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三月のおわり

昨日は久しぶりに五人で山に入った。暖かく日差しもあってスッキリした春日和。九十歳の婆ちゃんが山を歩き二歳の孫が後ろを着いて歩く。

オタマジャクシも水路で孵り元気いっぱい。冬眠していた亀や蛇の姿はまだ見ないが起きたでしょう。タケノコを探すがイノシシが掘った跡はあっても人の目にはまだ見えない。

自分の体も徐々に元気を取り戻していくのが手に取るようにわかる。来週は四月に入る。動きを活き活きとさせるぞ。

55日は

今までの倍の日数旅で少し違うことがある。歯磨きやシャンプーリンス、蚊取線香などの生活用品を持っていく量が増える。電動歯ブラシが一ヶ月以上になると充電器が必要になる。

すべて持ち歩くと自転車が重くなるので着いたら分けてローマに半分送ろうと思うが海外で宅急便が届かなかったら諦めるしかないと思うし買えない薬なんかは送らないでおこう。

長期になって散髪をどうするか。国内では自宅で自分が散髪しているが、正確には後頭部だけはカミサンに切ってもらう。二ヶ月も散髪しないとむさ苦しいんだなあ。

この際言葉は通じないけどイタリアの散髪屋さんに飛び込むか。
ふふふ、面白いね。

季節は巡る

梅は満開から散り始めだし桜も咲きだした。木々の新芽が出だして一気に春を感じます。

暖かくなってストーブを焚かない日もちらほら。火がないとガス器具で煮炊きをするのがちょっと寂しいけれど、五月の中旬までは焚く日がある。

微熱はなくなったが体は本調子にほど遠い。歩け歩けで調子を取り戻そう。春は来る。

大変更


これはフランス語でのコルシカ宿の予約確認メール。取れたのに直ぐにキャンセルも気が引ける。コルシカ島をまったく走らないのも凹みすぎだし最初の高い山は登ってみたい。予約済みの三軒の宿で五泊だけコルシカを走ることにした。


緑色が元の予定航路だが最北から本土へ渡るのをやめて、紺色のサルディーニャ島への船が前回の基地宿の港に着く。早速お世話になった同じ宿に予約を入れて「昨秋に泊まった日本人です」とだけ付け加えた。

二時間もしないうちに返事が来た。
ちゃんと足が痛くなって歩けなかったことも覚えてくれている。嬉しい再会が待っている旅に変わったぞ。サルディーニャ島は前回行けなかった所を廻ります。なんか故郷へ帰るような気持ち。

船はすべて予約を終えたのでサルディーニャの宿だけになりました。随分準備が進んだ気持ち。ちょっと余裕が生まれています。

予約

微熱とだるさで気分消沈。でも机に向かうと旅の準備に走ってしまう。

フィレンツェ、トスカーナ、ローマと宿はすべて予約できた。コルシカ島の宿の予約に入って最初に「高い」と思った。イタリアの二倍から三倍の感じがする。 何処も朝食がついていないし湯船もない。キッチンなんて問題外。プールとかの見かけ倒しの宿ばかりで予約金もあるしキャンセル時の扱いもきつい。

12軒中4軒の宿の予約にイタリアの数倍の時間がかかった。そのわけはまず走行距離と高低の強さで泊地を決めていきながら総日程の加減を整える。その後に 先頭から予定泊地の宿を探していくが高すぎたり気が進まない宿ばかりだと次の泊地を変えてでも宿を探すことになる。

四軒の宿も不満足ながらそれしかないと予約したが窮屈な気持ちだけが重なっていく。五軒目から六軒目を探すうちに「これでは旅自体が面白くないぞ」と思い出した。宿選びだけで窮屈だし商売気だけが印象に残っていく。

このまま無理して日程を組むべきではない。コルシカはやめようと思った。そう決めると肩の力がスッと抜けてのびのびとした気に変わっていった。で...........。

再発か

調子よく出勤して貯まっている仕事をテキパキと片付けて帰宅。山は行かずに宿の予約を進めるうちに体が重くなってくる。ソファーで休んで少しだけ夕飯食べたらもう起きていられない。

布団に潜り込むと熱がある。そのまま朝まで寝込んだが微熱が納まらないし体がおかしい。休んで寝ながら様子を見ます。

この微熱はなんだろう。

からだ

どうしても冬は体重が増える。運動不足と寒さに脂肪で対応する動物的な本能機能があると思う。正月前から最近まで自分の最適体重を2kg超えていた。

一気に戻ったのはインフルエンザ。高熱で水ばかり飲んでいて肺炎かと思った最後など丸一日食べられなかった。病明けは筋力も心肺機能も低下したが体重も減った。

この底からの復帰で体重を増やさずに体調を整える。自転車旅までの二ヶ月はちょうどの期間に思える。

欧州55日


旅程を固めました。フィレンツェとその南トスカーナ地方を20日間ほど走り、ローマに8連泊で前後合わせて10日。船でサルディーニャ島経由でコルシカ島へ渡り20日ほど走ります。コルシカは昇降がすごくきついですね。

55日あるとゆったりとした旅程が組めます。フィレンツェ前後8泊とローマ8泊の宿は確保済み。これから四十泊の予約を始めます。予約なしの旅も考えたけ ど落ち着かないんです。サルディーニャの旅もすべて予約してあったのに二回も予約が通っていなかったんだから。

さっ........。

きのこ


毎年シイタケの原木栽培を二十本から四十本作っているが今年は二十本にしてヒラタケを初めて栽培することにした。

木はクヌギだと思っていたが一燈園農事研究所で種菌を買うときに云われたのが桜が一番でクヌギは出ないらしい。シイタケは駒菌を打ち込むがオガ菌が安くて簡単ですよと勧められた。


山桜は少ないけどウワミズザクラという桜の仲間は沢山生えている。直径15cmくらいを長さ15cmくらいに切って片面に菌を塗り菌と菌の面を合わせて紐で括っておく。


6月頃になると菌が成長して刃物で割るようにしないと外れないらしいが、外して土に半分埋めておくとヒラタケができるらしい。

今年の秋には食べられるそうで結果も早く出る。楽しみがひとつ増えました。

キースジャレット

ケルンでのソロコンサート二枚組LPを買った。一曲目の針を落とした瞬間から広がる世界がほんとに素晴らしい。クラシックであれジャズであれピアノソロでこんなに引き込まれる演奏は初めて。



二枚目の最後まで感動の連続。音の沈み込みも拡がりも切れも伸びも。音が小さくなるにつれて、消えないでくれ、終わらないでくれと思わず気持ちから手が出 る。涙が浮かびそうな気持ちになっていく最高の演奏を手に入れて、何時でもそれを聞けることに安堵がある。

五月の連休に大阪のフェスティバルホールでキースジャレットのソロコンサートがある。行きたいけれどためらいがあるのは昔の彼と比べるだろうなと思って.......。

今年も

三月は税金の確定申告。税理士に任せることをやめて七回目かな。一度も間違いや修正を指摘されたことがない。だんだんと書く時間も減ってきて今回など一時間で終わった。

ミソは前年に書き終えた時点でどの数字は何から引いてきているかをつぶさに書いておくこと。来年はそれを見れば直ぐに書ける。

賃貸物件の諸経費で修繕費など五十万単位で説明のいらない項目が二つもある。これだけで百万ほどの税金を払わなくて済むのだが、税務署で聞いても説明や資料の添付は要らないと言う。

けっこう軟弱なんです。

源に

会社へ行って最後の会議の出席者のひとりに電話した。インフルエンザで休んでおられる。「ガクン」ときた。自分が伝染犯に間違いない。他の出席者四人はどうなんだろうと気になる。でも怖くて電話できない。

頃合いをみてお伺いし、心からお詫びを申し上げよう。あの会議の時は自分がインフルエンザではないと思っていたし熱弁のためにマスクをしていなかった。気休めでもマスクはすべきだった。

夕刻に山に入った。作りかけのブドウ棚を組んで帰宅すると37.5度の熱がある。肺炎をいちばん疑った。夕食も喉を通らないのでそのまま寝たが今日は休んで「からだ」を整えよう。

決めたら早い

到着と出発の基地宿8泊の予約完了。フィレンツェの空港は街から遠くないので駅の傍の宿にした。キッチンがついて二つの部屋があって広々とする40平米。湯船付きを要望中。

55日と余裕があるからトスカーナ地方を巡ってから続いてローマに入ることにした。オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックが繰り広げた物語の場面を訪ねてみよう。

「ローマは一日にして成らず」という諺を身をもって味わってみる。急いでなんか廻らない、気に入ったバールがあれば半日くらいゆったり過ごすんだ。

昨日までの熱は何処へ消えた。ワクワクするから胸に消えた。今日から出社だが隔離部屋でひとりになる。

航空便の予約を

終えました。自転車旅の日程をそれに合わせます。

自転車ルートを作りつつ飛行機はどんな具合か見るとマイルで乗れる席がほとんどない。関西・フランクフルト・フィレンツェだとこの日しか取れないと分かっ て一度は寝床に入った。どう考えても空きは出ないだろうし詰まれば秋にするか経由地を変えることになる。

ならば取ってしまえと、よくやる突っ走りが久しぶりにでた。



5月18日出発7月11日帰国の55日。サルディーニャが一ヶ月でもっと居たいと思ったから6月1日出発7月5日帰国の35日で便を見たが無いので乗れる日まで前後に引っ張ってそれ。マイルで行くのも予定を合わせるのに窮屈です。

往復四便ビジネスで\66,230-の諸費用だから辛抱かなあ。あとはゆっくりの予約でいいんだけど二ヶ月先に迫ってるぞ。体を作らなくっちゃ。

明日を向こう

毎日が病の話で読む方にとっては面白くない事でしょうし話題をずらせます。その前に面白くない話ですが熱が下がっても体の痛みは衰えず痛むところをさすって慰めています。


早ければ五月後半に行けそうな自転車旅のルートと泊地情報を集め始めました。


トスカーナ地方って景色は穏やかな農村で緩やかな傾斜の岡が幾重にも連なる様は写真で何度も見ているがこの地方のことだったのかと感心しきり。

宿も大規模農家の営むアグリツーリスモやB&Bなど多彩な宿が何処にでもある。めぼしい宿をつまみ出して記録しているがそんなに高価でもない。ひとつ気に なりだしたのはこの風景を走り続けると飽きるんじゃないかとふと思ったが思い過ごしならいいのですが。

写真はグーグル上にあった「Alessio Galli」という方が撮影した写真で転載の制限が書いてないので使わせていただきました。奇麗ですね。

やっぱり

インフルエンザでした。39度の高熱で筋肉や関節の痛みが三日目に入っても続いて良くなる気配がない。ネットで見ると誤診もあり得るとわかって夜に診療所を再訪。

担当医は違ったが話を聞いてインフルエンザの症状そのものだねと云って鼻から検体を採集は三日前と同じ。8分経って「A型インフルエンザです」。呼吸器から粉末を一回だけ吸入するイナビルという薬が処方された。

直ぐに吸入して寝床に入ったが二時間で体が楽になっていくのが分かる。ウイルスの増殖を抑える薬らしいが夜半には熱も下がってきた。水を体が欲しがるのは 変わらないからトイレに頻繁に行くが直ぐに床に入ると死んだように眠ってしまう。痛みはなかなか取れないが体がフワッとして楽になった。

熱が下がると起きてごそごそするかと思うが体が寝床に入って寝たがるからずっと寝ている。熟睡するんです。

医者に言った。「三日も無駄な時間を過ごしたし、誤診代金と二回払うの嫌ですが、まけてくれませんか」って。「規定ですから」と返ってきたが、ダメモト承知でチクリと注射してやったんです。

これで何日

大半を床で寝てる、昼間は床で眠ったり音楽聞いたり本を開けたり。節々や筋肉が痛くて動けません。熱も上がったり下がったりで38度から39度。普通なら感動する音楽も耳の入口でムニャムニャ。本もスイスイ読めないんです。

夕刻から朝にかけては地獄絵の中にいる。大量の水を欲しがるからトイレも頻繁。癌を患って末期になるとこれより強い痛みの中、麻薬で押さえても良くなる見込みがない。絶望のあしたを抱える辛さを想像すると、私は良くなると言う希望がある。

強い細菌と我が身が闘い続けて両者の死者数は相当なものだろう。抗生物質や解熱剤の薬は一切使わない。自然の営みがいちばんでこれを機に我が身の刷新とわきまえて頑張ろな。

鬼は何処に

1時に会議が始まって熱は上がって苦しいが熱弁をふるった三時間。

直帰して寝床に潜り込んだが熱が39度と久しぶりの高熱。やっぱりインフルエンザかもしれんと近くの診療所へ検査に行った。待つのも辛いが結果は陰性とでた。

朝から水以外喉を通らないまま枕元の急須は直ぐに空になる。高熱は我が体も闘う元気を損ねていない証拠とトイレに通う夜半を過ごした。朝になって少し熱は下がった様子。

でも起きあがれない。寝ます。

鬼の

夕食後の早足散歩で体が重く微熱を感じて早く床に入ったが夜半に熱が出て朝は起きられず。風邪ならよいがインフルエンザだと困るなあ。

今日は本番前の最終調整会議がお客様のところであるから這ってでも出ないといけない。自宅から直行する直前まで寝よう。

こうして書いていても悪寒がする。おやすみなさい。

18歳で

学校を出て就職した会社は退職した後もシステムでお世話になっているから生涯の仕事をさせてもらう唯一の会社になる。創業されたお父さんが亡くなられたのが数年前で今の社長はそのご子息。私より五六歳年下で気心もよく通う仲です。

年末に目の奥で出血があって視力が落ちた話を聞かされた。高血圧や高い血糖値が血管を弱めて破れたもので、お医者さんに目だから助かったが脳内で破れたら生死に関わっていたと云われたらしい。

百キロ近い体重を減らしてくださいと年末に云った。年初の挨拶に伺って体はどうですかと聞くと、「ちゃんとやっている」と云われ節食なり運動をしている様子だった。

昨日は用件はなかったが体の具合を聞きに伺った。「嫌なことを聞かれてる」と云われる。三日坊主だったなと思ったがそれ以上は云えなかった。そう聞いてからどうにかして体重を減らさないと重大なことが起きると思い続けている。

メールを出しても会うにしても説得になりがちだから嫌がられるし、なにか名案はないものかと知恵を絞っている最中。生涯の世話になった会社だし、何かで恩返しをしたいのです。

単管という


鉄のパイプを買って山に運んでいるところ。パイプは長さが6mと5mで車の長さをはるかに超えている。DIYもこの長さは配達してくれない。FJに乗せて大丈夫かなあと心配したがしっかり括ったら何てことなしに走る。


山に持ち込んでブドウの棚を作ります。針金を40cm間隔でメッシュにしてブドウのツルを誘導する。棚は縦20m横12mの広さだから何年か先には沢山のブドウが成るはずで、多かったら干しぶどうもやってみよう。

この棚ができたら大仕事のひとつが片付いて気持ちスッキリ。

住居の周り

家の広さを書いたが庭はどうか。広い方が気持ちにゆとりはできるが家屋にも増して広い庭は手入れがたいへん。

自宅の庭は広くなく垣根が周りにあって木が八種類と低木が四種類植わっている。それでも一年に数日は庭木の手入れで忙しい。家を買ったときは芝生が植わっていたが芝の手入れは一番やっかいだからすべての芝を剥がした。芝は直ぐに伸びるし雑草が交じって雑草絨毯に変わる。

25年前に500倍の抽選に当たって入居した今の家は緑化協定があって敷地の15%以上に木を植えなければならない。入居時に植えてある木は移動は良いが切ったり枯らしてはいけない。境界は塀やブロックは駄目で生垣。その協定に印を押さないと入居できなかった。

と、住宅街全体を緑豊かなゆとりの環境を維持しようという街で、それが人気の所以でもあった。庭は広くなくても緑豊かな遊歩道や公園が沢山あって落ち着きのある街に住んでいます。

自分の庭を木や草花で綺麗にするとしても、家を選ぶときに周りに木々の緑と大きな空、静かなところを選ぶのが大切です。

住居

屋根の再塗装に端を発して住環境を考えることが多いが、いったいどれくらいの広さの家が良いのかを考える。

舞鶴で父が倒産でいなくなって四畳半のアパートに母と兄弟の四人が暮らしたのが一番狭い住居だった。就職して下宿した教会は三方が襖の三畳部屋でそれも狭かった。さすがにこれくらい狭いと窮屈です。

今の家は三人で暮らすのにちょうどの広さだと思います。向かいの家は私の家より少し小さいが二世帯の五人で暮らしておられて五人でも暮らせる広さです。筋 向かいの家は単身赴任の主人で奥さんひとりで生活。ひとりだと使わない部屋が幾つかあると思う。

一方、この住宅街にはバカでかい家も二十軒くらいはある。外から見て体育館くらいに感じるのは大げさだけど部屋の数は両手で数えられるのか。桐生の地主さんのご自宅は五世代前に建てられた旧家で和室が幾つもある広い立派な家。

そのように大きい家は三四人で暮らすと使わない部屋が沢山出ます。物置部屋になるのですね。広いと掃除もたいへんで窓すら開けて空気を入れ換えない日が続く。隣近所でも二人の生活では二階を使わなくなる。そうすると家というのは傷むのですね。

広くて大きな家に住みたいのが人情だけど、広すぎても維持管理費用と固定資産税が高いだけで暮らしに役立たない。江戸の長屋に庶民の楽しい生活を感じるように、広いだけでは駄目なんですね。

ついでを継いで

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屋根を葺き替えるなら二重屋根にして断熱性を高めたい。

ついでにもうひとつやりたいことは雨水の利用。屋根を替えるとトユはすべてやりかえる。ならばトユをタンクに誘導して雨水を溜める。それをトイレと庭の散水に使う。

水洗トイレの水や庭の散水に飲料用の上水道を使うことにすごい矛盾を感じ続けているのだが、雨水タンクを地下に作って電気ポンプで汲み上げることにも矛盾を感じる。

タンクを高いところに置ければ二階のトイレにも使えるので場所を考えていたが家の外だと見映えが悪い。傾斜屋根の都合で三角の空間が屋根の下にある。その空間にタンクを置けるはず。あとは落差圧で配水。

屋根の工事をやるならばもうひとつ都合の良い改造を思いつきました。長くなるので別の日に書きます。

日本一周は巡ること

帰ったら早くも郵便が届いている。


「JEANNEAU Sun Odyssey 379」という船でやはりフランス製。進水して一年だから新艇と変わらない。


今の自分の船より少し小さいが操船しやすそうで帆走も速い様子。


デッキや船内のレイアウトも上手くデザインされていて欲しくなるんだなあ。「さっさと買わないと売れてしまう」なんていらぬ心配を始める自分が怖い。

選択肢は沢山あるし慌てることなく考えてみよ。あめ玉買うような金額じゃないんだしな。

日本一周は消え去るか

ファーストマリンの松島さんにヨットのキールを補修する情報を電話いただいた。FRPを使うと云われる。カミサンのカーボンフレームがカナダから帰ると割れていて自分でFRPを積層した経験がある。なるほどと思った。

電話は船で日本一周を考えていると云う話になって「それは面白い」と身を乗り出してこられた。今のヨットは琵琶湖に置いて別の船で一周して終えたら売って しまおうかと思っていると伝えたが、売れてしまったグランドバンクスの実艇は知っているが高いしお勧めでないらしい。

電話を終えたあとにメールが来た。江の島に中古で手頃なヨットがあって郵便で情報を送ったと書いてある。思わぬ方向にスイスイと進んでいくのがちょっと怖いけど船はどんなのだろう。

昨日、今日、明日

三月に入って慌ただしくなってきた。大きな仕事がこの月から四月にかけて本番に入りそうだし、消費税の切り替えでシステムの動かし方の説明や動作の確認に神経を使うから。

いくつになっても慌ただしいときに神経が尖るものだなあと思う毎日。こういうときはじっくりと粘り腰で構えるのだと年の功がもの申しております。

一方、家に帰るとフィレンツエからコルシカ島の旅本はロンリープラネットの三冊を読み進む毎日。あらためて旅行って何なのかを考える日々です。どんな旅先に身を置きたいのかを思うと観光客が大挙押し寄せる名所旧跡を避けようとする自分がいます。

人と人

二人で山奥の森で下枝処理を一生懸命やってたら地主さんの奥さんが上まで登ってこられた。畑でブロッコリーが沢山とれたので持ってきたと仰る。

火を囲んで立ち話にふけった。少し前はご自宅で飼い犬の散歩をすると自前の奈良漬をくださった。ご主人ともども私たちに気を遣ってくれるのでどちらが借り手で貸し手か分からなくなるお付き合いになった。

私たちのことを気に入ってもらっていることがとても嬉しい。お子さん達にも、お孫さん達にも気に入られている。こんなお付き合いができるのが幸せです。

誰も行かない山中へ


一月に探検した時は幼い子供を連れて道に迷うのが嫌だったから途中で引き返した。。昨日はGPSを持って歩いたから迷うことはない。といっても歩いている最中は何処に出るのか気が気でなかった。

前回に引き返した少し先で水平な場所を発見。畑跡のようだが太い杉や檜が生えているから偶然の水平なのかと思いながら進むと段々に水平な場所がある。どうやら四五十年前には水田だったようだ。

道も倒木なんかで塞がって歩きにくいが明らかに道跡。何処にでるのか益々面白くなって一時間半も歩いたら沢ガニがいる地主さんの奥の畑に通じる道に出た。


「えっ、こんな所に通じるの。って驚いたがのぞみちゃんも嬉しそう。

これが探検のルート発見第一成果で面白いから近いうちに反対側への探検をしようと決めました。童心に帰った二時間は楽しかったわ。

時が経てば

ヨットの錆を見に行った琵琶湖はとても暖かくそのまま船を出して湖上を帆走したくなる好天。


ヤードに置く艇のキールを見るが昨年より錆の部分が増えているような気がする。


メカの責任者と二箇所ほど削って塗装内部の様子を見た。全体に錆は廻っていないがポツポツと錆が出るということは、部分的に対処しても二三年すると他から錆が出る可能性が高い。

塗装全体が劣化してきていると見てキール全体を剥離して対処すると決めた。葉山にある輸入元の総代理店に松島さんという事情に詳しい方がいて、いつも情報をもらっているので再塗装の要領を教えて欲しいとメールした。

春までに時間はあるからしっかり直しておきます。

良く好く欲

一年前のNZの旅から欲しいなあと思って、ずっと目をつけたままだったグランドバンクスの売り物。


若狭に置いて日本一周もやってみたいと燃料代を計算して諦めたに見えたがその後も売りに出ているサイトを時折見ていた。

が、ついに売れてしまいました。人情って面白いもので売れると欲しくなりますね。恋人に逃げられた時のように。琵琶湖のハーバーマスターが「買っておきなさいよ。グランドバンクスは何時でも直ぐに売れますから」と言っていたんです。

買っておくべきだったかなあ。あ~あ。

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