楽創楽夢へ戻る

瀬田といえば唐橋とシジミ。羽柴が往来した往時の唐橋は板を籐で結わえた橋であった。橋は隙間だらけ。

シジミ採りの仁兵衛は好んで唐橋の下でシジミを採った。小舟から長い竿の先につけたザルの網を瀬田川の川底をさらうようにして採る。

唐橋は侍も通れば旅人も通る。中でも女が通ると仁兵衛は竿を止め顔を上げて板の隙間を見た。往時のおなごは腰巻きを巻いているだけ。はっきり言うとスッポンポン。橋の下から丸見えなのだ。

若い美人はさすがに湖面の仁兵衛に気がつくと渡るのをためらったが、旅を急ぐ美人はやむなく渡る。仁兵衛の鼻の下は三尺にも伸びる。艶やかな飴色でしっとりと濡れたのもあれば、真っ黒で黒光りもある。勘違いしてはいかんぞ、シジミの話。

仁兵衛の水揚げが矢橋の十兵衛より少ないわけがここにある。

この道は東海道。色気の通う道。
膳所に義仲寺があるのは近所の仁兵衛は知っている。その寺に芭蕉が葬られることになったが芭蕉をまったく知らない仁兵衛。負けず嫌いで人に上を行かれるのを嫌う仁兵衛は知った振りをするために電脳上網(後にインターネットと呼ばれる)でそっと芭蕉を調べておいた。

そこへ十兵衛が来た。「木曽義仲さまの墓と背中合わせに有名人の墓が建つそうじゃが、だれなん」と十兵衛。来た来たカモが。準備万端である。仁兵衛はこの瞬間の優越感がたまらなく好き。人に先んじた満足感。実際は中身空っぽなんよ。

「芭蕉といって遠くを旅して句を詠む俳人じゃ」「つい先日、大阪で亡くなられたが遺言で生前に随分気に入ったこの小さな義仲寺に埋葬するように門下生に伝えてあったんじゃ」「わいは完売の人気本『姫の細道』は百年前に全て読んだぞ」。

仁兵衛は電脳上網で急ぎ調べたときに奥を姫と違えて覚えてしまったのだ。奥と呼ばれるおばはんより若い姫。覚えるときに黒光りより飴色しっとりを思い浮かべていたもんで.....。

この道は東海道。化けの皮が通る道。
矢橋の渡しは大津石場と草津矢橋を結ぶ近江八景の「矢橋の帰帆」。仁兵衛もシジミ漁ばかりでなく小舟に客を乗せた。「一人早舟十銭、二人十五銭」の立て札で客を呼んだ。この立て札がくせもので美人が港に来ると紙をペロンとめくり「一人早舟五銭、二人七銭」と半額になる。

で、美人も旅の出費は始末したいから安い仁兵衛の渡しを選ぶ。十兵衛は要領が悪いからペロンは持たず男ばっか。仁兵衛の悪知恵はこれだけではない。座席は 行く先を向くように座るのが普通だが仁兵衛は美人だと背もたれをカチンと嵌めて船頭の漕ぐ後ろ向きに座らせる。美人も背もたれにもたれてゆったりと船で渡る方が気持ちがよいから文句は言わぬ。

仁兵衛は時たま「ニョロッ」と揺らす。「また比良おろしだ」と風のせいにする。美人は揺れで上半身がふらつくから座る両足を広げる。しめしめと仁兵衛の目は裾に行く。腰巻きだけだもんね。仁兵衛の船の座面が低いのは船頭の目の角度のため。

急がば回れの語源である「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」など仁兵衛は知る由もないが本当に風で船が転覆するからその語源になったのだ。

仁兵衛も美女と三度転覆した。美女はなりふり構わず仁兵衛に抱きついてくる。三度とも十兵衛に助けられたのは幸運だったが仁兵衛はなかなか助けの船に乗ろうとしない。抱きついたままが良いらしい。

ここは東海道。女が濡れて通る道。
仁兵衛も十兵衛も毎日担ぎ出されると疲れると申してきた。彼らには粟津の晴嵐で昼寝でもせいと、いとまを出した。松林を吹き抜けるそよ風のした、帰りに通るまで寝てろと云ったらほんとに寝てやがっっっっって、もう少しでタイヤで踏みつぶすところだっっった。

昼寝でも朝立ちって云うのかなあ。タイヤで踏まずに済んだのはテントで気がついたんだ。

ここは東海道、昼寝も朝寝も立ちつくす道。
三井の晩鐘は矢橋帰帆ともども広重の近江八景のひとつ。三井寺という寺はなく通称で園城寺を昔からそう呼んでいる。鐘にまつわる伝説は多くそれを知るだけで楽しいが仁兵衛の電脳上網は故障中で知る術はなし。

往時の音を再現すると。鐘の音、行者の鈴、托鉢の読経、風鈴、金魚売りの声。風音や雨音以外に人が造る音はせいぜいそんな種類。拡声器も蓄音機も車や機械の騒音もない。それだけで往時に憧れるかとけんだ。人々の声は今より艶やかだった。騒音がないから同じ声でも艶やかに聞こえるのだ。

あれっ、今日は下ネタなしか。って誰だい催促は。

長屋の路地は夫婦喧嘩の声もまる聞こえなら夜毎の戯れの声も筒抜け。
十兵衛の嫁「あんたんとこ、昨夜、激しかたわね」
仁兵衛の妻「そうよ、唐橋で飴色のシジミが列をなしてたらしいわよ。シジミ持って帰ってこなかったけど、三回もいっちゃったからいいの」
「あら、気持ち良さそうね、うちなんか半月もなし。ムズムズするわっ」
「あっそう、今夜は旦那に鍵かけよっと」

ここは
北国街道東海道の分かれ道。引き摺り鐘と夜毎引き摺る声の道。
仁兵衛と十兵衛の姿が見えなくなった。二人の嫁も長屋にいない。大津百町を一日かけて探した。百町というのは町名でなく百の町を指す。

船頭町で仲間に聞くと「何かから逃げたい」と云ってたらしい。鍵屋町で両替所の番頭に聞くと嫁の着物を形に銭を借りて行ったという。材木町の長屋へ行った。

仁兵衛の鍵のかかった木戸をこじ開けて入ると下手くそな字で貼り紙。「この度はかとけんの下ネタにされるのが嫌だから十兵衛共々四人で旅に出る」「行き先も帰る日も云わぬ。さらばじゃ」。

あ~あ、とうとう愛想を尽かされた。どうすんねん。

ここは北国街道東海道の分かれ道。今日で別れか街道か。
ひとりぼっちのかとけん。昨日までと違ってひとり寂しく自転車を漕ぐ。
さよなら仁兵衛。楽しかったよ。

誰の歌だったか、こんな歌がこころの隙間を吹き抜ける。

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

まわるまわる 時代はまわる
喜び悲しみくり返し 今日は別れた旅人たちも
生まれ変わって 歩きだすよ


さよなら、仁兵衛。

へ戻る