから大丈夫と言い聞かせています。

何故お酒をやめるかといいますと血液検査でGOT、GPT、γGTPの値が高い。しかも長年高いまま。肝硬変が確実に待っています。それは死が待っているということ。

もうひとつはカナダで酔っての怪我が象徴するように、酒で自分の制御が出来なくなってきていること。これは飲んで歩いて駅ホームでの転落など深刻な事態を招く危険が潜みます。

酒で気分がよくなるのを絶つのは惜しいが、それで命を落とすのはもっと惜しい。
いつか書いたように最近の酔い方は直ぐに寝てしまう。飲みはじめて4時間ほどで寝てしまう。だったら4時間を違う楽しみ方にすれば良いじゃないかと思った。染物、料理、工作、陶芸、映画、読書、語学........、楽しいことはいくらでもある。

なぜ完全に絶つのか、「酒の量を減らして少しだけ楽しめばいいじゃないか」「集まるときだけ少し飲んで楽しめばいいじゃないか」とお考えの方もいると思います。何回も挑戦しましたがそれができないのです。飲み始めたら酔うまで飲んでしまうのです。

何がきっかけで酒をやめようと考えたか。北京オリンピックの閉会式の夜、いつものように酔って寝て深夜に激しい腹痛が襲ってきて救急で滋賀医大に入ったとき、腹痛は肝臓が原因ではないだろうが、肝硬変になればこんな苦しみだけでは済まないだろうなと思ったのが始まりで、翌日には酒を断つ事を決めて実行に移しました。かとけんは転んでも何かを拾って起きあがる幸運な男であります。

救急から帰って自分の布団で寝ながら「既に人生三回分の酒を楽しんだ。もう十分楽しんだじゃないか。これから酒に代わる楽しみを見つけようや」と思ったとき、正直、肩の荷が降りた思いがした。なにか解放された気がした。

今回は何年やめると決めません。死ぬまで飲みません。たぶん肝臓は半年以内に正常になるでしょう。前回の四十過ぎの時は三ヶ月で正常に戻りましたから。でも、肝臓が正常に戻って飲み始めると数ヶ月で悪くなる。だから生涯飲まないのです。

たぶん夢の中で酒を飲んで「しまった、飲んでしまった」と目覚めて冷や汗をかくでしょう。飲みたいという心の底にある欲望は消えないでしょうから。

でも、ビアテイスト・アルコール1%なんてのも未練がましいから飲まない。好きで分かれた女のケツを追いかけるような、みっともないことするんじゃねえぞっ、かとけん。
皆さんに問題です。お酒をやめると云って一年後のかとけんは次のどの行動をとっているか。当てててくだされい。

■家族にも隠れて酒を飲んでおる。臭いを消すための消臭の粒を頬ばって家に帰って何食わぬ顔をしておる。もちろん誰にも口外しとらん。かとけんの顔は引きつっておる。

■家でこそっと飲んでおる。ネットでは飲んでいないことになっておる。かとけんの眉間のシワが深い。

■三ヶ月目でネットでみんなに謝って堂々と飲んだ。でも量が前より増えた。かとけんの酔っぱらいの笑顔は戻ったが一年経たずに棺桶に入った。

■お酒は飲まなくなったが新しい楽しみと称して美人を見つけた。その女が名器の持ち主で日ごと夜ごと通いつめ、自転車に乗らずに女に乗ってばっか。三ヶ月で腰振りながら死なれました。

■酒は飲まず女以外の楽しみに熱中。少年のように目を輝かせ、満面の笑顔で天真爛漫に日々を楽しむかとけん。酒飲みだったとは想像もでけん。

さて、貴方の予想は。
地球の環境や温暖化を危惧する方は多いと思う。でも、危惧するだけで自らの行動を変えた方は少ない。危惧を広辞苑でひくと「あやぶみおそれること。不安心。気がかり」とあるから次の行動までには言及していないからそのまんまだ。

でも、地球環境や温暖化を危惧だけしても何にもならない。ただの無駄。危惧するなら次の行動を伴わないと無駄に終わる。

私は家でも会社でも何処でも徹底して行動を起こしている。一例を挙げれば自分と物の移動にやたら車は使わない。以前に、保有する車の走行距離を書いたことがあるが、ほとんど乗らないに等しい。でも、重い物を運ぶときなどに車は使う。

そのときにしている行動とは交差点でのエンジンストップ。五秒以上であれば燃料の消費が抑えられる。次の信号を見ながら赤に変わったら走行中にエンジンを止めて惰性で走る。これだけで20%以上の燃料消費が抑えられる。

これは行動の一旦ですが貴方は危惧だけじゃなく行動を起こしていますか。心配だけして行動を起こさないのは無駄ごとです。危惧もしてないなんて云わないでくださいよ。
テレビで京都の放置自転車が取り上げられていた。要点は●京都の景観を悪くする。●通行の邪魔になる。から放置を許さないらしい。今日から毎日放置自転車を撤去すると云う。京都市が撤去作業に費やす税金は年間二億。全国で想像するに数百億。毎年ですよ。

撤去と放置のいたちごっこを繰り返しても問題は解決しない事くらい分からないのだろうか、行政は。

私だったら年間二億の費用で無料駐輪場を増やしていきますよ。見栄えの良い駐輪場。市の土地に作っても良いし、民間所有地を借りても良い。自転車に乗ることの目的は人間の移動と異動先での用件だから、駐輪は必須。行政は自転車に乗るなと言っているのと同じでしょ。地球温暖化の防止のためにも、国民の健康体を作る上でも、自転車をどんどん推奨すべき時に、全く逆行することを行っている。こんな馬鹿者どもを養うのに税金を払うのが馬鹿馬鹿しい。
  
お酒を断って三年が過ぎた。三年をひとつの区切りとして振り返ってみる。酒と私の関係を素直に整理してこれからの生活に役立てるためです。

旅先で日本の夕食には酒がつきまとうから旅館の人が「お飲み物は?」と聞かれて「飲みません」というと変に思わないかと気遣っていたがそれはなかった。海外などは聞かれもしないことが多い。

一方、知人や友人との酒なしでの関係はどうだったか。飲まないからと私自身は酒の席に出にくいことは全くなかったし実際の席で酒を飲まないからとしらける事もない。お相手から率直な気持ちを聞き出していないから予想でしかないが、酒に酔うための集まりには誘いにくいと思うが、話を楽しむ集まりには誘いにく いことはないと思う。

三年の経過で酒を飲まないことで世の中から浮いたり邪魔にされたり、断ったことが人との関係を悪く変えることはまったくなかった。
酒を飲みたい気持ちの変化はどうだったか。断った直後に飲みたいと思う発作のようなことがもっともっとあって、断つ苦しみがあると思っていたが全く無しに過ぎたのが最初。

半年くらいは飲みたいと思うと覚悟していたがそれもなかった。一年くらい経つとお酒のことを思い出さなくなることが多くなった。三年経ってお酒そのものを忘れてしまった。

お酒を飲んでいるときの気持ち、飲み終えてもう飲めない状態までの経過、翌朝起床時の体と気持ちの状態、お酒が抜けきるまでの体の感じ。全てを忘れてはいないがそれらを味わうことはなくなった。

思えば酒の力で気持ちを動かされていた毎日。酒に力を借りずとも情感の変化は起こせる。酒の力を借りると制御が難しい。酒を飲み始めて抜けきるまでの時間は生活時間の半分くらい。その間、体も気持ちも左右されていたんだと改めて思った。
酒を断って都合の良いことばかりではない。酒を飲まないとできないことがひとつだけある。美味い料理を味わうときにワインが飲めない。

ワインは美味い料理を一際引き立てるし、美味い料理がワインも引き立てる。美味いワインだけ飲んでも料理がないと旨みは半減する。どうしてワインが料理を引き立てるのかは専門家に任せるとしてワインしかその役割をこなせない。

酒をやめてワインが味わえないことだけが悔やむこと。ならば、「美味い料理を食うときだけワインを飲んだら良いじゃないか」と万人に云われますが私は軟弱だからそれができないのです。

愚かにも「昨日飲んだら今日飲んでも同じだよ」って毎日になってしまうのです。はい、何度も何度も失敗を繰り返しました。
酒をやめて都合が良くなったことを挙げておこう。体がとても快調になった。肝臓や内臓の悪いところはなくなり胃腸 内視鏡検査でも奇麗になった。予想をしていなかったのが血圧。150/100だったのが130/85と正常範囲。酒が高血圧を作っていたなど想像もしなかった。

酒が快眠を誘うと思っていたが眠りは酒がない方が深い。自律神経も酒によって乱されることがないから下痢など心配なく朝から冷たい牛乳が飲める。

予期せぬ事のもうひとつが食が変わった。醤油や味噌から離れる海外旅行が苦痛だったが日本に居ても食べない日が長いときもある。嫌いな食品ができたのではなく好きな味や食品が増えた。甘いものをあまり食べなかったが今は大好き。

もうひとつの大きな変化が時間の使い方。夕方に酒が入ると寝るまでにできることは限られる。早い話が「ぼーっとテレビを見る」くらいしかできなかった。読み書きもできないし自転車や車にも乗れない。酒に拘束される時間から何でもできる解放された時間に変わった。
これからもお酒は飲まないでいよう。飲んでいるときの人生と飲まなくなった人生を比べると飲まない人生が楽しいから。

でもこの決めごとを破る日がくるかもしれません。三年前に酒をやめてから数ヶ月後に台所の整理をしていて酒を見つけました。ワインの瓶が四五本とシェリー酒やマッカランなど。どれも高価なものでワインは今や手に入らないものもあり、そのまま床下食品庫に置いてあります。

売ってしまおうかと考えた末に置いてあるのは「死期が来た」と自覚した時に飲もうかと思ったからです。私が愛した酒を最後に飲む機会があってもいいじゃないかと。その時にワインの味や香りが分かる状態か、飲んで気分がよいかどうか分かりませんが、酒を愛し楽しんだ人生の締めくくりに一番似合う姿じゃないかと思います。
京都の京阪タクシーの社長が逮捕され、関西のタクシー会社三社が逮捕された。容疑はJRAの競馬情報誌だけをタクシーで運んだから。昔は人が情報誌を持ってタクシーで運んでいたが、何時の頃からか人が乗らなくなったと。

このニュースを聞いて呆れた。いったい情報誌だけをタクシーで運んで、社会秩序の何を乱すのだろうか、いったい誰が損害を被るのか、そんな法律を楯に警察活動や裁判などが公費で行われることこそ、税の無駄遣いで悪いことではないのかと。

与那国島へ行ったおり、帰りのJALが一時間近く遅れた。石垣の埠頭近くの宿に荷物を預けていて、伊丹行きの乗り継ぎ時間で引き取りに行くはずだったが、引き取り往復の時間がなくなった。石垣空港からタクシー会社に電話して宿から荷物を引き取って空港へ持ってきてもらうようにお願いしたら、即答でOK。きっちり乗り継ぎに間に合いまし たが、あの会社も、依頼した私も罪人だって。あほかっ。

僻地の自治体赤字バスをなくすために、民間人が人間を運んでも良いという発想を持つかとけんとしましては、もはや封建時代の法律にしか思えない。士農工商の身分をまたがって、職業を犯してはいかんとね。
  
ともすれば誰もが間違いやすいことを言わせてもらいます。

一等の速い人が優秀で、二等がその次に優秀。最後尾の遅い人は劣る人と勘違いしてはいませんか。私は、このように考えています。速い人は速いことを楽しんでいる人。遅い人は時の流れを楽しんでいる人。速い遅いは人の優劣とは無関係です。

私が会社を経営していることを知った方は「何人ぐらい社員はいるのですか」と必ず聞きます。会社の規模が大きければその企業は立派な仕事をして、社会に貢献している。規模の小さい会社は何処かの大きな会社の寄生虫のように、みっともない仕事をしていると勘違いしてはいませんか。雪印の食中毒、JR西日本の殺人。水俣病は何年前の罪?大企業が犯した罪を数えればきりがない。かといって小企業も罪を犯します。企業規模に関係なく社会貢献ができる会社と、できない会社があるのです。

私はこう考えています。小さい企業ほどきめ細やかな仕事ができて、社会評価が分かりやすく、頑張りがきく。聞くところによるとイタリアは80人以上を抱える企業は会社全体の1割にも満たないらしいが、イタリアの製品を世界中で欲しがっている。

有名で難関大学を卒業した人と中卒の人。どの学校を卒業したかで人の優劣が決まるのではありません。東大を出た罪人もいるし、中卒で社会貢献をする人もいる。学歴に関係なく、今の私がどうなのかが問題なのです。

自分の人生を大いに楽しむ私、社会にしっかりと貢献する私。もっともっと、優しくなれる私。そういう私になりたい。
  
前回の東京は久しぶりに千駄ヶ谷から原宿を歩いたが、途中で歩いてくる若い女性に駅を尋ねた。

「ごめんなさい、原宿の駅はあっちですか」
「たぶん、そうでしょ」

と顔の向きも変えず、目も合わさずに素っ気ない応え。嫌だねぇ。
昔、江戸という立派な庶民文化があって人情も厚くて濃い良き時代。その全てを投げ捨ててしまった東京。膨大な経済活動が行われる場。それがあの若い女性のような、冷たく凍えそうな人の接し方に現れるんだ。東京は貧弱な心の人を作り出すには充分な環境を提供している。東京の人が全てそうだと言う訳じゃないが.......。

すれ違う車や単車から友好の声援をくれた台湾や、落雷から救ってくれた恩人が暮らすNZなど、自ら手を差し伸べて人と人が温かい関係を作ろうとする姿が大好きだ。

私は東京へ遊びに行きたいなどと微塵も思わない。そんな時間があったら、もっともっと楽しいところを選ぶ。東京で暮らす人も一週間の休暇ができたらどこかへ行きたいと思い、東京で遊ぼうとは思わないでしょう。それは、経済活動にとっては好都合でも、人が暮らすには良くない環境だということを、無意識のうちに感じているのですよ。

日本の首都東京。もっと心豊かな都市になってくれ。せめて目を見て話そうや。
  
中学、高校の六年間も英語の教育を受けながら全く英語が話せないし聞き取れなかった私。大半の方は大学を含めると十年の教育を受けている。この国の英語教育が間違っているのです。

成績が第一にあるからそれを測るには試験が必要。試験は紙で行うのが簡単。だから読み書きの英語になってしまう。確かに英語を声に出した記憶もあるが主体は試験のための読み書き文法。

生まれてきた子供が母国語をどのように学んでいくかを見れば、英語の教育がどうあるべきかは歴然としている。母親の言葉を聞き取ることから始まって、真似て話すのが次ぎ。その繰り返しで母国語は聞いて話せるようになる。そうなると読みたい書きたいに繋がる。

日本での英語教育は小学からテキストなしで聞く話すだけを繰り返し、中学も同じ聞く話すだけ。高校で読む書くの少しだけ行って、徹底的に聞く話すを行えば他国民と同じぐらい英語の話せる人が生まれると思う。私の毎朝のNHK英語はテキストを見ないでダイアログを何回も聞きます。知らない単語と、知っていても意味の分からない部分を明確にします。そこで初めて母親に聞くがごとくテキストを見ます。そしてテキストを見ずにダイアログを聞き、声に出して全文を話して覚えてしまいます。覚えたら二日間、何度も何度も繰り返し声に出して話す。です。
  
日本を旅して何時も思うのが公営のバス。ローカルで走っているバスはことごとく乗客がいない。にもかかわらず自治体は廃止できない。当然赤字が膨らむ。赤字は住民の赤字なのです。

赤字バスを廃止するのは簡単です。日本中を走る車の全てが乗客を乗せても良いように法を改正します。乗ったキロ数で乗車賃を決めます。例えば1kmが30円。これだと百キロ乗って3千円。乗車時にメータを確認して書いておけば簡単に計算できる。ドライバーの好意で乗車賃は安くしても構わないし無料でも構わない。資格は免許所持者全員OK。

しかし乗せたくない人のために、乗せられる方はフロントガラスに決められた黄色のシールを貼って志を表す。女性ドライバーのフロントガラスには決められた赤色のシールを貼る。

一方、乗せて欲しい方は停車しやすい場所で決められた黄色のハンカチを広げて意志を表す。行きたい場所を何かに書くとなおさら良い。女性ドライバーを求めるときは赤いハンカチを広げる。

乗車収入に対する税ですが基本は自己申告。事実上無税。これで倒産する交通関係の会社は出るが、社員は自らの事業として自分の車を走らせればよい。車は減るし無駄なエネルギーを使わないし赤字の公共事業も減るし、良いことずくめです。

ねっ、良いでしょう。こういう知恵が働くから政治家になれって云われてもお断りします。
  
体と老化の話ですが、25歳を過ぎると老化は始まっているので25歳以上の方が対象のお話。

スポーツ選手が引退するのは老化が原因の大半で、早い人は30歳で引退。遅くても40歳で引退ですね。老化ですよ。

読者の方々で老化と聞いて自分には無関係な話と思われる方は見当違い。貴方の話です。次のような事にひとつでも該当したら、これから連載する記事をよく読んで、ご自身で老化に対処してください。


・腰、肩、膝のいずれかが痛くなったことがある。
・歯は普通の歯ブラシで前後左右に動かして磨いている。
・靴下や下着を履き替えるとき、履きにくいと感じたことがある。
・平坦な道を歩いていて、何でもない所でつまずいたことがある。
・酒が弱くなった。
・暗いところで新聞が読みにくくなった。
・駅の階段で辛いと感じたことがある。・毎日、意識的に運動をしていない。
  


歯が抜けると入れ歯になりますが、噛めない物ができるから食生活の楽しみが減りますね。胃腸のためにも、食を楽しむためにも、歯がなくなるのを遅らせることが大切。

歯が抜ける原因の大半が歯茎の病気。歯槽膿漏など歯周病。口臭がすると歯周病です。周りが臭いと云ってくれないのが普通で、ご自身から聞いてください。歯が伸びたように見えるのは歯茎がめくれたから。歯周病は歯磨きの方法を変えるだけで大改善します。

手動歯ブラシで一日に数回磨いても、歯茎と歯の間の細菌は落ちないのです。電動歯ブラシや超音波歯ブラシを買いましょう。家族で一台買ってブラシだけ人数分揃えます。磨き方も、歯と歯茎の間を意識して磨きます。歯の表面は軽く当てるだけで充分ですが、歯茎と歯の間は丁寧に。

電動歯ブラシの注意点は時間をかけすぎると歯が減ることですが、三分で合図をくれますのでそれを目安に全体時間にしていれば大丈夫。

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私は三種類持っていて、左から超音波(東レ)電動(松下)電池駆動(ブラウン)。旅で電圧の違う海外は電池駆動を持ち歩き、それ以外は電動を持ち歩きます。自宅では超音波と電動を交互に使います。アメリカへ行く前に歯医者で見てもらいましたが綺麗に磨けていて何の心配もいらないと太鼓判をもらいました。

娘や会社のスタッフ全員に電動を配りました。皆、翌日に「歯がツルッツル」と喜んで歯を見せてくれます。
  
新聞が薄暗いところで読みづらくなったら老眼です。老眼でないと言い張っても老眼です。老眼と気づかれるのが嫌で老眼鏡をかけずに耐えている人が多いですが、それがいけない。

読むという脳にとって大切な行動を阻害するからです。読まないと脳が衰える。だから、積極的に老眼鏡をかけて、ザックザックと文字情報を読みましょう。老眼は病気でもなく誰しもがなる老化のひとつ。

老いは病ではない。老化を素直に受け入れなさい。
  
体を測ることはとても大切なことです。私は四十五歳から十五年以上、毎朝(旅先は別)次のことを測っています。

最高血圧、最低血圧、体重、体脂肪、内臓脂肪、基礎代謝、筋肉量、骨量、両目の視野、各関節の不具合、前日運動量、前日酒量。

異常を見つけるささやかな方法ですが、それよりも体を思う事として大切です。

tasmania.jpg
グラフはその内十年の記録ですが、上から体重、体脂肪、最高血圧、血圧差、最低血圧。
途中で体重が急減し体脂肪も落ちた時期が分かりますが、意識して落とした結果で、どのようにして落としたかは、カロリーの摂取と消費の関係を変えただけです。体重を落とすことは運動を楽しんで、空腹を楽しめば直ぐにできますが、リバウンドが一番難しいことですね。即ち、落ちた状態の生活を続けることが。

もし、今も落としていない状態を続けていたとすれば、血圧はもっと上昇していただろうし、からだの老化はもっともっと進んでいたでしょう。自分の体と正面から向き合うことが大切だと思っています。
  
高血圧は血管の硬直化で起こりますが、血管を柔らかくして血圧を下げ、血液もさらさらにする方法があります。薬ではありません。

有酸素運動を30分以上行うと、自らの体が血管を柔らかくする物質と、血液をさらさらにする別の物質を血液中に生成します。さらさら物質は30分以内でも生成します。有酸素運動は徒歩が優れていますね。時間あたりの消費エネルギーが多くて、全身を使う運動だからです。平地でも山でも構いません。毎日歩くことが大切です。

そのためには歩くことに別の目的を付ける。私は会社へ行くという目的と、英会話を行うという目的が付いています。買い物に行くとか、図書館へ行くとか、乗り物を使っている毎日の移動を徒歩に変えればよいのです。

ジムへ乗り物で行って体を動かすことが目的のクラブは、時間がもったいないからとっくの昔にやめました。お金もかかるしね。
  
三十代で腰が痛くなり、四十代で肩が痛くなり、五十代で膝が痛む。みな老化。痛むと痛む部位自体に原因があると考えがちですが、痛むのは結果で原因は首から足先まで体全体が関係します。腰に例えれば、今までは柔らかく下半身が動いていたのに腱と靱帯と筋肉が硬直化してきて結果として腰に負担がかかってくる。体重の増加もしかりです。おまけに腰に関わる腹腰筋、腹筋、背筋も弱っているからなおさら負担がかかって壊れるのです。

毎朝30分の全身ストレッチは体中の筋肉、腱と靱帯を柔らかくし、関節に血液を送り込みますから、滅多なことで膝、腰、肩などは痛みません。私の通信簿の記事で関節が痛むことを書いたのは膝で一回だけ。二日酔いとかインフルエンザはありますが風邪もほとんどひきませんし、間接は痛まない。全身ストレッチと早朝早足散歩は今後も続けます。
  
肥満と老化の関係はなさそうに思いますが、あります。肥満は生活習慣病を誘いますが、生活習慣病自体が老化を促進します。高血圧も糖尿病も体を壊すと云うことは老化を促進しているのですね。

肥満はカロリーの摂取と消費のバランスの崩れ。そんなことは皆知っているのに肥満を克服できないのは何故でしょう。腹が減った状態の快感を知らないからですね。腹が減ったときの快感って知りませんか? スポーツのあとの快感に似ています。小便をしたあとの快感、うんこをしたあとの快感、屁をこいたあとの快感、射精の快感、きちんと味わっていますか?

これらの快感。これらは体外へ放出する快感ですが、空腹の快感もよく似ています。千年も昔でなく、たった五十年ほど前でも、皆、空腹だったのです。
  
肥満が体に悪いことを知らない人は皆無なのに、肥満であり続けているのは何故でしょう。

・肥満が原因でどこかが悪くなっても、医療で治せると思っている。無知型
・肥満でも体はたいした壊れかたはしないと思っている。無知型
・食べることを減らすくらいなら、肥満でも構わないと思っている。無知型
・痩せたいと思っているが、ついつい食べてしまう生活習慣障害型。

他にもあるでしょうが、無知型と生活習慣障害型ですね。無知は知ろうとしないのだから、どうしようもないので無視。生活習慣障害ですが、生活を変えるしかないのです。肥満でなくなるには。肥満でなくなる努力って、何でしょう。運動を増やす生活に変える。食事内容と三食のバランスを変える。

「そんなこと分かっとるわい」 とおっしゃる方。意志が弱いのですなぁ。

と云う私目にも意志の弱いところがございまして、次回にそれを取り扱おうと思っております。
  
私の「競う」を書いてみようという気になったのは、アメリカを一ヶ月旅したときに、車での移動が二千キロほどありましたが、その時に感じたのは米国では車社会が「譲る」が基本と感じたのに、日本に帰国してたまに車に乗ると、「先を争う」であることに気づきました。どうしてこうなっているのかを考えたから書きたくなったのです。

元々、「争う」と「競う」は違いますがその違いも考えたことのひとつです。私は、小学時代から中学卒業時にたいへんな貧困生活でしたから、教頭先生に云われて中卒の就職を目指し、四社の入社試験に全部失敗し、奨学金で高校を卒業しました。大学入試など選択の余地がなかったのでその経験がありません。即ち、大学入試という人生で最初の大きな競争生活を免れました。多くの同輩はその競争生活を経験していますが、後にその競争が無意味であると自分は気づいたのです。

有名大学卒業はその後の就職に有利であるとの理由が大半で、本来の学識を身に付けることは付随項目でしかないと理解しました。有名大学に入るための競争は社会的に正当化されていますが、元々、その大学を卒業しても、就職先が優良企業であっても、その人の人生の豊かさとは無関係です。

この、正当化された無意味な競争が、日本人の「先を争う」のひとつの原因だと思います。先を争っても、ろくな事は生まれないのに先を争う。愚かなことです。

広辞苑で「競う」は「互いに他より先になろうと争う。張り合う。競争する」とあります。同じく「争う」は、「互いに自分の気持ちを通そうと張り合う。敵対する。競争する」です。争うには敵対が含まれるが競うには敵対は含まれない。

私は敵対する「争い」は大嫌いです。一方「競う」ですが、私自信が他の人と何かを「競う」事は好きではありません。しかし競うこと全てが嫌いではない。人間には闘争本能があって、それが災いにもなり、社会の発展にも寄与しています。またスポーツ競技のように競うことが楽しみのひとつでもあります。

「競う」が一概に善悪のどちらかなどと思っているのではありません。ただ、自分と他者が競ってその勝利を味わうというのが好きではない。ヨットもレースはしません。自転車もイベントに出るのは勝つことが目的ではなく、皆さんと走ることが目的です。これは有名大学の入試で合格して競争の勝利を味わっていないからだと思うこともあります。

好きなのは「自分が自分と競う」こと。例を述べれば60歳にして英語の習得を続けているのは、昨日の自分より明日の自分が優れる事を、自らが自らに競っているからです。英語に限らず、昨日までできなかったことができるように変わると云うことは、自己挑戦そのもので、戦いを挑む事は広辞苑にある「競う」の「互いに他より先になろうと争う」だと思います。

仕事で他社と競うことは日常茶飯事。これは自由主義社会で生きるための必須条件です。この競いは楽しいことも苦しいこともありますが、何が楽しいかと云いますと、お客さまの成し遂げたいことを、自分たちの技術力を最大限引き出して、実現してあげること。また、実現できた時の創るという喜びが楽しい。

結果として他社と競って当社が優れているから、良い仕事に巡り会えるという好循環が生まれます。でも、そうは簡単に最大限の技術力を発揮できない。そこに、もがき苦しむ自分がいて、その苦しみは私生活にまで競争を持ち込みたくないという気持ちが、レースなどに出ない事に結びついています。

「争う」が嫌いでも、争いに巻き込まれたことは何度かある。これも巻き込まれれば、避けて通れませんから裁判まで行ったことは何度かあります。でも、「争う」事で残るものは何一つありませんから、これは大嫌い。裁判でなくとも「先を争って」人より前に出て生きることも「争う」のひとつで、「競い勝つ」ために、なりふり構わず勝ちに行くような行為も、私には、「先を争う」と見えます。

立派に戦う人は敵に塩を送ります。花道を造ることだってあります。なりふり構わず「競い勝つ」という心境には、そんな余裕は無いでしょう。先を争っても何一つ良いことは生まれない。愚かなことです。
  
私にも悩みや巧くいかなくてイライラすることもあります。その大半は自分で解決します。人は悩むときの対処によって成長すると確信しています。問題をきちんと整理して、真正面に向き合う。一歩も逃げない。顔を背けない。自分の問題は、自分しか解決できない事を認識して行動しています。自分の力でどうにもならない問題が大半だと思いますが、どんな問題もきちんと立ち向かえば、必ず解決することを身につければ、それに適う渡世術はないと思っています。話は変わりますが、毎日新聞に連載されていた横山隆一さんの『フクちゃん』。 漫画よりも横山隆一さんがあこがれでした。歳を重ねられても鎌倉のご自宅は物作りのアジトであり、友人を呼んでの料理場兼宴会場であり、家の中にはありとあらゆる自分の好きなものが置いてあり、雑然としたその中で天真爛漫に遊び、生きる姿を見たときに、私もこんな歳の重ね方をしたいと心底から思いました。そう思ったのが三十代半ば。自慢ではありませんが自慢に聞こえたらごめんなさい。あれから二十五年。横山隆一さんに負けないくらい自分のしたいことをしているかとけんがいます。風呂敷包み一個で上京してから六十歳の今、自分がこうしていられるのも、自分に降って湧く様々な問題に真正面から取り組んで来た事。それをなし得たひとつだと思います。みなさん、どうか大いに悩んでください。   
57歳と私より若くして亡くなった方の言葉。 「あなたがむなしく生きた今日は、昨日死んでいった人があれほど生きたいと願った明日」 という言葉を思う。

むなしく生きるとは、物事への関心が薄れ、好奇心がなくなり、それに伴って自らの行動が乏しくなること、即ち死期の近づきと私は捉えています。風を感じたい、綺麗な花を見たい、潮風の中に居たい。人の話の中にその人の人生を感じ、それがあたかも我が事のように聞く。こんな思いが薄れていくと、どれほどむなしく生きているか。怖い。

かとけんは今六十歳。まだまだ書生なみの感性と行動で、これからも毎日、新鮮に生き、人生を謳歌しようとあらためて思う。
  

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