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不義理

長浜に家を買うことになったのは少し前に吉田さんと押谷さんに近くの野瀬にある古民家を三軒案内してもらったことがきっかけ。

買った家は別の会社が仲介していて二人には不義理をすることになる。仲介は専任契約だから回し売りもできない。二人に何も云わずに買うことは嫌だとすぐに思った。吉田さんには古民家をやめると決めた後も長浜の物件を見ている自分が居ると伝えていたし、吉田さんからも情報が入っている。

世話になった人に黙って別の物件を買い、そのことを伝えないというのは私の生き方で嫌うやりかた。買うと決めて一番に吉田さんにメールした。不義理をするけれどこれからもお付き合いを望みます。ごめんなさいね。と。

吉田さんでなくとも誰でも不愉快になります。一日かけて古民家を案内して、ひと月も経たないのに近くの別物件を買うんだから。それを承知で、嫌われることも覚悟でメールしたのは、正直に生きるという信念みたいなものなんです。

一週間経って昨夜にメールがきました。おめでとうと。そして近くへ行くことがしばしばあるから寄ってお会いしますと。

寛大で優しい人ですね。そう見たからお付き合いしたいと思ったのだけど、とても嬉しいです。まだ返事のメール書いてないんですが。

隣近所



角地に建つ家は南と東が7m道路。東には道を隔てて大きな池。北側は空き地で南側も家はない。西隣に家が建っているだけで見晴らしは広々としている。これも買う気になったひとつです。窓から見えるのは遠く山を背景にした水田風景。ムチャクチャ静かです。車が通りませんから。

エアコンを設置した形跡がない。考えると周りに家がなく風通しが良いから涼しいのだと思います。大津の自宅でもエアコンは使わないけど涼しいに超したことはありませんから。床下も見せてもらって湿気とシロアリなどの状態を見ましたが、からッからに乾いていてアリもいませんでした。

いくらで買ったかといいますと七百万円です。土地の広さや写真で見る家の確かさから790万円の売り出し価格は安いと思って直ぐに内覧をしました。買うことで進めましょうと不動産屋さんに言うと790万ですが600万で売主に交渉してみますと云われる。そんな馬鹿なと思いつつ帰った。

二三年前にご主人が亡くなって奥様一人で暮らしておられたが、足も悪く一人住まいが心細く、嫁いだ一人娘さんの大阪で暮らすことにして売りに出されたのです。その奥様の気持ちを思うと600万は気の毒過ぎると思って、私から700万にしてくださいと申し上げたのです。

住み慣れた家を実際に手放すのは誰しも寂しいのでしょう。売りますという返事が二日ほどなかった。心の中ではこのまま売らないでいますと云われても奥さんや娘さんの気持ちを思うと、そっとしてあげようと諦めかけていた。そこへ700万で売りますという返事が来たのです。

たった700万です。信じられない価格だと思うのは、大津の自宅土地家屋の固定資産税よりも買う物件の固定資産税のほうが高いのですから。間違っても大津の自宅を700万では売りません。それくらい安いのです。700万では天井が開くドイツの高級車は半分しか買えません。

週末住宅



長浜に家を買うことにしました。小谷城跡の近くで山裾の静かな片田舎。周りの星印四つが温泉で車で五六分。市街から十キロほどで大きなスーパーも近くだし不便はない。

敷地が二百四十坪と広く純日本建築の家は大津の自宅より広くて大きい。売り情報の写真を掲載しようとしたが昨日から売却済みで見れなくなっています。詳細は後日載せます。築23年の家屋は補修無しで入居できる綺麗な状態。一箇所だけ瓦のズレから雨漏りがあるので直ぐに修理します。

現地で内覧して直ぐに決めました。土曜日が契約と引き渡しでこんなに早い取引は初めてだと不動産屋さんが言います。日曜はカミサンと掃除に入りますが役所などを回って水道と電気を通してからでないと何もできませんよね。

スギ花粉

寒波のあとにくる暖かさで花粉が飛び始めるとある。何時もなら今頃から抗ヒスタミン剤を飲んでアレルギーに備える。

今年はやめてみようと思います。どれくらい炎症がでるのか、辛抱できる状態かどうかを見極めてひどいようなら飲む。軽傷ならそのままやめる。

カミサンが一時はひどかったのにここ数年は飲まなくても大丈夫。環境としては五年前に比べて桐生の山中での作業が増えたから花粉の密度の濃いところでの生活に変わっているのに軽傷になったのです。

私も同じようになっていると良いのだが。

確定申告

昨年の申告時に帳簿をつけて貸借対照を行うと控除額が増える方法に申請していた。その新しい方法の帳簿を作っている。

会社でやっている方法と同じだから難しくはないのだが一からデータベースを作るなど時間がかかる。これも節税の対策なのだが税金というのは本当に腹がたちます。税金が高すぎるのがです。沢山とって無駄な使い方をするから腹がたつのですが、対策としてはケチでも節税しか手がないのですね。

今日もガンバ。

湖北

長浜の古民家を諦めると言った自分ですが、あの辺りの中古住宅をネットで見て回る自分がいます。

今の湖北を想うと寒くて雪が積もる厳しい地。桐生と少し違う風雪の地です。野瀬の山間を尋ねた時はまだ暖かかったけど古民家は隙間風が寒さを倍増しているでしょう。

しんしんと降り積もる雪の中に居た幼少の舞鶴を思い出します。長靴で雪を踏み込んで通った小学校。雪解けの茶色に染まって融けていく雪道。雪には雪の風情が通います。魅力ですね自分には。

雪遊びが終わると春風を受けて自転車や山歩き。ヨットで澄んだ湖を走ったり、楽しいことが頭の中を巡ります。

やめると言った口元が乾かぬうちに買いたいという自分。それも自分です。自分に正直に生きればいいじゃないですか。

花葬

早朝に孫がお母さんに連れられて来た。布団に横たわって動かないグーチャンを三人はじっと見つめていた。生まれて初めて死ということに出会った二人の孫。どう感じただろうか。

大津の火葬場を訪れたのが初めてで、高台からは桐生でいつも見ている湖南アルプスが薄っすらと雪化粧して見えた。湖面から湖畔の山にかけて雲海のように霞が漂い、とても綺麗だった。

火葬の前に皆で手を合わせ無事に天国に着くよう祈った。一時間ほど待って焼いてくれた方の案内で骨を拾ったが、その方の言葉に「人が家族の骨を拾うときの悲しみ方と、一緒に暮らした猫や犬の悲しみ方は随分違います」と云われた。焼かれる猫や犬の前で思いっきり泣いて離れようとしない方が多いと聞いた。

骨壷を手に帰り際、孫に言った。「お爺ちゃんもこの場所で焼いてもらうんだよ。骨拾ってね」と。

ニコッと笑って「うん」とだけ言った。

もう一度会える



三人に看取られてグーチャンは眠りました。苦しむことなく優しい顔をしてスッと息を止めました。

グーちゃん、立派に生きたね。最期まで生きようと頑張ったのがありありと分かるよ。でも最期というのは必ず来るんだ。静かにそのままの気持ちでいてください。

天国にはラグーが死ぬ前に今のお家と同じものを建ててある。ラグーは其処で楽しく暮らしているよ。グーチャンも道に迷わないで真っ直ぐに向かいなさい。ラグーに迎えに出るよう頼んである。

着いたら一番に水を飲んでご飯を食べなさい。一週間も食べてないんだから。落ち着いたらラグーと昔のように衝突ごっこして遊びなさい。ラグーにブチ飛ばされてもへこたれるなよ。

君は生前に何度か生き物の命を奪った。そのことは赦すけどツバメのグーチョキが天国のお家で一足先に着いて暮らしている。見つけても絶対に噛み付くな。それだけは云うことを聞いてくれ。

俺もお母さんも婆ちゃんも、みんな近いうちにその家に行く。それまでラグーやグーチョキと楽しんで暮らしていなさい。俺達が到着したら宴会をしよう。

なっ。

生きよう







急落

昨日まで日本の株価が勢いをつけて下がっている。今朝のNYダウも下がった。原油も為替も年初から急変している。

これらの投資対象は資本主義が始まった頃の機能ではなくなってマネーゲームになっている。金稼ぎだけが目的の投資対象です。

年末までは投資さえすれば儲かって高級品を買い漁った人も多いでしょう。その人の実力ではなくゲームの時期がそうしただけです。実力がなくとも金を稼げたのですが年初からの動きは放物線を描くように下落が始まったと思えます。

投資を続ける人は必ず損を出します。今まで買った高級品を売りに出すほど損を出します。実力で稼いだのではない事がその時に分かるのです。

安倍政権になって好景気が続いていましたが実力で実現したのではなく、そういう時期に政権を担当しただけなのです。これから下がり続けるとしたらその時に実力が浮かび上がります。

私も十五年前までは株の売買をしていましたが今は止めました。株で手に入れた金は直ぐに消えていきます。手に入れた時も働いて稼いだお金のような喜びはありませんでした。損をしていく時には虚しさだけが心に残ります。そういう無機質な生活に転落していくのが嫌でやめたのです。

寒波

本気で寒くなりました。

押し入れで使うキャスターワゴンを作るのに山に入って二時間弱の木工作業をしたが、寒くて寒くて退散。風が強くて体温を奪うから余計に寒い。

自宅の中は薪ストーブを焚くからTシャツで過ごせるが、中にいれば外の寒さが分からない。気温差が二十度を超えていますね。

日本の家庭の暖房は暖房と云うにはお粗末すぎると何かで読んだことがある。欧州では室内が23度以上でないと暖房と云わないそうです。しかも一部の部屋だけでなく家全体の気温です。

家中どこでもTシャツで過ごせるというのは体がとてもリラックスして快適なのと、薪ストーブは体の芯から暖まります。階段トレーニングをすると薄っすらと汗をかきますが、真冬にサウナ以外で汗をかくのはあまりできないことです。

半年の間、薪ストーブに世話になりますが、そのための労力は大変です。でも、この暖かさは労力を超越して快適だからやりたいのです。

水だけで

横たわったままで口元を水で濡らせてやって、それを舐めることから水飲みが始まる。茶碗に入れた水を口元に置いてやると時間はかかるがペロペロと飲む。

一日に何度も水を飲ませると徐々に元気が出てきた。階段の五段くらいは登るようになった。寝ていてもぐったりとはしなくなった。

次は餌を食べて欲しいとカミサンと一生懸命仕向けている。いつものように餌を口元に持っていっても顔をそむけて嫌がる。擦り餌にして私が手で口を拡げる間にカミサンが指で口の中に入れる。嫌がって泣くが吐き出すのが半分で飲み込むのが半分。

一回に豆粒ほどの大きさを四粒くらい食べさせている。そうする給餌が二日目になるが少しでも消化が進めば一段と元気になるはずだ。

グーちゃん、頑張れ!

傍にいて

日曜は山で作業をするのが普段の生活になっているが昨日は自宅にずっと居た。

押し入れや物入れに入っているものはエイッと気持ちを入れないと綺麗に整理できないもの。一番よく使う押し入れに入っているものを全部出して、捨てるものを選びながら同類の物を集めて小箱に入れたり整理する。出し入れしにくいレイアウトは変えて詰め込みすぎないのがコツ。

入り切らなかった物が入るようになったし、思わぬ物が見つかったり。一年に一回くらいすると良いのですがねえ。

何ヶ月もかけて家中の物入れを整理中です。こうして不要物をなくし出し入れが気持ちよくできるように変わっていくと生活自体が快適になるんだから素晴らしいことです。

グーちゃんを診ながら整理をする。看病の甲斐があったのか少し歩けるようになって今朝の雨音を聞いて玄関まで歩きました。雨の中の散歩が大好きな猫なのです。

サイクリング

重い気持ちをなんとか晴らそうと寒いけど自転車に跨って近辺のトレーニングコースを走った。たった15kmだけど軽く汗ばんで息が弾むと不思議なほど気持ちが軽くなる。体と気持ちが一体のものという見本だね。

小さな体の猫も、大きな体の人間も水を飲むというのは同じ。飲まないと血液が濃くなって循環が悪くなり脱水症状はそれだけで死に至る。横たわって動かないグーチャンになんとか水を飲ませようと何度も何度も口元に茶碗を持っていくが顔を逸らせて嫌がった。昨日の深夜は指を水につけて口元を濡らしてやった。

舌で口元をなめた。何度もやっていると少しは水分が身体に入っている。そのまま口元に茶碗を差し出すと、なんと水をなめた。続いて水を飲んでいる。涙が出るほど嬉しかった。

今朝見てみると昨日より元気が出ている。歩こうとしてヨロヨロしながらも動き出した。深夜と同じようにして水を差し出すと飲む。これは凄い。奇跡の生還を果たすかもしれないぞ。

いのち



私の朝食を察知して先回りして私の椅子に 座って待つのがグーちゃんの日課だった。昨日の朝は私の椅子で朝食を待つことはなかった。ストーブの傍でじっと横たわったまま動かない。何も食べなくなった。

誰かに捨てられてこの家に迷い込んで一緒に暮らすこと18年。いろんな事があったがとうとう最期の時を迎えた。偶然だけど前々日に病院へ行って定期検診をした。食は劣って痩せているから食べるものは何でも食べさせてあげてくださいと云われた矢先。

最期を目の前にして横たわるグーチャンを見て、そっと静かに最期を迎えさせてあげようと思う。思う心に雪雲のような暗くて重い空気がのしかかっている。悲しく寂しい。とても寂しい。あと何日一緒に暮らせるか。命のはかなさを思い知る。



毎晩の筋トレのあとに階段二十回の昇降を欠かさない。その時のカウンター代わりのサンゴのかけら二十個で描く自由画です。

昨年は十片でやっていたが二十片に増やしてみた。描きやすいかと思ったが逆に描きにくい。どう違うのかはっきりしないが例えば人の顔を書こうとしても上手く描けない。抽象的に模様を描くことで慣れを作ってみようという構え。三角の連続を作るとこうなりました。

ところで毎日の階段トレと筋トレで体重は好転しているのかといえば減らないのです。どうしても甘いものに手が出る。その手をどうにかしないと目標の二キロ減量ができないんです。二キロを甘く見るな。

野菜

桐生の山で野菜を作りたいのだが鹿とイノシシの獣害があってやれなかった。防獣フェンスも進んでいるが全体を囲うには一年かかる。

今年はサツマイモを植えてみようと思う。金網で部分的に防獣するのだが手のかかる野菜だと金網が邪魔で世話ができない。芋はほとんどほったらかしでできる。防獣フェンスができたら植えたい野菜はたくさんある。大豆やジャガイモが一番に植えたいのは、やはり手がかからないから。

自分が植えて作った野菜を食べるというのは至極しあわせです。でも野菜は手がかかるから手抜きできるのを選びます。

生活はどう変わる

工務店に改修してもらったり自分で作り直したり、できた末にこの地のこの家で何をするのか。帰りの車でその事ばかり考えていた。

空気が綺麗で静かで落ち着きがある。山の自然の中で植物や動物たちと過ごせる。料理を作っても楽しい。

これらの事は今の生活で充足していないのか。いや、充分に満足できる環境で生活しているのじゃないのか。長浜では隣近所があるし敷地も三百坪としても桐生の山に比べれば狭い。今の生活のほうが過ぎるくらい満たしている。

だったら、何をしに長浜の家に通うのか。桐生で満足しているのに同じ目的を充足するために八十キロ離れた地へ通うだろうか。不動産投資をするつもりは微塵もない。生活の充足のためだけなのだから二重に場を作っても無駄になるのじゃないか。

場面を変えてみたくなれば、それなりの旅館を使えば良いのじゃないか。湖北には隠れた良い場所と良い旅館もある。温泉もある。自転車やヨットで通うとしても結果は同じだ。

古民家を買うことをやめます。心残りなのは案内してくれた押谷さんという野瀬出身の方と吉田さん 。この人たちとつきあいができれば凄く楽しいと直感で分った。付き合えないのがとても残念です。古民家を手に入れてそこで生活することに諦めはつきますが、良い人と付き合えないのがとても残念です。

築百年

家の背骨にあたる太い梁は黒光りして威風堂々と部屋の上に居座る。その曲線と組み合わせの技を見ているだけで惚れ惚れとする。玄関の上がり框や太い欅の柱も、今製材すれば一本で数十万はする木材が使われている。百年経っても木造の良い部分はきちんと残っている。

悪い部分は写真で紹介はない。傾きがあります。基礎をしっかりしただろうが地震や風水の動きに伴って 百年という年月がミリ単位で動き水平を保てないのです。水平と垂直が出ないと窓はサッシに変えられません。網戸がつけられない。すきま風が冬の暖房を損ないます。

決定的なのは床下の損傷。畳を上げて見るまでもなく敷居や床の歪みや踏みごこちで腐敗や虫食いが進んでいるのがわかります。立て柱の基部まで損傷が進むと補修は不可能です。

三軒の古民家それぞれに傷み具合は違いますが、一番ましな一軒でも傾きと床下の損傷があります。補修できたとしても、風呂やトイレの作り変えなどと合わせると素人勘定ですが一千万は下らないでしょう。改築して別荘としてお使いの古民家は見て回った三軒の古民家より小型なのに千三百万の改築費だそうです。

古民家を使うというのは容易いことではないと分かりました。それでも自分の手で改築をコツコツする方もおられます。私も時間があれば自分の手で改築するのが楽しと思うが、人生は一回です。

帰りに改築箇所を連絡するので見積もりしてくださいと言って別れたが運転しなっがら買って補修する総額は三千万以上必要かなと思った。

続きを明日書きます。

長浜市野瀬町

往復とも国道8号を走った。自宅から二時間かからなかったが一時間以上の運転は少し疲れる。

野瀬町の入り口になる谷間に入っていくと日本の古い田舎の佇まいが濃厚にせまる。建て替えられた家よりも古民家が圧倒的に多いのが理由。かと言って空き家も少なく古民家に住む方が多い。谷あいの坂道に寄り添うように集落があるから村の中の道は狭い。

集落の奥に通じる県道はあるが最後は山で行き止まりだから車が通らない。思いっきり静かです。山からの谷川は綺麗な水が流れ、案内の方の話ではイワナも沢山釣れるという。大自然の中の時代を遡ったニッポンが其処にありました。

三軒の古民家を詳細に見て回ったのだけど案内してくれた売り元側の代理人さんはこの村の生まれで此処で育ったから何でもご存知で今の敷地の前がどうだった事も説明してくれる。

二三年前に買われて別荘として改築した方がちょうど滞在しておられて案内人と親しいので、古民家に上がらせてもらって改築のことや住み心地なども詳しく聞けた。集落には三四軒の古民家が同じような目的で外部から入居していると聞かされた。永住の方も居る。村人と新入者とのコミニケーションも悪くないと云われる。

村に三時間ほどいたが、とにかく心休まるというのが第一印象です。近江バスも通う集落で車を走らせれば十分でイオンもある。長浜市街に行けば都会並みになんでもある。高速道の入り口もイオンの隣だし、利便性をもってしても優秀な村でした。

古民家のことは明日書きます。

停滞

今日は一人で長浜へ行く。気持ちが滞って前に進まない。一泊もやめ。

年に何回かはこういう時がある。気が落ち込んで脱出できない。原因になる出来事がこれと言ってはっきりするのではなく、起こることを次から次に裏目に捕らえていくから底へと向かうのが止まらなくなるのだ。

時間の経過が解決してくれると知っているから、じっと我慢するだけ。周りは迷惑だろうと思うなあ。辛抱してくれ。

連休

月曜が休日だと分ったのがさきほど。スマホのカレンダーにジョルテを使っているが休日表示をしていなかったので分からなかった。

三連休で今日は孫の守りだが明日は長浜の古民家二軒を不動産屋の案内で見に行く。長浜では盆梅展が今日から始まる。見たことがないのだがついでなら行っても良いかな。

古民家から歩いて五分の所に温泉がある。車で十分のところにも姉川温泉。小谷城跡近くには須賀谷温泉があってここも車で十分。

須賀谷温泉は日帰り入浴もできるが温泉旅館で三連休だし一泊しても良いかなと思いついた。急な予約が通るかどうか、できれば泊まってみようかな。

争い

世界の政情が不安定さを増しています。サウジとイランの対立も場合によっては戦争になりかねない。そちらに世界の意識が逸れる間にイスラム国が勢力を伸ばしていく。

やられたらやり返すという連続がどんどんエスカレートしてそうなっていく。人というのは争うことを避けるどころか好んでさえいるように感じる。

中国が自国の領土でない地を領土に奪っていく姿を見ていて、争いごとの源に人の欲望があると思う。誰が考えてもどんな資料を紐解いても領土と認められない地を力で奪うのは中国も然りロシアもやる。卑怯者だと世界中の人が思う中で堂々とやるのだから醜さは極悪だ。

奪われる人の気持ちと奪う人の気持ち。そこに戦争になる源がある。人が理性を保って欲望の善悪をきちんと見極める生活を常に行えるかどうかが戦争をなくする根源にあると思う。

人の領土を奪うような国と人は、もっぱら戦争を良くないことと考えないのかもしれない。戦争はあって当たり前と考えるのなら、戦争は絶対になくならない。戦争を無くしたいと思わないのだから。

いきさつ

長浜の古民家を買おうかと思い始めたきっかけはお借りしている桐生の山にある。五年が経過してこの先五年間使わせて頂く再約束の時期が来た。地主さんが借りている山地を売ったり他の目的に使うときは撤退しますという約束はずっと生きている。

もし、そうなった時を考えると自分の土地に薪を置いたり果樹を植えるほうが安定して不安がない。地主さんにお借りしている山地を譲っていただけるか話をしにお伺いしたのが11月。

事情は分ったが先祖からの土地だから売りませんと云われた。続けて今までどおり使いなさいということで落着した。

その話の前後に、もし買うとしたらいくら位が相場なのかを調べるのにネットで土地や山地を探した。探すうちに古民家が意外に安いことが分って古民家ばかり見るようになった。そのうちに遊ぶための家として買ったらどうかと思うようになってヨットでも自転車でも行けて、車でも一時間あまりで行ける長浜に気が向いたのです。

ヨットでの外泊を軽視していたが大型ヨットなんだからと泊まってみると思わぬ新鮮な気持ちになる。同じように田舎の静かな古民家に泊まるとそれなりに楽しいだろうと思う。

只々、やりたいことが多すぎるから時間を回せるかどうか。一年に何泊するか、清掃や手入れなどに使う時間も考えています。その前に来週辺りに現場を見に行きますが。

お国柄

挨拶まわりの移動中に小用を催して公園のトイレに入ったら清掃中だった。二人の方が清掃されていたので引き返そうとすると「どうぞ使ってくださいよ。足元に気をつけて」と声をかけられた。

用を足しながら日本のトイレ事情は優れていると思った。ローマの美術館でトイレに入るにはトイレ門番に入場券を見せないと使えなかった。フランスの交差点にあるパン屋さんの店先には沢山テーブルが並んで、皆が食事をしているのにトイレはなかった。

トイレ事情の悪い国へ行くと何時も思うのだけど、この国の人はおしっこを私の倍以上溜められるのだろうかと。

不自由な国では常にトイレのあり場所を考える生活をされているのだと思います。日本にそういう国から来られる方は日本の便利なトイレ事情まで知らずに来て、自国並みの習慣で過ごすと思うけどそのことに不自由はない、日本人が海外へ行くと、とてもとても不自由ですが。

挨拶まわり

雨が一粒も降らなかった正月休み。暖かくて夜は薪ストーブを焚かずに寝たが梅が開花するのもわかりますね。 昨日は孫にも手伝ってもらってブドウの剪定と新しく植えた苗木の防獣囲いをとりつけた。孫と長く一緒に居る時間も来年までお預け。

今日からどの会社も仕事。年始周りも二十年以上続けているが、やはり気が引き締まる一日です。会社を興したころは三日ほどくまなく回ったがこの頃は上得意さんだけにしている。

さっ、車中朝食で出発じゃ。

近隣ハイク



桐生の山道を四歳から九十二歳の御一行様が練り歩きます。なだらかな道とはいえ山道。一番高いところでお弁当を拡げると春先のような陽射しが温もりをくれる。

二時間のハイキングの後は近くにある金勝寺へ車で向かう。石山寺より建立は古く、高くて険しい山中にあって訪れにくい寺。愛犬と歩いて登ったのが二十年ほど前。当時の景観をほとんど覚えていないが途中から歩けなくなったラグーを抱いて帰ったのは覚えている。



静かに苔むした境内は冷たく神妙な空気が流れている。長く急な階段を登ると迎えてくれるのが仁王さま。



自宅の近くにこんなにも古い歴史の痕跡が残っている。廃寺になっているが狛坂寺跡や磨崖仏も山中にある。次にはそこを訪れてみよう。

歳をとっても

最近なにか大きな事をするときに「もうすぐ死ぬのだが」と考える。山に薪の長城を積み上げていく時にも、積んだ薪を運び出せなくなる時のことを考える。借りている土地 だからそのまま放置できないから誰かに頼んで運んでもらうとか、ごみ処理に出してもらうとか。

長浜の古民家を買おうかと考えるときにも、行き来できなくなったら空き家になってしまう。その時に売却などの処分を考えると歳だから買わないほうが無難だろうかとも考えた。

体が思うように動かなくなるのは間違いなく訪れる。思考能力が衰えてまともな判断ができなくなるのも確実にくる。人は死ぬのだから何時かは人らしく生きていられない日が来る。

だからといって、まだ正常な時に行動や思考を止めてしまうのはもっての外だと思うようになった。長浜の古民家も今から何年使えようが、使うことで数年でも生活を楽しめるのなら買えば良いと考えるようになった。何時かは必ず死ぬけれど、今、死を待っているような生活をするなと自分に言い聞かせる。

お雑煮

結婚してから四十年、お婆ちゃんが作るお雑煮で正月を過ごしている。白味噌仕立てで大根とニンジンが少し入りお餅を入れる。若い頃はお餅を四つも五つも食べたが今は二つで物足らなくとも辛抱する。

おせちの煮しめはタラの煮付け以外全部家で炊く。それがとても美味しいので三が日持たない歳もある。借りている山で採れる椎茸やタケノコや栗もおおせちに登るようになった。

今日、孫達は父親の実家のある宇治へ行く。静かで落ち着いたお正月が過ごせる。でも、じっとすることができずに何かで動き回る性分は、こんな日もダラダラできないんだなあ。

桐生の山を歩いてみようかな。

新年



新しい歳を青空で迎えました。おめでとうございます。

孫と山へ行って松と竹を切り出し、梅が咲いていたので切ってきて作った門松です。二時間ほどの工作で一人前のできあがり。今年も創るという楽しみの生活を続けます。

今、大きな買い物を企んでいます。長浜にある築百年近い二百五十坪の敷地に建つ古民家を買おうかと考えている。山野に囲まれて温泉が近くに二つもあって長浜港から15kmはヨットで行っても自転車で行ける距離。自宅から87kmの距離は名神を使えば車で一時間ほどで行ける。

別荘は持たないと決めているがヨットでの外泊と同じように近くに泊まれる家があっても楽しいんじゃないかと思うのですね。二時間以内で行ける宿泊地。千六百万はそんなに高くないので気持ちが傾くのですが。

褒めてもらって



山の薪ストーブでシフォンケーキを焼いて三段に切って中に自家製ヨーグルトやアーモンドを挟む。仕上げの赤いシロップが花梨の実で作ったシロップです。

花梨はご近所の庭の二本の木に成るものを毎年いただいていて、そのお礼に作ったケーキ。昨年に同じように作って食べてもらったら「買ってきたみたいに美味しい」と褒めてもらった。今年の実をいただいた時に「栗の渋皮煮を食べますか」と聞くと「昨年のケーキをもう一度食べたい」 とリクエスト。嬉しいですね、そこまで覚えていてくれるのは本当に美味しかったんだ。

昨年にどんな作り方をしたか覚えてないんです。だから今年は違う味に仕上がっています。どう言ってもらえるでしょうか。お皿を返してもらう時が楽しみだ。

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