楽創楽夢へ戻る

下は直近の記事です。右の文字列検索と分類別一覧から探してください。
検索は「★★★★★★」や「"New Zealand"」などの指定ができます。



我が家の先月の電気代。婆ちゃん、相方、私、三人家族ひとつ屋根。


今年の六ヶ月分明細で最高\3,657円、最低\2,487円、月平均\3,150円。

あなたの家の電気代をご存じですか。知らない方は良い機会ですから見てください。聞いては駄目ですよ。聞かれた方が曖昧かもしれませんからご自身で見てください。

私の家より少ない方が単身者でもおられるでしょうか。多くても少なくても実際金額が知りたいです。掲載しませんからメールくださると嬉しいです。
読者から関西は電気の単価が安いのかという指摘があったが写真は前年同月消費電力値。

私の前年電気代と連続で比べると半分以下に減っている。減らせたということです。減らす前がメールをいただいた方々の電気代よりかなり少なく。減らしたあとの月額は個別で2割から4割、一人当たりだと7千円と千円の差です。

ともすれば行動を敬遠しがちな話題ですが一年で地球一周旅行の費用に届かなくとも継続ですから何年かで捻出できます。どのようにして減らしたかは長くなるので後ほどにします。

メールで詳しく情報をくださった方々にお礼申し上げます。そのメールが役立つように記事内容でお応えさせてください。ありがとうございました。
消費電力削減の第一歩は現状をしっかりと把握することから始めました。特別な電力計などなくとも家庭の電力計で充分。

まず電気機器をすべてリストアップ。全ての機器をOFFにして電力計の前に行く。回転板が完全に停止していることを確認。この時点で回転していたら何が動 いているかを突き止める。リスト漏れが多いが意外とOFFでもコンセントに入った状態で待機電流が流れている。その機器はコンセントから抜く。

機器のひとつだけONにする。メモと時計を持って電力計の前に行き1回転の所要時間をメモする。全ての機器をひとつずつ計測してメモする。機器ごとに一日の使う時間を書き込む。機器毎に一年の回転数を計算する。

例えば外灯が1回転するのに60秒だとして一日に12時間点灯すると12時間は43,200秒だからそれを60秒で割ると一日に720回転。一年で262,800回転する。

このリストで全ての機器の回転数を比べると自分の感覚と実態の相違に驚くはずです。思わぬ機器が多大な電力を消費していることが分かります。
この回転数の総計を三割減らせば電気料金が三割減ります。

このリストが完成したら節減は半分成功したも同然。大切なことは現実を正確に直視することです。

さぁ、一週間先に続きを書きますが、それまでにリストしましょう。1時間でできますから。
電力計の回転数を減らすのにリストに穴が開くほど見てみよう。いくつか方法があるが今日はいちばん効果のある方法。機器を使わない。リストの中に必ず使わなくてよいものがいくつかあります。

私が使わなくなった機器は門灯と玄関外灯、それに庭の照明。夜間の来客時に表札が見えなくなる意外に弊害はない。外灯くらいで泥棒よけにはなっていない。庭の照明は装飾だから庭で遊ぶときだけ点灯すればよい。

この夜間照明が時間が長いからけっこう電力を食っています。リストに「使わない」で済む機器が必ずあります。その回転数はまるまる減ります。
電気機器の使い方。

冷蔵庫で製氷をやめた。氷がなくとも不自由でないから製氷スイッチを切った。冷蔵室ごとの温度設定をいちばん高い温度に設定した。それで充分冷蔵できる。

冷蔵庫に入れないものを増やした。漬物は家で漬けるが床下収納が部屋温度より三度低いのでそこにぬか床を置く。根菜は屋外の涼しい所に専用庫を作った。沢山買って何日も冷蔵庫に入れるほど買わないようにして毎日食べるだけ買うようにした。

照明は四部屋がサークル蛍光灯だが全て外側の一灯のコネクタを抜いて内側しか点かなくした。抜いた本人は明るさの変化が分かるが、云わずにいると何も感じていない。相方も婆ちゃんも娘も感じない。充分明るいから気がつかないのです。

テレビを見るときは部屋の照明を消す。目に悪いと云われるが本当に悪いのか。だったら映画館はどうか。USJやディズニーはどうか。かなりの長時間以外あまり関係ない。明るさよりも電磁波のほうを気にする。

テレビを見ない私もPCの前では部屋照明は消す。キーボードが見えるように5w電球で自作手元灯を作った。これで充分。目も疲れることはない。

他にもたくさん使い方を変えたが、それらでなにひとつ不自由をしていないことが大切。誇張していない事実です。
消費電力を減らす障害になる病。

トイレに入るときに昼も夜も点灯していたが昼は窓の明かりで充分だから点灯しないと決めた。ところが癖のついた手が勝手にスイッチを触る。夕刻になると無意識に外灯のスイッチに足が向く。これも癖。この癖という病を治すのがたいへん。

「冷蔵庫→必要」で終わってしまう先入観。冷蔵室に温度計を入れて測りもせずに冷えすぎが適温と思っている先入観。スイカは山水に漬ける程度で口当たりは素晴らしいのに冷えすぎが多いのも先入観という病。

三つ目の病はは先行拒否。「熊本の夏は暑いから冷房は欠かせない」というのは問答に先行して冷房を見直すことを拒否しているのです。私は全国を旅しますが 熊本が特別暑いわけではない。京都盆地のほうが暑い。でも、私は夏に冷房を入れない。もう十年以上冷房したことがない。やせ我慢でなく冷房なしで汗を楽し んでいます。家も事務所も。

「床机に蚊取り線香で夕涼み」とか忘れたでしょう。水を打った夕風がとても心地よいのを忘れたでしょう。問答無用で先行拒否すると忘れます。冷房をやめろとは云いませんが、ちょっと見直してください。
あなたは今日までの記事をどのように扱いましたか。読み飛ばした方、読んだだけの方、読んで自分の電気を見回した だけの方。結局は行動は何もしなかった方々ですが、このご時世、消費電力は少ない方が良いと大半の方は思うはず。でも思うだけで行動しなければ何も変わり ません。



「変える方が良いが変えるに至らない」が今の大勢かもしれませんが、かとけんが少し違うのは良いと思ったら必ず実行することでしょうか。

こういう問題は政府や機関が先導するものでなく市民ひとりひとりが行うものです。ひとりひとりの小さな行動の連続がその人の思いを変え、国や世界を変えていく。すべて市民ひとりひとりの思考と行動からしか始まらないと思っています。

このシリーズを含めて以前から「エコ」とか「省エネ」という単語は使わないようにしているのは、世の中、言葉だけが踊って実際は動いていないことの象徴に思えるからです。

言葉尻で終わらず、行動に移す方がひとりでも増えることを願ってこのシリーズを終わります。
瀬田といえば唐橋とシジミ。羽柴が往来した往時の唐橋は板を籐で結わえた橋であった。橋は隙間だらけ。

シジミ採りの仁兵衛は好んで唐橋の下でシジミを採った。小舟から長い竿の先につけたザルの網を瀬田川の川底をさらうようにして採る。

唐橋は侍も通れば旅人も通る。中でも女が通ると仁兵衛は竿を止め顔を上げて板の隙間を見た。往時のおなごは腰巻きを巻いているだけ。はっきり言うとスッポンポン。橋の下から丸見えなのだ。

若い美人はさすがに湖面の仁兵衛に気がつくと渡るのをためらったが、旅を急ぐ美人はやむなく渡る。仁兵衛の鼻の下は三尺にも伸びる。艶やかな飴色でしっとりと濡れたのもあれば、真っ黒で黒光りもある。勘違いしてはいかんぞ、シジミの話。

仁兵衛の水揚げが矢橋の十兵衛より少ないわけがここにある。

この道は東海道。色気の通う道。
膳所に義仲寺があるのは近所の仁兵衛は知っている。その寺に芭蕉が葬られることになったが芭蕉をまったく知らない仁兵衛。負けず嫌いで人に上を行かれるのを嫌う仁兵衛は知った振りをするために電脳上網(後にインターネットと呼ばれる)でそっと芭蕉を調べておいた。

そこへ十兵衛が来た。「木曽義仲さまの墓と背中合わせに有名人の墓が建つそうじゃが、だれなん」と十兵衛。来た来たカモが。準備万端である。仁兵衛はこの瞬間の優越感がたまらなく好き。人に先んじた満足感。実際は中身空っぽなんよ。

「芭蕉といって遠くを旅して句を詠む俳人じゃ」「つい先日、大阪で亡くなられたが遺言で生前に随分気に入ったこの小さな義仲寺に埋葬するように門下生に伝えてあったんじゃ」「わいは完売の人気本『姫の細道』は百年前に全て読んだぞ」。

仁兵衛は電脳上網で急ぎ調べたときに奥を姫と違えて覚えてしまったのだ。奥と呼ばれるおばはんより若い姫。覚えるときに黒光りより飴色しっとりを思い浮かべていたもんで.....。

この道は東海道。化けの皮が通る道。
矢橋の渡しは大津石場と草津矢橋を結ぶ近江八景の「矢橋の帰帆」。仁兵衛もシジミ漁ばかりでなく小舟に客を乗せた。「一人早舟十銭、二人十五銭」の立て札で客を呼んだ。この立て札がくせもので美人が港に来ると紙をペロンとめくり「一人早舟五銭、二人七銭」と半額になる。

で、美人も旅の出費は始末したいから安い仁兵衛の渡しを選ぶ。十兵衛は要領が悪いからペロンは持たず男ばっか。仁兵衛の悪知恵はこれだけではない。座席は 行く先を向くように座るのが普通だが仁兵衛は美人だと背もたれをカチンと嵌めて船頭の漕ぐ後ろ向きに座らせる。美人も背もたれにもたれてゆったりと船で渡る方が気持ちがよいから文句は言わぬ。

仁兵衛は時たま「ニョロッ」と揺らす。「また比良おろしだ」と風のせいにする。美人は揺れで上半身がふらつくから座る両足を広げる。しめしめと仁兵衛の目は裾に行く。腰巻きだけだもんね。仁兵衛の船の座面が低いのは船頭の目の角度のため。

急がば回れの語源である「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」など仁兵衛は知る由もないが本当に風で船が転覆するからその語源になったのだ。

仁兵衛も美女と三度転覆した。美女はなりふり構わず仁兵衛に抱きついてくる。三度とも十兵衛に助けられたのは幸運だったが仁兵衛はなかなか助けの船に乗ろうとしない。抱きついたままが良いらしい。

ここは東海道。女が濡れて通る道。
仁兵衛も十兵衛も毎日担ぎ出されると疲れると申してきた。彼らには粟津の晴嵐で昼寝でもせいと、いとまを出した。松林を吹き抜けるそよ風のした、帰りに通るまで寝てろと云ったらほんとに寝てやがっっっっって、もう少しでタイヤで踏みつぶすところだっっった。

昼寝でも朝立ちって云うのかなあ。タイヤで踏まずに済んだのはテントで気がついたんだ。

ここは東海道、昼寝も朝寝も立ちつくす道。
三井の晩鐘は矢橋帰帆ともども広重の近江八景のひとつ。三井寺という寺はなく通称で園城寺を昔からそう呼んでいる。鐘にまつわる伝説は多くそれを知るだけで楽しいが仁兵衛の電脳上網は故障中で知る術はなし。

往時の音を再現すると。鐘の音、行者の鈴、托鉢の読経、風鈴、金魚売りの声。風音や雨音以外に人が造る音はせいぜいそんな種類。拡声器も蓄音機も車や機械の騒音もない。それだけで往時に憧れるかとけんだ。人々の声は今より艶やかだった。騒音がないから同じ声でも艶やかに聞こえるのだ。

あれっ、今日は下ネタなしか。って誰だい催促は。

長屋の路地は夫婦喧嘩の声もまる聞こえなら夜毎の戯れの声も筒抜け。
十兵衛の嫁「あんたんとこ、昨夜、激しかたわね」
仁兵衛の妻「そうよ、唐橋で飴色のシジミが列をなしてたらしいわよ。シジミ持って帰ってこなかったけど、三回もいっちゃったからいいの」
「あら、気持ち良さそうね、うちなんか半月もなし。ムズムズするわっ」
「あっそう、今夜は旦那に鍵かけよっと」

ここは
北国街道東海道の分かれ道。引き摺り鐘と夜毎引き摺る声の道。
仁兵衛と十兵衛の姿が見えなくなった。二人の嫁も長屋にいない。大津百町を一日かけて探した。百町というのは町名でなく百の町を指す。

船頭町で仲間に聞くと「何かから逃げたい」と云ってたらしい。鍵屋町で両替所の番頭に聞くと嫁の着物を形に銭を借りて行ったという。材木町の長屋へ行った。

仁兵衛の鍵のかかった木戸をこじ開けて入ると下手くそな字で貼り紙。「この度はかとけんの下ネタにされるのが嫌だから十兵衛共々四人で旅に出る」「行き先も帰る日も云わぬ。さらばじゃ」。

あ~あ、とうとう愛想を尽かされた。どうすんねん。

ここは北国街道東海道の分かれ道。今日で別れか街道か。
ひとりぼっちのかとけん。昨日までと違ってひとり寂しく自転車を漕ぐ。
さよなら仁兵衛。楽しかったよ。

誰の歌だったか、こんな歌がこころの隙間を吹き抜ける。

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

まわるまわる 時代はまわる
喜び悲しみくり返し 今日は別れた旅人たちも
生まれ変わって 歩きだすよ


さよなら、仁兵衛。

これがヤフオクで落札したマイクロメータ。\810円で落札。校正しなくてもきっちり精度がでている。新品だとどれくらいするのだろう。使う機会は少ないがこれがないと鋼球の直径など0.01mmは測れない。道具は持っているだけで楽しい。使いこなせばもっと楽しい。


四十年以上使っているノギス。これはよく使います。ノギスは数ミリから二十センチくらいまで0.1mmの計測。

使い込まれた道具は特に美しい。

これは高校入学時に買った計算尺。四十五年前に買ったものを大切に大切にしているかとけん。計算尺全盛期のあと機械式計算機、電気式計算機、電子計算機と時代の変遷を潜り抜けて四十五年間保管しているのは馬鹿か。

いや、私には宝もの。これは当時のままでケースにビニールテープ巻いて本体に名前を彫りこんで、几帳面だったんだ。ところがいくら探してもカーソルが見つからない。カーソルがないと計算尺の役を果たさない。

カーソルのために何度も何度も家捜しをして、また違う古い道具を見つけるかとけん。こんなかとけんダイチュキ。

でもカーソルは何処へいったのだろう。

探し物は何ですか
見つけにくい物ですか
カバンの中も 机の中も
探したけれど 見つからないのに
まだまだ探す気ですか
それより僕と 踊りませんか
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと 思いませんか
Woo woo woo-- Woo woo woo--
Woo woo woo-- さあ--
45年前に買った計算尺のメーカー「ヘンミ計算尺」は健在でした。早速サイトの質問欄で「四十五年前の機種のカーソルは手に入りますか」と尋ねた。一時間後に「2664S用カーソルの件ですが、本体の在庫はすでに欠品しておりまして、カーソルにつきましても欠品しておりますが倉庫に残っている可能性もございますので、御調べさせて頂きます」という返事。

そして三日後に「確認させて頂きました結果、在庫は残っておりませんでした。互換性のある機種のカーソルはありましたので、そのカーソルで代用することは可能ですが・・価格は¥240円です」

嬉しいじゃないですか。なにが嬉しいかといいますと、魂のある企業が日本に存在していたことですよ。利益利益と目先のことばかり考える企業が多い中、二百 四十円のカーソル在庫を倉庫まで連絡して探し、しかも互換性まで調べてくれてきちんと対応してくれる。本当に立派な企業だと思う。


「先にこちらからカーソルを送らせて頂きますので、同封いたします封筒で、240円分+400円(送料)の切手を、郵送願います」ということで翌日に届いたのです。


ヘンミ計算尺という会社の製品を通して四十五年間の時の流れをひしひしと感じることが出来た。その会社の姿勢から企業とは何かを、しかと学ばせていただきました。

最近にない感動です。

四十五年前の高校生の自分が使っていた計算尺にカーソルを嵌め、忘れかけていた操作を思い出して計算してみた。なんという温かさが伝わってくることか。中 尺が滑る感触。カーソルを合わせる微妙な指の動き。計算結果は線の合わせ方で誤差が出る。その誤差のもつ何ともいえない大らかさ。全体がとても温かい。

そして、四十五年前に同じ操作をしていた自分に対し、今の自分を比べていた。あの頃の目の輝きをもち続けているか。あの頃の喜怒哀楽を失っていないか。歳を重ねて感性は磨り減っていないか。

一本の計算尺が自分自身の糸を、遥か彼方にまで遡る琴線を震わせて、あの頃の自分と今の自分を感じさせてくれた。

物を大切にするってことは、自分自身を大切にすることなんだ。
読者の方から悲しいメール。涙が出ます。ぜひ読んでください。

[宇都宮 齋藤さん]
加藤さんの「
自転車旅の安全」を読んでいましたが、そんな中、日曜日、時々森林公園で朝練を一緒にする渡邊君が森林公園の朝練中に自動車と正面衝突してしまい残念ながら事故死してしまいました。本当に残念でなりません。

事故現場となった森林公園の奥の古賀志林道は、本来一般自動車の通行禁止区域なのですが、近年の中高年の登山ブームやキノコ狩りなどで進入してくる車が後を絶たないのが実情です。

事故には色々原因がありますが、ほんの数秒でもずれていればと思うと残念です。運悪く事故で車の運転席かフロントガラスで頚動脈を切ってしまい出血多量による失血死が死亡原因のようです。

彼 も何年も何百回となく下っていたコースでしたがそんな日常の中でも危険はいつやってくるのかわからないものです。今年は雨も多く道路わきにはコケも多く中 央よりに走ったのか?道路脇にジャパンカップ直前まで放置されている道にはみ出している雑草が上ってくる車をセンターラインを越えさせたのか?色々理由が あるとは思いますが本当に残念です。

御通夜に行ったところお父さんは私の中学校の先生でした。直前に家を建て二人のお子さんと奥さんを残しこの世を去った彼!真面目だけがとりえの公務員の唯一の楽しみの朝7時までの自転車の時間!それが命取りになってしまうとは、悲しいことでした!


[加藤建三]
言葉がありません。読み進むうち「死なないでくれ」と思う間もなく無惨にも「死」の文字.........。

彼は自分が死んでいく姿をどう捕らえたのだろう。頚動脈を切ったらもう助からない。こんな事で死んでしまう自分がとても悲しかっただろう。怖かっただろう。噴出す自分の血を見て「まさか自分が」と思ったにちがいない。

子供二人と奥さんを残しての死。きっとお子さんや奥さんを思い続けたろう。「ごめん、ごめん」と云い続けたろう。意識がなくなるまで。

齋藤さんのメールを読んでから二時間以上考え込みました。昨日の朝もこのことばかり考える自分。目を閉じて手を合わせ冥福を祈りました。
亡くなられた方の死を無駄にしないためにも書きます。そして、自転車に乗る方の役に立つことだけを願って書きます。

あの事故の現場を想像で書きますが誤っていたら齋藤さんご指摘ください。

下りのブラインドカーブを時速六十キロ以上で下っていて、突然避けようのない位置に車が来た。ノーブレーキに近い状態で正面衝突。フロントガラスを突き破る速度で衝突し運転席まで突っ込んだ。運悪く頚動脈が何かで切れた。何百回も走られた道での出来事です。

彼はレーサーですから高速で下るのも練習のひとつでしょうが重大事故の大半は高速の下りです。レースの練習とはいえ命を落とすような行為はしてはいけない。亡くなった方を責める気は毛頭ありませんが、そうあって欲しかった。

日本で高速の下りを限界速度で練習できる場所はない。あっても一部のレーサーが使える施設でしょう。即ち、死をかけて練習することになるのが現状。亡くなった方も、高速で下りの練習を続ける方も、まさか、自分が死ぬとは思っていない。だけど死ぬのです。

ツーリンググループのレポートに今日の最高速度を書いておられる身近なサイトがあります。最高速度は下りで出るもの。高速の下りを助長するような記述はやめてもらいたい。

そのグループでは事故が何回か起きています。事故者にたいしての慰めは何方もしますが、その慰めで終わっているところが私は気にかかる。経験者の事故ですが、走り方に問題があるから事故が起きるのであって、他人が全ての原因でないはず。

初心者も参加されるのだから事故を起こさないために初心に帰って安全講習など開いてほしい。そういう機運になぜならないのでしょう。慰めあいで事故はなくなりませんよ。

私が書いた「自転車旅の安全」を読まれた方の中には「何を神経質な」と思われる方もいるでしょう。「自転車旅の安全」を読んでいない方もいるでしょう。それで結構ですが自転車で死なないでください。身近な人が死ぬのは嫌です。
死亡事故について読者の方からメールです。今日で区切ります。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
[宇都宮 斎藤さん]
一緒に走っていたわけではないので本当のことはわかりません。生死を分けそうな大きな自転車事故を自分でも経験しているので自分なりにこの一週間、現場を足で歩いたりしながら解析してみました。

まずはスピードは手前に大きな右ヘアピンがあり大きく減速し、そこからS字左、そして複合の右(事故コーナー)そしてすぐ左ヘアピンとなるので出ていても40キロくらいかと思われます。


でも逆を言えば40キロ程度でも死んでしまうのだなと思わされました。

想像の域を出ませんが自分なりに考えた事故の要因は以下の通りです

自転車側
1コントロール領域を超えたスピードの出しすぎ
2対向車がないと思いセンターラインに近づいたもしくは超えた
3登りを全開に走ったことによる下りの気の緩みによる注意力散漫
4門限時間による余裕がないことによる焦った下り
5レースを想定した下りの全開走行

自動車側
1進入禁止区域への進入
2手前のコーナーが斜度が急なためアクセル全開で入りそのままの勢いで事故のコーナーに進入そしてアウトに膨らむ。
3誰も走っていないと思われる静かな林道への注意力の緩み

環境的要因
1道路脇コケの増加によるアウト側を走りたくない状況
2道路脇の雑草の増加による道幅の現象
3近くに沢があるため対向車の音が消されてしまった。

色々な要因が重なって起きるのが事故だと思いますが家族、親族そして職場関係者、自転車仲間に大きく暗い影を落としてしまうのを強く感じました。

自転車は楽しい反面、危険であるのも事実かと思われます。 自転車側で気をつければ危険を減らすことができるわけですので彼の死を無駄にしないためにも考えながら走りたいと思います。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------


事故について三日連続の話題になりました。私自身、落ち込んでいます。朝夕の徒歩通勤で英会話の練習に身が入りません。つい、事故の当人のことや原因やどうすれば良いかを考え込んでしまうのです。

区切りをつけます。投稿があっても預かります。これから自分にできる最大限の安全啓蒙をすることで、亡くなられた渡邊さんへの弔いにします。
お酒をを完全に止めることにしました。実際にはお酒を断って十日目です。
なぜ十日なのかと云いますとアルコール依存症になっていたら酒を断って一週間以内に発作を起こして病院の世話になったり死に至る場合もあります。

依存症からの酒の絶ち方と依存症でない場合の絶ち方が全く異なるのですね。ここに書くことも随分変わるので十日間様子を見たわけです。

先日の焼肉で酒なしでごはんをたべた理由がこれです。私はアルコール依存症ではありませんでした。即ち、自分の意思と行動でお酒をやめられる環境であるということを確認しました。

旅先の宿に疲れて着いて缶ビールを開けないのは寂しいかもしれん。みんなと集まって自分ひとり飲まないで素面でいるのは白けるかもしれん。実は私が四十過ぎのとき八年間、お酒を完全に絶ったことがあります。確かに寂しさも白けることもありましたが、それはそれなりに上手くやっていけた。だから大丈夫と言い聞かせています。

何故お酒をやめるかといいますと血液検査でGOT、GPT、γGTPの値が高い。しかも長年高いまま。肝硬変が確実に待っています。それは死が待っているということ。

もうひとつはカナダで酔っての怪我が象徴するように、酒で自分の制御が出来なくなってきていること。これは飲んで歩いて駅ホームでの転落など深刻な事態を招く危険が潜みます。

酒で気分がよくなるのを絶つのは惜しいが、それで命を落とすのはもっと惜しい。
いつか書いたように最近の酔い方は直ぐに寝てしまう。飲みはじめて4時間ほどで寝てしまう。だったら4時間を違う楽しみ方にすれば良いじゃないかと思った。染物、料理、工作、陶芸、映画、読書、語学........、楽しいことはいくらでもある。

なぜ完全に絶つのか、「酒の量を減らして少しだけ楽しめばいいじゃないか」「集まるときだけ少し飲んで楽しめばいいじゃないか」とお考えの方もいると思います。何回も挑戦しましたがそれができないのです。飲み始めたら酔うまで飲んでしまうのです。

何がきっかけで酒をやめようと考えたか。北京オリンピックの閉会式の夜、いつものように酔って寝て深夜に激しい腹痛が襲ってきて救急で滋賀医大に入ったとき、腹痛は肝臓が原因ではないだろうが、肝硬変になればこんな苦しみだけでは済まないだろうなと思ったのが始まりで、翌日には酒を断つ事を決めて実行に移しました。かとけんは転んでも何かを拾って起きあがる幸運な男であります。

救急から帰って自分の布団で寝ながら「既に人生三回分の酒を楽しんだ。もう十分楽しんだじゃないか。これから酒に代わる楽しみを見つけようや」と思ったとき、正直、肩の荷が降りた思いがした。なにか解放された気がした。

今回は何年やめると決めません。死ぬまで飲みません。たぶん肝臓は半年以内に正常になるでしょう。前回の四十過ぎの時は三ヶ月で正常に戻りましたから。でも、肝臓が正常に戻って飲み始めると数ヶ月で悪くなる。だから生涯飲まないのです。

たぶん夢の中で酒を飲んで「しまった、飲んでしまった」と目覚めて冷や汗をかくでしょう。飲みたいという心の底にある欲望は消えないでしょうから。

でも、ビアテイスト・アルコール1%なんてのも未練がましいから飲まない。好きで分かれた女のケツを追いかけるような、みっともないことするんじゃねえぞっ、かとけん。
皆さんに問題です。お酒をやめると云って一年後のかとけんは次のどの行動をとっているか。当てててくだされい。

■家族にも隠れて酒を飲んでおる。臭いを消すための消臭の粒を頬ばって家に帰って何食わぬ顔をしておる。もちろん誰にも口外しとらん。かとけんの顔は引きつっておる。

■家でこそっと飲んでおる。ネットでは飲んでいないことになっておる。かとけんの眉間のシワが深い。

■三ヶ月目でネットでみんなに謝って堂々と飲んだ。でも量が前より増えた。かとけんの酔っぱらいの笑顔は戻ったが一年経たずに棺桶に入った。

■お酒は飲まなくなったが新しい楽しみと称して美人を見つけた。その女が名器の持ち主で日ごと夜ごと通いつめ、自転車に乗らずに女に乗ってばっか。三ヶ月で腰振りながら死なれました。

■酒は飲まず女以外の楽しみに熱中。少年のように目を輝かせ、満面の笑顔で天真爛漫に日々を楽しむかとけん。酒飲みだったとは想像もでけん。

さて、貴方の予想は。
昨日の午後、丹波の松本忍に会いに行ってきた。位牌の前に座り遺影を見ると大粒の涙が転げ落ちた。どれくらい座っていただろう。背中に奥さんの気配を感じながら松本に話しかけていた。

奥さんに何時ごろC型肝炎ウィルスに感染したのかを聞くと、高校入学前に大怪我をして8ヶ月入院したときに血清が使われたらしい。高校時代を共に生きたときに既に感染していたのだ。

五月に入院する前に内臓はボロボロになっていたが奥さんを一生懸命行ったことのない所へ連れてくれたという。バスの中でインシュリンを打ちながら、片足を引きずりながらも最後まで奥さんを思っていたんだ。

七月に高槻の病院を出て京都のパブテスト病院に移った段階で死は一週間に迫っていた。医者が「こんなに頑張って痛いと一言も言わない患者は見た事がない」というくらい辛抱する男。痛み止めのモルヒネも一回分を一度に飲まず三回に分けて飲んだのは脳が痛むことを知っていたから。

最後は奥さんの腕の中で目をひっくり返すくらいの痛みに耐えながら死ぬまで目から涙を流していたと云う。思うに松本は最後の最後まで意識はしっかりしていたのだろう。

感染を知ったのが数年前に軽い脳卒中で入院したとき。その直後に松本は俺に電話してきて「入院してたが今は大丈夫」と言って何度か飲みに行った。だけど彼は私に一言も言わなかった。感染していることを。

彼はダイナミックに仕事をこなし、おおらかに遊ぶ。その反面すごく細やかな気遣いをする男だった。その繊細な気遣いで私に云わなかったのだと思う。松本はあのときから死と向かい合って生きていたんだ。辛かったろうなあ。

奥さんと話し始めて直ぐに額に入った写真を持ってきた。脳卒中の前に松本と奥さんと三人のお子さんをヨットに誘って遊んだときの写真だった。「忍がいちばん気に入っていた写真よ」「ずっと彼の傍に置いてあったの」と聞いたときに胸がギュッとなった。額の中の写真には墨の手書きで「ありがとう」と書いてあった。松本は写真のこともひとことも言わなかった。

帰りの車でも彼のことばかり思っていた。長男にだけ「もっと生きたい」と何度も云っていたらしい。突然、死の宣告を受け、発症して体がボロボロになっていく自分を見つめるとき、もう一年でいいから生きたいと何度も何度も思ったに違いない。可愛そうな松本忍。どんな言葉も慰めにならない。可愛そうな松本忍。

車のフロントガラスを通して空に松本の顔が見えた。喋らない松本は悔しそうで、羨ましそうな顔を見せた。

おいっ、かとけんをそこから見てろっ。俺の生き様をずっと見てろっ。滑稽だったら大声で笑え。悪いことをしたら叱れ。殴ってもかまわん。

松本、わるいが俺はもうちょっと生きさせてもらう。 松本忍、見てろっ。
自転車ツーリングや自転車旅をするときの安全対策について書きました。レースに出る人もブルベに出る人もツーリングや旅に無関係ではないと思いますから読んで下さい。長年乗っていて事故に会ったことがなくても一度読んでみてください。私が安全に対してどのように取り組んでいるか、面白いですよ。自転車に乗り始めて2年以内の方は必読。これで事故が防げたら儲けものですから。
自転車の飲酒運転をする人がいますがやめてください。飲む量が少なくとも走る距離が短くともやめてください。

車の飲酒運転と自転車の飲酒運転を比較してみましょう。車は飲酒でも倒れませんが自転車は平衡感覚の鈍りで倒れやすくなります。車も自転車も速度感覚が鈍り速度超過やブレーキの遅れで曲がりきれないことも同じ、重要なサインを見落として子供との衝突もある。

もうひとつ違うのは車の罰金は近年すごく厳しくなった。自転車は最近になって小額の罰金が科せられるようになったがそれまでは見過ごしだった。だから自転車で飲酒運転をするという人がいたら最低ですね。

喫煙をことごとく嫌っても喫煙事態は場所を守れば法規違反ではない。飲酒運転はれっきとした違反行為。

飲酒運転を止めてください。もしくは自転車から降りてください。
ずっと前に私が皆さんに対して安全な自転車の乗り方をお尋ねしたことがあります。カーブの曲がり方、重心の移動、視線、などなど。

その時に京都の森さんが言われたことが「危険を感じたら、とにかく足を着く」です。これは「ずしん」と来ました。そして実践しています。

トンネルで足を着く。強風のハワイ島の下りを歩く。交差点でも混雑道でも危険を感じる前に怪しいと感じたら足を着きます。

これでどれほどの遅れが出るか調べる気もしません。そんなことを捨てて、安全を捨ててまで早く走りたくないから。

足を着けば気持ちも落ち着くのですよ。
旅の計画は楽しい作業。間違いの一番は計画の立て方の心構えから誤っていることが多々ある。例えば京都から秋田を仮定して、真っ先に総距離をはじき出して日数を決めてかかるとしたら、それは国鉄の時刻表を作る作業だから間違い。

目的地に一刻も速く到達したいレースをしているのか、制限時刻が決められたブルベをやっってるのか。それとも旅を楽しむ自転車旅なのか、はっきり決めること。

自転車旅の計画なら車が少なく景観が抜群で由緒ある所や名所を調べる。どこで昼時を迎えどんなものが食いたいか調べる。その日の宿を決める前に旅の楽しみを組み立てる作業があってこそ楽しい自転車旅。

なにか勘違いしてはいませんか。レースとブルベとツーリングと自転車旅を同じ尺度と同じ感覚で組み立てていませんか。
長期の自転車旅で自転車休養日はとても大事。距離にもよるが長期間自転車ばっかり毎日漕ぐと、特定の筋肉だけが疲労してきます。疲労が蓄積すると柔軟性もなくなるし気持ちに倦怠感など悪い影響を及ぼす。

世界的有名ロードレースでも休養日がある。まして彼らはレースが終わったらありとあらゆる手段で筋肉や内臓のリフレッシュを行う。素人の我々がろくなリフレッシュもせず、一週間以上走り続けるのは危険を自ら生み出していること。

自転車休養日は名所探索や都会の街歩き、山登りや写真撮影も楽しみます。
私の毎日の始まりは全身のストレッチと筋肉トレーニング。特に自転車旅先でストレッチは最重要。

体の筋肉や筋は硬直化します。加齢と共にその度合いは増して硬くなる。一日が始まるときに徹底して25分伸ばしてやる。

体か硬い状態で自転車に乗ると、とっさの行動を必要とするときにその差が現れる。体が柔らかいと何かを避けるときも行動開始が早く動作も速いから硬い体よりも大きく避けられる。

寝ぼけ眼で硬直化した体で走るのは危ないから嫌。
適度の休憩が結局は長距離でも登りでも楽に走れる。一日の走行でどれほどの休憩をとるか。個人差があるが私は積極的に休憩する。そうですね平坦路が長く続く時で一時間から一時間半毎。登りにもよるがきつくない登りで45分。きついと30分か高度100mごと。長時間休むと逆に走り出すのが辛くなる。だいたい10分以内の休憩です。
20歳を過ぎると目は老化を始める。老眼と気がつくのが老化の始まりではない。水晶体が硬化して遠近のレンズ調節が出来なくなったときに気がつくが硬化は20歳から始まっている。水晶体も硝子体もどんどん濁ってくる。網膜の機能も低下する。即ち、加齢と共に視力は落ちる。やせ我慢しても落ちる。

落ちる視力を自覚して見えるようにライトや眼鏡の工夫が安全走行に繋がる。やせ我慢すると事故に繋がる。
車の運転で急いでいたり焦っていたり考え事をしていると事故を起こしやすい。自転車も全く同じ。ゆったりとした気持ちで運転に集中して走行を楽しむこと。不愉快な物思いにふけらないこと。これ、簡単なようでなかなか難しいのですよ。
私は自転車旅に限らず、今日のことは今日片付ける。例えばサイトのアップも早朝にアップしますが投稿寸前の状態まで前日に仕上げておく。旅先からもそれは崩さない。仕事でもその日にやるべきことは明日に持ち越さない。これは要らぬ心配事を明日に引きずらないから新鮮な気持ちで朝が来る。

自転車旅や連日ツーリングで大切なことは疲れをその日の睡眠完了時点で残さないこと。無理な日程はその妨げ。過度の頑張りも疲れを残す原因。疲れを溜めると事故の原因を確実に増やします。

もうひとつ。自転車自身の調子が悪い部分を明日に残さない。どうしても直らない時もあるが、極力その日に整備しておく。

自転車ツーリングや自転車旅の初日の一歩の体調と自転車の調子を毎朝再現するのです。
車にはドアミラー二個、ルームミラー一個が最低付いている。これがない車に乗ることを想像すれば走れないですよ私は。

では自転車に必要のないものでしょうか。否、車より必要性は高い。追い越される数が車の何十倍もある。後ろから追い越す車がまったく見えない車を運転してみてください。ぞっとしますね。

自転車はもっとバックミラーを強制的に付けるべきです。アメリカでグラスミラーを買ったきっかけは、街や街道で自転車を楽しんでいるローディーが沢山付けていたから。日本では見かけませんが。

ロードレースで付けないのは車に追い越されるようなコースでないからでしょ。
自転車用の前哨灯として1.5Vの電池を使うものに明るい物はありません。それを覚悟で無理をして使っている人が大半。

私は六万くらいするがむちゃくちゃ明るいのを使っている。札幌のさとこちゃんのサポートを受けながらトンネルを走ったとき、出口で待つさとこちゃんが「かとけんさんのライト、単車みたい」と言ったのは嘘ではない。

佐々木さんがPBPで電池駆動で明るいとされるライト二灯で走ったが暗闇で歯が立たず、たぶんHIDライトの方に助けられたと読んだ。

そうですベンツと同じ「メタル ハライド HID ライト」です。このライトでトンネルもやむをえない暗闇走行も、何の不安もありません。

安全がお金で買えるなら、その投資は絶対に惜しまない。

http://www.topeak.jp/light/lpf060.html
私は自転車後部に2灯とメット後部に1灯、計3灯を朝から宿まで走行中はずっと点滅させている。

電池はエネループという充電式の電池で、充電器一個を持ち歩いて宿で充電する。予備の電池を持ち歩くより軽いし、常に最高の明るさを保てる。

最近、枯葉マークの老人の運転が増えたが、追い越す車で「ひやっ」とするのが枯葉マーク。自転車が目に入っていないような接近をする。日中常時点滅は少しでもこういう人に気付いて欲しいから。

接触されてからでは遅い。
メットで命が助かったのは我が相方。絶対の自転車必需品。ところが被りかたを誤ったら意味がない。前頭葉すなわちおでこを深く被せて全体をタイトに調節すること。

私はタイトさを保つためにベルトの位置を決めたらベルトを縫い付けています。
サングラスは体裁が良いのですがトンネルや夜間には安全に対する障害。透明のサングラスにするか、面倒だが暗いところは外す。私は普段に使う眼鏡をそのまま使っている。UVもカットするし遠近も両用だし。
短距離なら背中に荷を担いでも良いが50km以上を10kg以上の荷を共に運ぶなら、しっかりと車軸やフレームに固定できる荷台が安全で楽。

軽くしたいがためにシートポスト固定の荷台もあるが不安定だから立ち漕ぎも出来ないし、重心が上がるので安全面でも良くない。

重心というのはとても重要で、ハンドルバッグに重い物、後部荷台の上にテントと寝袋。などを積むと重心を上げます。ちなみに後輪バッグ底に同じ重量になる重い岩を入れて走ってみてください。とても安定することがすぐに分かります。立ち漕ぎも両手離しての走行も可能。
車が多いのは国道番号に逆比例。ひどい国道を走るのは計画段階で極力避けますが、どうしても走らなければならないとき。

歩道を走るのが一番の安全策だけど、GPSで走っていると脇道が見えてより快適に安全に走れる。中山道を例えれば旧街道の宿場を守るために国道はバイパスを作ってそこを通す。旧街道はともすれば狭いが風情も残っていて車は極端に少ない。中山道に限らず集落を通さないが為のバイパスはとても多いから、集落道も快適道。

GPSで細かい道を表示しながら走るとこれが分かるのです。もうひとつ、トンネルが出来る前の道もGPSで見えます。こちらは通行止めやアップダウンや落石など要注意ですが。
トンネルの必需品は後尾灯とバックミラー。それに穴ぼこが見える前哨灯。後尾灯はフレームに二個とメットに一個。トンネルに限らず走行中はずっと点灯する。

バックミラーで後方からの車の集団と前方からの車の集団と自分たちが重なると判断したら相方に合図して停止する。

車は集団化します。それは遅い車がいるとその車が後方に車を貯めるから。集団をやり過ごすのに一分もかからない。その一分でストレスのない安全が手に入る。
重大自転車事故の多くが下りで起きる。高速だから当然。

自転車に乗り始めたころは登った後の下りが気持ちよくて限界まで飛ばしたものです。最近は時速40km以上は出しません。そのほうが安全で気持ちのよい時間が長続きするから。

40kmでの転倒と60kmでの転倒の違いは生死を分けるでしょう。まして下りのカーブの先は誰にも分らない。砂があったり瓶が割れていたり動物が死んでいたり。40kmなら簡単に避けられるが60kmで簡単かどうか。

5kmの下りを時速60kmで下って5分。時速40kmで下って7分。私は二分の違いに生死を賭けません。

仲間でのツーリングレポートにその日の最高時速を書いているサイトにお尋ねします。何故書いておられるのですか。
急な登りになると道幅が狭くなるのは構造上当然。きつい登りで狭く大型が多い道は危険がいっぱい。自転車は急坂を登るときに左右に振れやすい。だから大型と接触しやすい。私はそういう道は躊躇せず降りて押す。
私はヨットを操船するので風は敏感に感じる。危険な風とそうでない風の見分けです。風は台風のような風はどんな状態でも危険ですが、風速15mくらいまでの風も危険な風があります。吹く方向が変る風。今吹いている風の方向性を私は無意識に察知していて危険かどうかを測っています。特に斜め前方から横風で方向が変る風が危険。予測しない風で思いっきり流されるからです。同じ斜め前方から横風でも方向が安定していれば大丈夫。
車が数珠繋ぎに並んでいる路肩の狭い交差点の最後尾に自転車で追いついたとき、昔は車の左をニョロニョロと最先頭まで進んで信号が変るのを待った。今はそれはしない。

まず、自分の安全を考えると接触や溝蓋の隙間、車の間からの飛び出しなど危険度は高い。

もうひとつは車から見ていて、何をガツガツしてるんだと思われるのが嫌。最後尾に並んで信号が変るのを待てば自転車の後ろの車も「みんなと一緒に並んで待っている」んだから仲間はずれにしない。

自転車が交通市民権を得るのは自転車自身の行動によると思う。信号無視を見ている車の運転手も、自転車で来て飲酒される居酒屋の主人も、そういう自転車乗りをどう思うでしょう。

そんなことをしない自転車紳士をもってすれば徐々に自転車に対する意識が変ると確信します。強いては自転車が安全に楽しく走れる環境になる。
地球の環境や温暖化を危惧する方は多いと思う。でも、危惧するだけで自らの行動を変えた方は少ない。危惧を広辞苑でひくと「あやぶみおそれること。不安心。気がかり」とあるから次の行動までには言及していないからそのまんまだ。

でも、地球環境や温暖化を危惧だけしても何にもならない。ただの無駄。危惧するなら次の行動を伴わないと無駄に終わる。

私は家でも会社でも何処でも徹底して行動を起こしている。一例を挙げれば自分と物の移動にやたら車は使わない。以前に、保有する車の走行距離を書いたことがあるが、ほとんど乗らないに等しい。でも、重い物を運ぶときなどに車は使う。

そのときにしている行動とは交差点でのエンジンストップ。五秒以上であれば燃料の消費が抑えられる。次の信号を見ながら赤に変わったら走行中にエンジンを止めて惰性で走る。これだけで20%以上の燃料消費が抑えられる。

これは行動の一旦ですが貴方は危惧だけじゃなく行動を起こしていますか。心配だけして行動を起こさないのは無駄ごとです。危惧もしてないなんて云わないでくださいよ。

自転車のタイヤが色と太さの違いで在庫過剰。当分色違いでチグハグでも在庫を消化するのだ。。。。。

チグハグと言えば鬼の面にふんどしは似合うが、スーツに運動靴はチグハグ。。。。。。

酒宴で饅頭をガツガツ食いながら酔ってないのに大声の大男。。。。。
部下の前でふられたドジ上司。。。。。
役に立たないチンコの前の避妊具。。。。。
性交中にいびきをかく女。。。。。。
書き出せばきりがない。。。。。。。

なにっ、おまえがいちばんチグハグだってか。


[さとこちゃん]
うっ! うかつに笑ってしまった…(^o^)

[加藤建三]
どの節で笑ったんだ。いびきだろ。
誰のときにいびきかいたんだ、白状しろ。 って、あにゃん、笑うなっ。

下のピンクの部分はは女性だけが読めます。男性は次の紺色まで読み飛ばしなさいっ。男性諸君、約束ですよ。読んだら誰が読んだか分かる仕組みになってんだぞっ。



四万十川には流れ橋が沢山あるが、この橋下駄は流されたままの残骸だよな。橋がなくて困ったら、かとけんに頼みなさい。かとけんを土手に座らせて、チンコをさすってあげなさい。乱暴にさすっては駄目。できれば軟膏をつけて、ジュルジュルと。

見る見る太くなって長くなる。コツは長く伸ばすには縦方向に両手でジュルジュル。太くしたいときは円周に沿って両手で回してジュルジュル。向こう岸に届く長さと跨いで座れる太さに仕上げなさい。できましたか?ジュル、ジュル、ジュル、ジュル。

あの時にお相手が好みの太さと長さに出来る様になってんだ。たいがいの方は長さは控えめに、太さは思いっきり太く整えられます。

では、かとチンコを橋代わりにして渡りましょう。丸太に跨るように座って、両手を前に出してお尻を滑らしながら渡りなさい。あっ、言い忘れたが下着は全部脱ぐのですよ。渡る途中でお尻を前後左右に動かして自分で楽しむのは勝手。

向 こう岸の手前で大きなピンクのクビレに出会います。ほれ、沢山の女を失神させたあのクビレ。そこを渡るとき、かとけんは呻きますが気にしない。そのクビレ を乗り越えると、滑り台になっていますから滑ります。最後に、滑り台の先端に穴がありますから、その辺りに「チュッ」とお礼の挨拶をしなさい。
どうですか? 白いものが、ドックンドックン飛び出てきましたか? 出たら貴女はかとけんのお気に入り。よかった、よかった。

男性諸君、近々、男性専用記事を書くから辛抱せいっ。
まさか読んではいるまいな。

テレビで京都の放置自転車が取り上げられていた。要点は●京都の景観を悪くする。●通行の邪魔になる。から放置を許さないらしい。今日から毎日放置自転車を撤去すると云う。京都市が撤去作業に費やす税金は年間二億。全国で想像するに数百億。毎年ですよ。

撤去と放置のいたちごっこを繰り返しても問題は解決しない事くらい分からないのだろうか、行政は。

私だったら年間二億の費用で無料駐輪場を増やしていきますよ。見栄えの良い駐輪場。市の土地に作っても良いし、民間所有地を借りても良い。自転車に乗ることの目的は人間の移動と異動先での用件だから、駐輪は必須。行政は自転車に乗るなと言っているのと同じでしょ。地球温暖化の防止のためにも、国民の健康体を作る上でも、自転車をどんどん推奨すべき時に、全く逆行することを行っている。こんな馬鹿者どもを養うのに税金を払うのが馬鹿馬鹿しい。
  
お酒を断って三年が過ぎた。三年をひとつの区切りとして振り返ってみる。酒と私の関係を素直に整理してこれからの生活に役立てるためです。

旅先で日本の夕食には酒がつきまとうから旅館の人が「お飲み物は?」と聞かれて「飲みません」というと変に思わないかと気遣っていたがそれはなかった。海外などは聞かれもしないことが多い。

一方、知人や友人との酒なしでの関係はどうだったか。飲まないからと私自身は酒の席に出にくいことは全くなかったし実際の席で酒を飲まないからとしらける事もない。お相手から率直な気持ちを聞き出していないから予想でしかないが、酒に酔うための集まりには誘いにくいと思うが、話を楽しむ集まりには誘いにく いことはないと思う。

三年の経過で酒を飲まないことで世の中から浮いたり邪魔にされたり、断ったことが人との関係を悪く変えることはまったくなかった。
酒を飲みたい気持ちの変化はどうだったか。断った直後に飲みたいと思う発作のようなことがもっともっとあって、断つ苦しみがあると思っていたが全く無しに過ぎたのが最初。

半年くらいは飲みたいと思うと覚悟していたがそれもなかった。一年くらい経つとお酒のことを思い出さなくなることが多くなった。三年経ってお酒そのものを忘れてしまった。

お酒を飲んでいるときの気持ち、飲み終えてもう飲めない状態までの経過、翌朝起床時の体と気持ちの状態、お酒が抜けきるまでの体の感じ。全てを忘れてはいないがそれらを味わうことはなくなった。

思えば酒の力で気持ちを動かされていた毎日。酒に力を借りずとも情感の変化は起こせる。酒の力を借りると制御が難しい。酒を飲み始めて抜けきるまでの時間は生活時間の半分くらい。その間、体も気持ちも左右されていたんだと改めて思った。
酒を断って都合の良いことばかりではない。酒を飲まないとできないことがひとつだけある。美味い料理を味わうときにワインが飲めない。

ワインは美味い料理を一際引き立てるし、美味い料理がワインも引き立てる。美味いワインだけ飲んでも料理がないと旨みは半減する。どうしてワインが料理を引き立てるのかは専門家に任せるとしてワインしかその役割をこなせない。

酒をやめてワインが味わえないことだけが悔やむこと。ならば、「美味い料理を食うときだけワインを飲んだら良いじゃないか」と万人に云われますが私は軟弱だからそれができないのです。

愚かにも「昨日飲んだら今日飲んでも同じだよ」って毎日になってしまうのです。はい、何度も何度も失敗を繰り返しました。
酒をやめて都合が良くなったことを挙げておこう。体がとても快調になった。肝臓や内臓の悪いところはなくなり胃腸 内視鏡検査でも奇麗になった。予想をしていなかったのが血圧。150/100だったのが130/85と正常範囲。酒が高血圧を作っていたなど想像もしなかった。

酒が快眠を誘うと思っていたが眠りは酒がない方が深い。自律神経も酒によって乱されることがないから下痢など心配なく朝から冷たい牛乳が飲める。

予期せぬ事のもうひとつが食が変わった。醤油や味噌から離れる海外旅行が苦痛だったが日本に居ても食べない日が長いときもある。嫌いな食品ができたのではなく好きな味や食品が増えた。甘いものをあまり食べなかったが今は大好き。

もうひとつの大きな変化が時間の使い方。夕方に酒が入ると寝るまでにできることは限られる。早い話が「ぼーっとテレビを見る」くらいしかできなかった。読み書きもできないし自転車や車にも乗れない。酒に拘束される時間から何でもできる解放された時間に変わった。
これからもお酒は飲まないでいよう。飲んでいるときの人生と飲まなくなった人生を比べると飲まない人生が楽しいから。

でもこの決めごとを破る日がくるかもしれません。三年前に酒をやめてから数ヶ月後に台所の整理をしていて酒を見つけました。ワインの瓶が四五本とシェリー酒やマッカランなど。どれも高価なものでワインは今や手に入らないものもあり、そのまま床下食品庫に置いてあります。

売ってしまおうかと考えた末に置いてあるのは「死期が来た」と自覚した時に飲もうかと思ったからです。私が愛した酒を最後に飲む機会があってもいいじゃないかと。その時にワインの味や香りが分かる状態か、飲んで気分がよいかどうか分かりませんが、酒を愛し楽しんだ人生の締めくくりに一番似合う姿じゃないかと思います。
京都の京阪タクシーの社長が逮捕され、関西のタクシー会社三社が逮捕された。容疑はJRAの競馬情報誌だけをタクシーで運んだから。昔は人が情報誌を持ってタクシーで運んでいたが、何時の頃からか人が乗らなくなったと。

このニュースを聞いて呆れた。いったい情報誌だけをタクシーで運んで、社会秩序の何を乱すのだろうか、いったい誰が損害を被るのか、そんな法律を楯に警察活動や裁判などが公費で行われることこそ、税の無駄遣いで悪いことではないのかと。

与那国島へ行ったおり、帰りのJALが一時間近く遅れた。石垣の埠頭近くの宿に荷物を預けていて、伊丹行きの乗り継ぎ時間で引き取りに行くはずだったが、引き取り往復の時間がなくなった。石垣空港からタクシー会社に電話して宿から荷物を引き取って空港へ持ってきてもらうようにお願いしたら、即答でOK。きっちり乗り継ぎに間に合いまし たが、あの会社も、依頼した私も罪人だって。あほかっ。

僻地の自治体赤字バスをなくすために、民間人が人間を運んでも良いという発想を持つかとけんとしましては、もはや封建時代の法律にしか思えない。士農工商の身分をまたがって、職業を犯してはいかんとね。
  
ともすれば誰もが間違いやすいことを言わせてもらいます。

一等の速い人が優秀で、二等がその次に優秀。最後尾の遅い人は劣る人と勘違いしてはいませんか。私は、このように考えています。速い人は速いことを楽しんでいる人。遅い人は時の流れを楽しんでいる人。速い遅いは人の優劣とは無関係です。

私が会社を経営していることを知った方は「何人ぐらい社員はいるのですか」と必ず聞きます。会社の規模が大きければその企業は立派な仕事をして、社会に貢献している。規模の小さい会社は何処かの大きな会社の寄生虫のように、みっともない仕事をしていると勘違いしてはいませんか。雪印の食中毒、JR西日本の殺人。水俣病は何年前の罪?大企業が犯した罪を数えればきりがない。かといって小企業も罪を犯します。企業規模に関係なく社会貢献ができる会社と、できない会社があるのです。

私はこう考えています。小さい企業ほどきめ細やかな仕事ができて、社会評価が分かりやすく、頑張りがきく。聞くところによるとイタリアは80人以上を抱える企業は会社全体の1割にも満たないらしいが、イタリアの製品を世界中で欲しがっている。

有名で難関大学を卒業した人と中卒の人。どの学校を卒業したかで人の優劣が決まるのではありません。東大を出た罪人もいるし、中卒で社会貢献をする人もいる。学歴に関係なく、今の私がどうなのかが問題なのです。

自分の人生を大いに楽しむ私、社会にしっかりと貢献する私。もっともっと、優しくなれる私。そういう私になりたい。
  
加藤さん、奥様の自転車は十分強いですよ(笑)。凄いコース毎回完走してますもん!

「奥様は強い」って云われるけど、僕に「強い」って誰一人云ってくれないの。同じ高さの山を登ってるのに。

何日も自転車に乗って旅をするのは「奥様が偉い」って、誰かが言ったけど、僕も同じだけ何日も走っているのに、誰も偉いって云ってくれないの。

「雨でも合羽来て走る奥様は凄い」って誉めてもらうけど、僕も重い荷を積んで雨の中走ってるんだけど、誰も誉めてくれないの。

どうしてなの、ねぇ、ねぇ、ねぇ。
  
私は刃物が好き。と言っても物騒なのは持たぬ。道具としての刃物が好き。折刃カッターは頻繁に折って 切れ味を最高に。ハサミの種類を混ぜこじゃにしないのは、紙切鋏で他のものを 切ると直ぐに駄目になる。
植木鋏は使うと樹液で動きが悪くなるから使えば油砥石で研ぐ。たいがいの液はあの時の液体のように動きを滑らかにするのに、樹液はねえ......。


家の包丁を研ぐのは私の仕事。三日と空けずに研ぐ。
切れない包丁ほど歯痒いものはない。 切れない頭も歯痒ければ、 切れないうんこも歯痒いだろっ。 切れの悪いしょんべんも「ええかげんにせんかいっ」って己に怒鳴ったりして。

商売で
切れの悪い返事をもらうと肩が落ちる。それで 切れたらキレ..がない?。

彼女の便りが
切れてほっとするカトケンもいれば、同じ相手に惚れ込んで 切れ目無く私財をつぎ込む者もいる。かとけんが綺麗に 切れたと喜んでいたらDNA鑑定であんたの子だって云われたが、 キレ者が鑑定ミスだと 切ってくれた。

人の体を
切って生 きている奴がこの世にいるのはどうなんだい。お医者様。たまにガーゼを忘れたくらいは許せるよ。術中に入れ歯を置き忘れたって、いったい歯でなにしてんだ よっ。えっ、患者は美女で局部を蜂に刺されたって、蜂のトゲを抜くには入れ歯が最高の道具だっっっっっっってぇ.....。

今日はこのあたりで一旦
切りましょう。
昨年の秋、会社の隣のガレージに三匹の子猫が捨てられているのをスタッフが見つけた。ダンボールに毛布を入れて食事を与えるようになった。抵抗力のない子猫達は結膜炎にかかって目が開かなくなった。ほっとけなくて、薬局へ行き抗生物質を売ってもらえないか聞いたが駄目。自宅のワンとニャンが行く病院の先生に訳を言って薬を分けてもらった。食べ物に混ぜて与えると三匹とも三日で治った。

冬の寒さが厳しくなる年末に一匹がいなくなった。正月が明けてもう一匹もいなくなった。探したけれど全く痕跡がない。残った一匹は寂しいのか、箱に入ったまま動こうとしない日が続いた。見るに見かねて事務所の中へ入れてやった。

tasmania.jpg 人の出入りがある度に怖がって事務所の外へ出ようとする。しかたがないから寒いけれどドアを少し開けたままにしている。クロと名付けたその猫はなついた。二度のワクチンを打ち、春になったら不妊手術もする。クロも、家で飼っているグーも、捨て猫だ。 可愛い。   

事務所には飼い猫が一匹います。この猫は野良猫の子供の時に可愛そうになって飼いだしたのです。事務所の周りには野良猫が数匹いて、スタッフのひとりが野良猫にも食事を与えていました。私も動物を見ると情がうつって、情けをかけたくなる性分なので、それはあたりまえのことと思っていました。

半月ほど前にビルの管理人が変わりました。その管理人夫婦が猫嫌いで、野良に食事を与えるなと怒鳴り込んできます。何度も怒鳴られたスタッフはこれ以上問題が大きくなって、会社がビルから追い出されたりしたら困るから、野良に食事を与えないようにすると云います。

初日はいつもの時間に裏のドアの前に二匹が並んで、「ニャーーン」と催促をします。もらえないから窓のガラス越しに「ニャーン、ニャーン」とこちらを見て鳴きます。スタッフの彼女をを見たら泣いている。可愛そうです、両方とも。

二日目も、三日目の今朝も同じように鳴きます。両方とも可愛そうで..............。   

連休が明けていつもの仕事に戻った。連休前には元気な顔を見せていた野良猫の姿が見当たらない。いつも朝夕に事務所の裏の路地で私を待っていて、餌をあげると体を擦り寄せてくる可愛い奴。凍える日も、熱帯夜も、たくましく生き抜いてきた野良。

スタッフに聞くと連休の合間に、六軒先の家の前に「猫」と書かれた段ボール箱が置いてあったと言う。

あいつでなきゃ良いのだが。今までも三日ほど顔を見せずに心配かけた奴。
今度も帰っておいで。死んだかって思うと、ぽっかりと心に穴が開き涙ぐむ。

帰っておいで。
  
前回の東京は久しぶりに千駄ヶ谷から原宿を歩いたが、途中で歩いてくる若い女性に駅を尋ねた。

「ごめんなさい、原宿の駅はあっちですか」
「たぶん、そうでしょ」

と顔の向きも変えず、目も合わさずに素っ気ない応え。嫌だねぇ。
昔、江戸という立派な庶民文化があって人情も厚くて濃い良き時代。その全てを投げ捨ててしまった東京。膨大な経済活動が行われる場。それがあの若い女性のような、冷たく凍えそうな人の接し方に現れるんだ。東京は貧弱な心の人を作り出すには充分な環境を提供している。東京の人が全てそうだと言う訳じゃないが.......。

すれ違う車や単車から友好の声援をくれた台湾や、落雷から救ってくれた恩人が暮らすNZなど、自ら手を差し伸べて人と人が温かい関係を作ろうとする姿が大好きだ。

私は東京へ遊びに行きたいなどと微塵も思わない。そんな時間があったら、もっともっと楽しいところを選ぶ。東京で暮らす人も一週間の休暇ができたらどこかへ行きたいと思い、東京で遊ぼうとは思わないでしょう。それは、経済活動にとっては好都合でも、人が暮らすには良くない環境だということを、無意識のうちに感じているのですよ。

日本の首都東京。もっと心豊かな都市になってくれ。せめて目を見て話そうや。
  
tasmania.jpg
tasmania.jpg
彼の奄美の加計呂間島で拾った貝やガラス。こんな風になりました。

tasmania.jpg
トップを石に変えて、こんな組合せもできます。

tasmania.jpg
蝋燭の材料、パラフィン粉末を溶かしてプラ段で作った型に流し込み、その中に加計呂間島で拾った貝やガラスを入れました。リビングのテーブルは石柱で充分ですが、皿が置ける小さなテーブルが欲しいなと思っていたところで知恵が働いたのであります。

tasmania.jpg
大きさは一辺が330mm中には8wの消費電力で40wの明るさの昼光色電球型蛍光灯が入っています。蝋燭も良いのですが高くつきます。

実は一回、大失敗をやってます。それは炊事場でやりました。型枠をバットに入れた湯の中で溶かした蝋を流したのですが、二面目を流したらなんぼでも入る。これは隅に穴が開いてるぞと気が付いて中止。で、バットの液体が湯の上に蝋が沢山溶けているのを気付かずにキッチンの流しに捨てたところ、蝋が固まってパイプが詰まったのです。外の下水口を開けるとそこまで詰まっておる。距離にして3m。熱湯を使ったり、パイプを外したり。それはそれはたいへんでした。

でその失敗を生かして今回は外でやりました。すっと問題なく出来上がり。工程は書きませんが、これでパラフィンを使った工芸品を作るノウハウは完璧。今回は貝やガラスという海水浴のイメージだけど、桜の花びらを散らしたり、もみじを透かしたり.......。ふふふ。知恵は巡り回るのですなぁ。


オーダーご注文も次の仕様に限って受け付けましょう....。くるっと括った使用済の避妊具の数々を何時も透かしてみたいと思う人がいたら、液体の入った実物を送ってきなさい。
tasmania.jpg
赤や黄色や水色に金色..綺麗だよっ。

日付と相手の名前をゴムに書いても構いませんが....。あの方の場合は.....。
「魚屋のおばはん2007-03-01」
「魚屋のおばはん2007-03-08」
「魚屋のおばはん2007-03-15」
「魚屋のおばはん2007-03-22」
「魚屋のおばはん2007-03-29」
「魚屋のおばはん2007-04-07」




と、日が変わるだけだから面白くも何もない。でも、書きたいなら書きなさい。

どなた様も貴殿の勃起チンコを再現したくば、チンコを蝋に浸して型を取って送ってきなさい。凹凸を逆転して側面にニョキッと出して再現しましょう。でも、小さいなぁって思うこと間違いなしだよな。

お嬢様も奥様も是非お願いしたいと聞こえたりしますなぁ。考えたけど書くのはやめた。だって、恥ずかしがり屋だも~~ん。

俺の思考回路ってどうなってんだろ.......。ヨネや~~ん。
  
中国からの留学生。これまでに会社で教育した学生は三人とも中国人で京大留学生。その一人「李麗」とは彼女が23歳の時に京都のバー で知り合った、けっこう可愛い女の娘。

パソコンの勉強がしたいというので、昼の空いているときに来て手伝い方々、色々教えた。日本へ 来て六ヶ月目だと云うのにけっこう日本語を話せるのですが、まだまだ覚えている最中。

当時、昼ご飯は毎食みんなで外で食べる日課で、 その日も
「おーーいっ、めし行こかー」 と皆に声をかけました。ぞろぞろと餃子屋へ.....。

翌日の昼時、李麗がいきなり
「めし、行こかー」 と大きな声で言うのです。

「おいおい、おまえ女の子だろ」 って云ったものの、きょとんとした顔で真剣にこっちを見ます。 「いや、間違いじゃないけど、日本には男言葉と女言葉があるんだよ」「ご飯に行きませんか」 と云いなさいと教えました。

翌る日も
「めし、行こかー」 と大きな声で言う李麗。しまったなぁ。   
中学、高校の六年間も英語の教育を受けながら全く英語が話せないし聞き取れなかった私。大半の方は大学を含めると十年の教育を受けている。この国の英語教育が間違っているのです。

成績が第一にあるからそれを測るには試験が必要。試験は紙で行うのが簡単。だから読み書きの英語になってしまう。確かに英語を声に出した記憶もあるが主体は試験のための読み書き文法。

生まれてきた子供が母国語をどのように学んでいくかを見れば、英語の教育がどうあるべきかは歴然としている。母親の言葉を聞き取ることから始まって、真似て話すのが次ぎ。その繰り返しで母国語は聞いて話せるようになる。そうなると読みたい書きたいに繋がる。

日本での英語教育は小学からテキストなしで聞く話すだけを繰り返し、中学も同じ聞く話すだけ。高校で読む書くの少しだけ行って、徹底的に聞く話すを行えば他国民と同じぐらい英語の話せる人が生まれると思う。私の毎朝のNHK英語はテキストを見ないでダイアログを何回も聞きます。知らない単語と、知っていても意味の分からない部分を明確にします。そこで初めて母親に聞くがごとくテキストを見ます。そしてテキストを見ずにダイアログを聞き、声に出して全文を話して覚えてしまいます。覚えたら二日間、何度も何度も繰り返し声に出して話す。です。
  
私が二十歳で会社に勤めていたとき。同じフロアーで50人ほどが事務の仕事をしていた。その中にヨネやんという五十過ぎのおっさんが いて、酒と麻雀が好きで仕事はろくにできないが、宴会などでは世話役を買って出るタイプ。口は悪いが何かにつけて笑いの種を見つけて は皆を楽しませるおっさん。

毎日のトイレ。あのころの私のうんこは和式トイレの地面より上まで盛る量。時には流すときにうんこの後ろ に水が溢れんばかりに貯まって、ドソドソドソって前に落ち込んだはよいが、今度は前が大量に埋まったもんだから便器から水が溢れそう になって、あわやというところでズッボーと流れて、ほっとする事しばしば。

ある日、断水の放送を聞き漏らしてトイレへ。いつもの山盛 りうんこを終えて、レバーを足で踏むが水が出ない。何度踏んでも出ない.......出ない。

そっとトイレから出て、黙って席へ戻って知らぬ 顔で仕事.....仕事。

10分ほどして、ヨネやんがフロアーじゅう聞こえる大声で
「誰じゃぁ、断水じゃっちゅうに糞した奴は」「しかも大山盛りの糞だぞぉ」「貴子さん見てきてみぃ」.....。

ひやひやしながらばれるまいと、書面を見ておとなしくする私。そこえヨネやんがツカツカと近づいてきた。 「かとけん、おまえやろ、あの糞は」「あんな大量の糞はお前しか出さんわ」「どうじゃ、白状しろっ」。.......

「すんません、水が出なかったんです」.......フロアーの50人ほどが腹を抱えて笑いまくる。べそをかく私目にヨネやんのたたみかける 声。

「工場の井戸でバケツに水汲んで流せっ」「早よ行けっ」

バケツで流そうとするが一杯では到底無理。何度工場を往復したか覚えてないが、途中からヨネやんが 「まだ流れんのか、三回目やどっ」 と大声で言うもんだから、日高姉さんも高田姉さんも、お姉様方皆くすくすと笑っておられます。

二十歳の臭い思い出。。。。で。。。し。。。た。
  

へ戻る