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高下駄かっ歩

田中角栄は日本の高度成長期の象徴みたいな政治家だけど、政治家として派閥の長として良くも悪くも日本を大きく動かした。その善悪の話ではなく人を引きつける凄い力の話。

鹿児島の政治家で田中派の中核をなした二階堂進が新聞記者にこう聞かれた
「二階堂さんのご趣味は?」.......「私の趣味は田中角栄」。

この記事を読んだとき度肝をぶち抜かれる面白さを感じた。この言葉を発した二階堂進の発想が人並みならぬ面白さなのだ。ましてそうも云わせる田中角栄の力量たるや.......。

趣味は田中角栄と云われた本人がそれを聞いてニタッと笑い、あの目をギラギラ輝かせたのを想像するるとこれまた面白い。前へ前へ、上へ上へのある意味安定した時代とはいえ、今にないごっつい男達と遊び心の男達がかっ歩した良き時代だった。

ところでケチな今のご時世.....「趣味はかとけん」という人いませんか。

色も変わって食べ方変えて



これは黒い薄皮の落花生。煎るときに焦げたと思っていたけど黒い薄皮の品種があるのですね。台湾旅の最初に買った自分みやげです。帰って食べてみて昔に食べた落花生そのもので、香り、ほろ苦さも香ばしさも「これだっ」って思わず声が出た。

写真右は朝食の野菜サラダ。落花生を細かく砕いて混ぜるとひと味違ったサラダになります。我が家ではサラダを作り置きしますが落花生は食べるときに混ぜる。

野菜サラダにイタリアのケッパーを塩味として入れる。各地で買ってくる干ぶどうや干した果実をサラダに入れるのもいいです。落花生ともども試してみてください。

宴会

私は会のつく寄り合いがあまり好きでない。特に若い頃の会社での「会」が嫌だった。忘年会に新年会、歓迎会に送別会など嫌で嫌で仕方なかった。入社した頃は嫌でも先輩の日高姉さんや高田姉さんにたしなめられてついていった。

宴会場に入ると上座に河口部長や内田課長がデンと座って後光を出しておられる。左右の壁際に堀川課長代理に続いて松田係長から長岡係長代理と一糸乱れぬ順序を保って座っている。私は女中さんが出入りする襖の脇。

長々と挨拶が二三人あって課長代理が乾杯の前に挨拶して泡の消えた生ぬるいビールを口に運ぶ。其処までだけで到底耐えられなかったワタクシであります。酔 いが回るにつれ下手くそな唄を係長代理が歌う。部長の指名で順に歌わされる。ゴマスリの係長補佐候補は出世のためならと芸を仕込んでくるが見られたモン じゃないんだな。

翌日の挨拶は「ご苦労様でした。真っ直ぐ帰れましたか」の一辺倒。会費精算書なるものが回覧で回ってきてゴマスリが部長様ご寄付などと十倍なら分かるけど 新米の俺の会費に二千円ほど足した「ご寄付」につらつらと「ありがたさ」を書き連ねるゴマすり。これが年に何回もやられて何年も経つと絶対に行きたくない と悪知恵に磨きがかかるんだよ。

行かないイイワケに人を何人殺したか記憶にない。「叔父さんが急に亡くなって今日はお通夜だから休みます」なんて十人以上殺した。人も産んだ。従兄弟が子供を産んだが手伝いがいないと休んで駆けつける。

自分を犠牲にするのもあたりまえ。腹痛に頭痛は翌る日に治っていても普通だけど捻挫はそうはいかない。三日ほど足を引きずって事務所の中を移動する。借金 取りが事務所に顔を出した時など捻挫の足をすっかり忘れて走って二階へ逃げたのを内田課長は見逃さなかった。

次の歓迎会で三曲も歌わされて一升瓶のラッパ飲みを部長に指示されて日高姉さんの膝枕で朝まで......寝たふり。って最後は嘘。その二日酔いを久しぶりに思い出してこの記事に化けたって訳なんです。

あっという間の一日

早朝の暗いうちに駅に向かって歩き始め、一生懸命代打の仕事をこなす。

日が沈んでから歩いて帰宅する。夕食後にストーブにあたってソファーにもたれるといつしか居眠っていた。うつらうつら気持ちの良い居眠り。やっぱり疲れてるのかなあ。

寝床に入る時刻が遅くなる。今朝も寝坊。生活のリズムの転換期だからじっくり慣れて変えていこう。

手編み

昨日は雨でもないけど電車で往復した。駅まで4kmを早足で歩くというのが一番の全身運動で体を満遍なく使うバランスの取れた有酸素運動。

家を出たときは婆ちゃんに編んでもらった首バンドをしているが道中半分で暑くなって外す。昨日はそれを持ち歩いたのが悪かった。手袋をして持っているといつの間にか落としていたのを駅で気がついた。

ふと立ち止まって引き返して探すか...、帰りに探すか.......。

帰宅は夕刻で暗いけれどゆっくり歩きながら道の回りも注意して見ながら歩いたがとうとう出てこなかった。家に着いて「あれ落としてん、婆ちゃんごめん」って云ったら「直ぐに編めるから」って。

どこへ消えたんだろうな、誰かの手元にあるんだろうか。これも些細だけれど日々のひとこま。

沈んだ夕日は朝日で昇る



左の真ん中が台湾東港で買った桜エビ。駿河湾の桜エビは高くて手が出ないけどこの量で二百三十円は破格値。

帰った直後の最初は茹でて野菜サラダに入れたが上品な桜エビの香りは野菜を際だててくれた。写真撮り忘れ。


今日は野菜天ぷらとかき揚げに桜エビ。香ばしい匂いとカリッとした歯触りが快感。身が大きくてボリューム満点。まだまだ残っているからお好み焼きにも入れてみよっ。

沈む夕日は綺麗だけれど



チェーンソーが最悪。大分からの写真を見るとピストンの焼き付きで「かじり」が発生し圧縮できない損傷。

どうしてこうなったのかを問い合わせているが燃料注入時もオイル追加時もエアフィルター清掃時も、とにかく微塵たりともゴミを入れないようにしていたから扱い方に問題はなかったと思っているけど.....。

昨日の深夜の回答で負荷がかかりすぎて過熱になったか、油膜が切れて焼き付いたのが原因でゴミや異物の混入ではないとのこと。確かに休み休み使ったけど.......過熱って.......。

部品交換で二万二千円の費用見積。もう少しで新品が買える。
久しぶりにがっかり沈む気分であります。

すき焼きの次は焼肉

あの方と二人で朝から山。はかどりました。洗濯物を干す竹竿を切り出して高枝切りの鋸刃を付ける長い竹も切り出した。竹は1月に切り出さないと虫が付くからで桂離宮の竹材も1月だからもっているんです。
家で焚く薪作りもどんどんはかどって.....。疲れたけれど満足いっぱい。

大型銭湯のあとに外食は焼肉。何年ぶりだろ焼肉。天壇というチェーン店へ始めていった。正確には二度目で学校を出て会社の先輩に連れてもらったのが天壇。 そりゃ、綾部の田舎にはない焼肉を食べて、おったまげたのは口と度肝。こんなに高い食事ってあるのかいと度肝を抜かれた記憶。

それ以来天壇は高いイメージで行かなかった。サルティンポッカの木村さんに「焼肉はどこで食べますか」と聞いたときに「天壇とか....。さして決まっていません」といわれたのを思い出して.....。

美味いです。そんなに高くないし。

自分土産

山は雨だけど木を焚き小屋で薪を作る。夕刻に冷えた体は鍋が一番。


これは台湾で買った麺と辛味噌。鍋にして食べるのは二回目だけどこんなに美味いとは思っていなかったから感動記念に写真を撮った。次の台湾旅があれば必ず買って帰る。

麺は細めでも素麺より太い。野菜鍋の最後の汁で炊いて食べた。コシがあって歯ごたえもしっかり。何よりも麺自体が美味い。これだけは幾ら書いても伝わらないけどほんまに美味い。

瓶の調味料はほんの少しだけ鍋のスープに使ったがソラマメの香りと辛みがよく合っていて韓国で買ったコチジャンとはひと味違う。台湾では他に調味料などたくさん買って帰ったがこれからの料理が楽しみです。

昨日の次は今日

土日の二連休が待ち遠しいなんて何年ぶりか。

それくらい仕事を頑張った一週間やった。代打でも期限なしの代打。びっちりこなした代打仕事は少しずつ前進。前に進むというのは気持ちに張りが出てよろし。

それもあってぐっすり眠った夜だった。さあっ、待ち遠しかった土日を思いっきり楽しむぜ。夜明けに山に入る。

眠れぬ夜は

昨夜は久しぶりに寝付かれず眠れぬときは寝なさんなと自分に云い聞かせて、再び起きてストーブに火を入れて。

火は贅沢と誰かが言ったけどほんとに贅沢な気持ち。眠れぬ夜は寝ずに火焚き爺となってゆらゆら炎も心も揺らぐ夜。一時が経って少し寝てみようかなとミルクを少し口にして布団へはいる。

やっぱり眠れん夜。徹夜しようや久しぶりにと机に向かってパソコン広げ......雨の滴が音を出す。シトシト、ポトンポトン。午前一時の針を見て。

寝るな寝るなの三回目にちょっと布団の中で子供の頃によくやった洞窟ごっこで遊んでみようと潜り込んだら寝てしもた。

寝るな、寝るな.............。

悪いことばかりで

一年前の年始挨拶のあとに一酸化炭素中毒の被害者にしてしまった女性スタッフ。あれ以降不幸な出来事が続いている。

母親の看護でヘトヘトに疲れているところで兄の脳梗塞。治ったかと思った矢先に心筋梗塞。二人の看護や入院の世話で真っ暗な生活に変わって最後に彼女自身が潰れた。

年末に頭がふらついて歩けなくなり一昨日にMRI検査。脳内に異常はなかったが症状は変わらないので年末から休んでいる。彼女は沢山のお客さんの経理、給与、販売などの市販ソフトのサポートをしているが休んでもピンチヒッターはいない。

急遽私が代役でサポートに決めたが大変。久しぶりに一生懸命の仕事になるが、お客さんに迷惑はかけてはいかん。

転機到来。

思い通りにいきません


チェーンソーが二度目の故障。今回はプラグの火花は飛んでいるしエンジンも軽く廻る。燃料がエンジンに供給されていないように思うのでキャブを半分分解したがガスは供給されている。

買った大分の店にいろいろ尋ねているが直らない。燃料の質に問題はないはずだけどガソリンを入れ替えてみたが駄目。とうとう大分行きか。

かなり神経質な機械やなあ。

遭遇

四千人も乗れる豪華客船座礁のニュースを聞いて「簡単に転覆するなあ」と思った。

今年の夏の欧州はイタリア対岸のクロアチアの海を何度も船で渡り歩く船ばかりの旅。船も鉄道もが好きだから自転車と共によく使う移動手段だけに今回の座礁もスイス鉄道の大事故も嫌。

すべての交通手段に絶対安全はないけれど我身に降りかかることを思うとたじろいでしまう。でも、結局は乗ります。向田邦子が嫌いな飛行機に乗って台湾で事故に遭って死んだ時は、乱雑な身の回りを何故か奇麗に片付けていたと云われる。

私は片付けるのが嫌いだから奇麗にして出かけない。だから事故に遭わないと勝手な理屈も妙薬のつもり。

86歳の山仕事

昨日は朝から山へ向かう。婆ちゃんに「血圧も落ち着いているから山へ行きますか?」って聞くと二つ返事で「行きたい」。木を燃やすから傍で暖まって休んでいればよいと思っていたのがとんでもない。

一人で焚き付けにする枯れ枝を山に入って拾い集めている。5つの土嚢袋に集めて「燃やしやすい長さに折ります」と割り出した。結局夕刻までそんなことをして山で過ごしたが私とカミサンと同じだけ登ったり降りたり動いているのに感心した。

大型銭湯へ一緒に行って夕飯は王将で餃子食って元気元気。ふと思ったのは自分がこの歳でこの動きが出来るのだろうかと要らぬことを考えた。

西大路九条界隈

質屋の地図を見ていて幾つかの出来事を思い出した。



二十歳過ぎの俺が人に誘われて嵯峨野の池にワカサギ釣りに行った。釣っていても下痢ではない腹痛が走る。釣りどころでなくなってきて大森病院に駆け込んだ。

大森院長が「盲腸や」「寮に帰って洗面器と寝間着もってこい」「即刻入院手術や」あっけにとられている間もなく手術。麻酔を打たれて手術台にのるが目隠しの下から腹は見えている。

「よっしゃ準備完了やな」「いくで」の声と共に刃物が腹に刺さった。
「痛いっ」「先生痛いっ」まともに切られて痛かったから悲鳴に近かった。
「あかん、こいつまだ生きとる」って先生、殺すつもりかいな。「麻酔を倍打て」の声を最後に気がついたのが大部屋のベッド。

その手術以降は院長が私を覚えてしまって二ヶ月後に行ったら「今度は何処を切って欲しいねん」ときた。

「先生、足でガラス踏んで足が切れて辛抱してたら三日経って首が痛い。ガラスが廻ったと思う」と院長に云ったらあの乱暴院長が笑いこけて「ガラスが足から 首へ行くには心臓経由やど」「心臓にガラス刺さって痛なかったか」「未だ麻酔が効いたままか」って笑いまくって次の患者もほったらかし。

名物院長に気に入られた二十歳の頃のお話でした。

質屋

会社に入って寮生活をする。遊びが激しくなって月給がだんだん足らなくなる。一方で物欲も旺盛になって月給は益々足らん。母親が貧乏生活で嫁入衣装を質屋に持ち込んでいたことを知っていた俺も質屋に通い出した。

なけなしの月給をはたいて買った腕時計が一番目。腕時計は会社の食堂で店開きする寺町の時計屋から買ったSEIKO。自分には生まれて初めての腕時計で宝物やのに西大路駅前の質屋の前で躊躇したけどのれんを潜った。

三ヶ月後に利息も払えず流れた。「質屋通いはやめる」の決意も空しく月末にはスキー板が駅前質屋へ。函館山で一回使っただけのピカピカスキーも会社に出入りしていた京菱スポーツ店で買ったもの。

その時点でSEIKOの時計代もスキー用品代も分割払いで月給から天引中。

「今日限り質屋は行かない」の決意新たに二ヶ月後には単車で質屋に乗り付けていた。スズキのロータリー六段変速の最新型は時速百キロくらい軽く出た。休み の日は海へ山へ単車で遊びに行った。次の日曜から歩くしかなかったが決意など何処吹く風で単車も流れていった。

あの質屋は今は何に変わっているか知りたくなって.......



写真の右下を見てみると.......。いまだに営業中やど。
行って流れた時計と単車を探してくれって云ってみよ。四十五年前やけど。

あったら気が遠くなるような利息やけど払うんか?

機嫌が悪い

昨夜から機嫌が悪い。薪が上手く燃えないときは機嫌まで悪くなる。木が画一でないように我が機嫌も動く。

今日は機嫌が悪い。

真冬

会社に向かって単車で家を出るのが朝六時半。夜明けと共に出発でその時の気温が2度から3度。かなりの重ね着で体がゴワゴワして動きが悪いが昨年に比べて寒さは防げている。


いちばん役に立っているのがヘルメット。フルフェースはあごだけ風が当たるけど他は寒くない。これが効き目で単車通勤が「気合い」を入れなくても走れるのだと気がついた。

でも、昨日の帰宅時はライト点灯時刻でみぞれがどんどん降ってきて思いっきり冷たかった。家に入ると合羽の中まで濡れてる。最寒時は氷点下だぞっ.......。

家の車は遠の昔に一台に減らしたけどカミサン用。無理が利かなくなる自分が使う車も要るかなあ。.......これ弱音。

買った

眼鏡も十年使うとコーティングが禿げて傷がつき曇って見にくい。そりゃ机で本を読むときもドラム缶で火を焚く時も同じ眼鏡だったし、一時は自転車走行時も同じ眼鏡をかけていた。寝る時以外十年間我が目と同じように働いていたから傷むのは当たり前。

ついに買い換えることになったが眼鏡屋に入って迷わず云った言葉が
「同じものをください」。


右が新しく買った眼鏡で左が十年使った眼鏡。日本製でメーカーは999.9(フォーナイン)。どちらも全く同じ型番の眼鏡。

十年前に買った同じ型番を作っていると云うだけでこのメーカーの信念が伝わってくる。今までにかけた眼鏡の数は両手で足りないけれど十年経っても同じものが欲しいというのは初めて。

かけ心地が「かけていない」感じ。重さは他の眼鏡と変わらないのに重さを感じない。運動してもずれないからかけているのを忘れて手で目を擦って眼鏡に気がつくことしばしば。

レンズ共で十万円と高いけど自分の体を買うようなものだから高くない。

あっ、十年物は火を焚くときや工作で埃だらけのところで使い続けます。

初山

久しぶりに山の手入れをした。年末に切りっぱなしでそのままだった木を燃やす作業。午後になって誰かが山に登ってきた。

あっ、地主さんご夫婦じゃないですか。しかも料理屋さんが使うような箱を両手で持っている。とりもなおさず新年の挨拶。で、箱に乗っているのはガスコンロ と鍋。奥さんがコンロに火を点けて鍋を乗せられた。なんと甘酒。ご主人は燃えるドラム缶を動かして消し炭を取り出してお餅を焼き始めた。

お正月早々なんというご接待か。普通は逆じゃないのと云いました。二人揃って仰るには「一年かけて山がこんなに奇麗になるなんて思いもしなかった。ありがとうございます。」って。こっちは拍子を外されたまんまであっけにとられる。

ま、年末にすき焼き食いに行ってそれっきりだし、つのる話を山の上で咲かせた。それにしても甘酒は何年ぶりか、焼き餅も美味かった。ありがとうございます。

二谷英明さん

が亡くなった。二谷さんは私が幼少の時期を過ごした舞鶴の出身。裕次郎や小林旭の映画を舞鶴で見た。そのころに二谷英明さんが同郷であって身近に感じた俳優だった。

ただそれだけの事だけど舞鶴という人の少ない土地にそういう有名人がいないから余計に身近だった。これで舞鶴に関わっている私が知る実在人物はサッカー同級生の渡辺博明君だけになった。

一方で今、舞鶴に住む子供達はそんな人付き合いを重ねつつ生きている。こうして世は移り変わっていくのだね。

冷え

帰って玄関に入るとひんやりしている。

薪ストーブの焚き方を半月以上手ほどきして台湾へ行った。途中で薪の残量や燃やし方などに問題ないか何度も連絡した。都度「大丈夫。順調に燃えてるよ」という返事。

帰って聞くと「薪がもったいないから節約して燃やした」らしい。それで家が暖まってなくひんやりしたのだ。帰った晩からどんどん燃やしていると婆ちゃんが「やっぱりあんたが燃やすと暖かい」とお褒めのお言葉。

嬉しくてシャツ一枚でホカホカしてます。

始動

自分の布団で寝るシアワセ。眠りが深い。

一時間の時差はまだ生きていて寝坊も重なって起きたのがさっき。久しぶりに三人でするストレッチをじっくり行ってサイトのアップにこぎ着けた。

さっ、新しい歳の始動日だ。

2012-01-05 台南

台南の町歩きも地図なしで歩けるようになってきた。今まで歩いたことのない道を歩くと思わぬ店があって香辛料や料理道具も買った。

今日も写真は文と連動しませんが緑の多いこの町と人々がテーマです。


自転車に乗り始めて二人で旅をするようになって10年を過ぎた。五年前に初めての孫が生まれたときに道南を10日間一人で旅をしている。その時の旅日記を読み返してみた。強がっているけれど何処か一人の寂しさがチラチラしている。


今回は18日間の一人旅。はっきり云って寂しかった。やっぱり旅は二人が楽しい。


一人旅の理由が孫の出産だけどこれから起こる事は婆ちゃんが一人で長期の留守生活が難しくなること。こればかりは孫の出産のように一時ではない。


即ち、しかるべき時期がきたら長期の二人自転車旅はできない。今までが恵まれていただけと云えばその通りだけど、二人旅ができないと思うとなおさら寂しい。


でもね、かとけんは窮地の知恵がよく働く。今年は年初から調子がよくて、「一人旅回避」も名案発見。


近くに桐生園という特養があってそこは老人を一時預かってくれる。
「婆ちゃん、友達作ってお喋り楽しんでね!」と言って二人で世界の街角へ自転車旅に出かけます。なんもかも今年は前向きやわ!

ということでこれから我が母なる国、日本へ帰ります。長かった!

2012-01-04 台南

写真は台南散策のスナップで本文とは連動していません。

この旅で最初に思ったことが「これが最後の台湾旅かもしれない」だった。そういう気持ちで旅を続けると無茶苦茶寂しくなって涙が浮かぶときもあった。何度も来ているから再び見る街や景色も「これが.....」と思うと絶えられなくなった。


ある時考えた。もうよそう! 最後か再び来るかを決めなくて良い。来たくなったら来る。忘れ去れば来ない。今から考えて宣言しなくてよいと。


そして心入れ替えて旅を進めると「また来たい」と思うことが度々あった。明日のことを今日決めなくても、明日決めればよいという新たな発見みたいで嬉しかった。


この旅が「明日の宿は決まっていない」ことが発端で発想が変えられたんだろうか。プラス思考が2012年の最初であることが尚更嬉しい。勇気凛々、元気百倍、台湾万歳!


四度の台湾旅の終わりが近づいて気がついたことは海外へ来ているという感覚がゼロになっている。


不思議なことにこの土地が我が母国のように感じている。幼少の時分の街並みを歩いているような台湾が好きです。

2012-01-03 台東 = 台南


三泊した台東は台湾でいちばん落ち着く街だった。旧駅の近くには古い家々が木立の中にあるけどその為ではない。何が違うのかはっきり分からないけど落ち着く街。


宿の朝食は広場を見ながらの食事。早朝に街の方々が太極拳をしている。朝日を受けながらゆっくりと珈琲をすするあのゆったりとした時の流れ。

歳が開けた真夜中に宿の外で花火が華やかな音を響かせていた。今年の始まりをこの落ち着く台東で迎えたことが気持ちの良い歳になる予兆でありますように。


午後の列車には時間があるが早い目に駅へ行って自転車分解。輪行するだけなら此処まで分解しなくてもよいが飛行機に積む事を考えての分解と家に帰っても掃除しなくてよいようにピカピカに。


列車が来た。自転車にこれだけの荷を積んで走っているが、持って歩くとほんまにこの重さで走ってるんかと驚く。

新幹線が「敬老」の半額だったから前日に切符を買うときにパスポート見せたが台鐵の敬老は日本人は駄目だと云われた。それでも千円ほどで台南へ。


風に向かって苦しんで走ったこの道を列車から見て「頑張ったね」と労ってる。駅弁は駅で食ってしまったので台南まで寝るだけ。

起きて駅から宿まであの荷物を歩いて運んだけど死にそうやった。

2012-01-02 關山 - 鹿野 - 台東

起きたら雨。南部横貫公路へ登るのは諦めました。気温が低く平地でも寒いからいつもの半袖半パンでは寒すぎるので下着の長袖とタイツを着てその上にジャージを着て合羽で仕上げ。


靴はコンビニ袋を被せるのが一番。昨日来た道を帰りますが追い風のはずなのに向かい風。


雨の東海岸でこんな景色に出会うとは思いもしませんでした。


まるで墨絵の世界が続く。


来るときに目をつけていたのが道路脇で農家が売っている果物。この果物は釈迦と云いますが釈迦の頭そっくりです。台東の夜市でこれを食べたがむちゃくちゃおいしい。東南アジアは方々行ったけど台湾で初めて見た果物。

これが台東の果物屋さんでは高い。写真と同じ量でNT200-は五百円くらい。ところが農家の露天は半額。検疫でひっかかるからそのまま持ち帰りできないけど.....。なんとか工夫してみよかな。


農家の方が食っていけと勝手にまるまる一つを切ってくれて食べるところ。かごにはもう一つおまけが入っていた。気に入ってくれたんだ。


今日でこの旅での自転車走行は終わり。細切れなりに中身の濃い道のり。今までの走りっぱなし旅を補ったかな。

明日、台南へ列車で帰って帰国まで二日間台南を歩いて遊びます。

2012-01-01 台東 - 鹿野 - 關山


今回は諦めた南部横貫公路の東側の終点になる關山というところを目指して北上です。天気が良くて体調も良ければ今日か明日に關山から山に入って横貫公路の途中まで登ってみようと意気込んで出発。


台東を出るときに見た若い女性のカバン。こちらではこんな風に実用とお洒落に使われています。


途中の道端の店で通り過ぎてから戻ったのは店先の商品に並んで猫が寝ていたから。思わず売り物かと疑った。こちらでは犬も猫も沢山います。日本と違うのは犬も猫ものんびりしているし人を警戒しません。それよりもとても優しい目をしています。野良でも。


東海岸は自転車天国。道は広いし車は来ないし。天気が悪いのでパッとしませんが晴れたらスカッと爽やかですぞ。


この旅でも何回も欺されました。行く先の關山まで1kmとあります。これを見てやっと着いたかと思った矢先に........


この看板。六キロだって云われると欺されたとがっくり。最初の看板は境界までの距離。次が市区まで。境界なんて何処か分からんから意味がないのです。


さっきの看板の關山の「關」とこのお米の看板の「關」が違いますが同じ地を表している。どっちが簡体か知りませんが略字ですね。

ところでお米の看板を宿に着いてからネットで翻訳してみました。「全球」は全世界で「外銷」は外国販売でした。即ち「關山米は世界一で日本にも売っている」ってことです。

日本に売ることが誇りとすると日本人の食べている米は高級品ということになりますね。農家の方々、自信を持ってください。


と宿に着きました。こんな畑の中の家が民宿。


到着と同時に小雨。明日は雨の様子だなあ。ごそっと雲が降りてきた。

2011-12-31 台東

今日は自転車休息日。台東の話を飛ばしてこの旅で始めたことを書きます。

台南到着出発の宿以外予約なしでの旅。言葉がが通じない小さな宿が多いこともあるけど気まま旅を実現するには宿が決まっていないほうが良い。体調や気分の 善し悪し、予期せぬ景勝や興味ある街の出現、雨風や気温の変化、宿自体の快適度によって滞在先や日程を変えられるほど自由気ままなことはない。この旅でそ れが実現できると知りました。


日本で出発前に何処へ行きたいか、何処に宿があるかは調べておきました。実際を云いますと翌日に行きたい場所を決めてから宿の予約は宿泊中の宿から次の宿 に電話してもらいます。どなたも嫌な顔をしたり面倒な顔をすることなく無料で電話してくれます。筆談がほとんどでモンゴルの田舎者とケニアの婆ちゃんの会 話みたいなもの。「アーー」「ウーー」です。


予約は二泊するつもりでも一泊の予約をします。実際に宿に入り宿や街の様子も分かってから二泊するかを決めるのです。決めたら宿の方にお願いしますが二泊目を安くしてくれないかを筆談で頼んでみます。三回やって三回とも快く安くしてくれました。

宿を営む方にとって一泊の予約客が連泊したいと云うのは嬉しいことだと思うのです。夕食は街で食べますが安くしてくれた金額でお釣りが来る。一回だけ温泉が満室で連泊できませんでしたが旅の変化のひとつですね。


台湾に限らずイタリアでもフランスでも言葉が通じなくとも、モンゴルの田舎者とケニアの婆ちゃんの会話みたいに「アーー」「ウーー」で面白い旅が作れると 云うことがわかったのです。もっとも話しができてその国の文化や人々の心情を知ることができる方が良いのですが。

あっ、残り五泊でこの旅も終わりだよ。
台湾の温泉宿に何軒か泊まったけど水着を着ての温泉入浴ははっきり言って気持ちよくない。ところがこの金崙温泉の宿には部屋風呂がついている。けっこう大きな湯船で大きな川の畔だからのどかな景色を見ながらのフルチン入浴。


一晩中湯が出てるから何時でも入れる。湯と水が別々に出せて温度調節を自分でするが水なしでちょっと熱い目の湯加減で最高。たぶん源泉かけ流し。

朝になってもう一泊したいと宿の人に言うと「今日は満室でごめん」と駄目だった。広い寝室に部屋風呂がついて朝食付きでNT$1,800-は四千五百円。 二人で泊まっても部屋料金だから同じ。日本で部屋に風呂がつく源泉かけ流しの湯宿だったら.......。


連泊駄目をさっさと諦めて北上開始。目指すは台東。東海岸は三度目なのに台東に一度も宿泊していないので今回は泊まりたいと思っていたところ。


道中にある大麻里は珍しく日本語の発音と同じ。この町は前回に泊まったところで思い入れのある街。昼時にちょっと早いけど葱油餅を食べた。


魚をこんな風に売ってるが台湾に料理のできる宿がないので買えません。あれば食材の豊かさから旅が二倍楽しくなるはずなんだけど。


北上を初めてからずっと向かい風。これは最初に東海岸を走るときに念入りに調べて分かっていることで今までの二回は送り風を狙って南下した。今回は逆風承知の北上。


東海岸は雨風の強さと地形から断崖が多い。そのためにアップダウンも多く、たった五十キロの走行だけど百キロの体力消耗。宿についたらぐったり。

あっ、一晩寝たら日本語思い出した。不明語って三倍の労力かける割に評判はどうなのか。ま、ひとり楽しんでますわ。

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