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通勤汗


写真では点々にしか写っていないが夜明け直後の近江大橋から見た琵琶湖に水鳥が静かに浮いている。冬でも琵琶湖大橋を渡る頃に体は暖かくなる。


今朝の逢坂山の気温計。今日はまだ寒くないが真冬に向かって下がり始めてこの気温計がマイナスを表示するのは年明けか。

この逢坂を登るときには汗ばんでいるが着ているものは脱がない。長い下りで汗ばんだ体が一気に冷えるから。もうひとつの東山での汗も同じ事が云える。冬発汗時の体温調節が一番難しい。

それにしても自転車通勤の方が増えた。真冬に減るが、みんな頑張ろうぜ!

秋の日差し


手入れを済ませた山の池の向こう岸に木が紅葉しその奥の檜や杉の林は空も見えている。


これは桐生の山に入った直後の同じ角度の写真。落葉樹も見えないほど杉や檜が立て込んでいて空も見えていない。間伐をして下枝を払い地面に陽を入れると上の写真のように変わる。

こんな作業を行っている日々です。奇麗になっていく山を楽しんでいます。木を切って運んで太いところは薪材に切って割って。枝や葉は焼却する。その作業はたいへんだけど楽しいから続くのですね。

通い道

自宅から桐生の山へは単車で行くのが多かった。その次が自転車で車はほとんどなし。荷物があるからだけど冬になる と荷が減る。お茶やコーラや果物など夏は二人分を保冷のスチロール箱に入れると大きいし重い。冬になるとお茶一本で一日足りる。即ちリュックに入るから徒 歩にした。


距離を測ると3km三十分で負担にならない距離。畑道を歩くと空が大きく秋の雲が気持ちがいいんだなあ。

今日も歩いていこ。山で体を使って往復歩いて疲れた体の風呂は最高だ。

四度目の台湾

12月22日出発の一人旅は行くことに決めた。いつもは空港から台北に入って自転車を組み立てるが今回は台南に入る。食い物が美味いことや裏通りの雰囲気が好きで到着出発の六泊の宿を確保した。

それ以外の宿は予約しないで行く。山間部の茂林国家風景区を細やかに廻るつもりだが小さな民宿が多くネット予約ができないこともあるし、気に入った村と宿で連泊をその場で決めようと思うから。

茂林国家風景区は台湾の自然がいっぱいでメキシコと台湾にしかない蝶の越冬地がある。異なる土地で生育したルリマダラが百万匹だそうで「紫蝶幽谷」と呼ばれる越冬谷は30ヶ所以上あるそうな。蝶だけでなく渓谷や森があり温泉も豊富。

台湾の都市部も好きだけど阿里山を走ったとき台湾の人の少ない山間部もいいなと思って選んだ地域。山間で距離は少ないが一人で走ったり歩いたりを楽しもう。

たぬき

自転車で田舎道を走っていてたぬきに二度会ったことがある。二度とも一匹が車に跳ねられて死んでいる傍で夫婦か親子かもう一匹が寄り添っている。二度とも涙を誘われた。

もう一回は二匹が車に跳ねられて死んでいた。きっと一匹が跳ねられた傍に寄り添っていて跳ねられたと思った。たぬきはそんなにも仲が深い。

昨日会った子狸はどんな相手と暮らすんだろう。どんな親と暮らしているんだろう。山から道に出るんじゃないぞ。

山の生きもの

桐生の山で汗をかいたので着替えていると池の向かいに小さな動物。すぐにたぬきと分かったが小さいから子狸みたい。柿の木の下でうろうろしていたが次に歩き出した。

三叉路で片足上げて停まってどっちへ行こうか考えているのがとてもカワイイ。しばらく見えなくなったが五分後に池の下の渋柿の下に現れた。熟して落ちた柿をくわえて小走りに隠れて食べている。

そのあと道を降りて竹藪へ向かったがチョコチョコとした歩き方がカワイイ。こんなに長い時間たぬきを見るのは初めて。帰宅して娘に話すと家の近くでキツネを見たと云う。

ここは里山なんだ。

ユンボ

建設機械の万能機と云っても過言でない機械。シャベルで穴や溝を掘ったり土を動かしたり。岩や重量物を吊ったり運んだり。この機械は土木工事に必ず使われるほど便利な機械。

私はこの機械が嫌いなのです。山の手入れにこの機械を使いなさいと地主さんは勧めてくれるが私は使わない。それでしか何もできないようになってしまうのも嫌いなのです。

例えば山の水田跡は溝が放置されて水路がなくなり雨が降ると何日も水浸しになって何にも使えない。溝を掘り治す事が必要でユンボを使えば溝は一日で開通すると思うが私は手で掘った。

手堀だと水の細やかな動きを見て傾斜や深さを微妙に調節しながら全体を整えられる。結果は奇麗に出来上がる。ユンボだけに頼って手作業を手抜きした工事は溝でも道でもきちんと仕上がっていない。溝は水が溜まるし道はすぐに凹凸ができる。

「楽だからユンボを使う」人になると粗い結果しか出せない人になる。道具はすべて使い方をわきまえることが大切。

豆腐

夕刻になるとほとんど毎日豆腐屋さんが廻ってくる。独特の「トーフー」ラッパをマイクで流している。最初に聞いたときは懐かしいと思ったが慣れてくると売れるのかなあと思うようになり、商売として続くか心配するようになった。

きっと高いと思って買ったことがないのだが、誰しも思いは同じだと思う。売っている人の心意気を買いたいけれど.......。

通勤で通る京都七条の裏通りをリヤカーで豆腐を売る老人に会う。その方は昔から豆腐を店で作ってリヤカーでも売って歩く人だと思う。なじみ客は売りに来るから他で買わないのだろう。

自宅近くを廻る豆腐屋さんはきっと先代の家業を継いだ方。そんな方にも京都路地のリヤカーの老人のように客がつくと良いのだが。今度買ってみよ。

修理


薪作りに買ったこのチェンソーで山の手入れをするとは思ってもいなかったがすでに一年で直径10cm~30cmの木を百本くらい切っている。大活躍の道具 だが海外へ旅に出る前の運転中に急停止。スターターを引っ張っても頑と動かない。これは焼付いたかと問合わせると「大分へ送ってください」の返事が来た。

そのまま旅に出たが帰宅してダメモトで分解してみた。シリンダーに油を注ぐと回るようになった。組み立ててスターターを引くがエンジンかからず。テスターで電気系統を念入りに調べたが異常なし。念のためプラグを清掃すると動いた。

結局すべて自分で治したことになる。意外と簡単な機構で誰でも分解できると分かった。機械にはそれぞれの限界があるからそれを知れた良い機会だった。これからも大事に使おう。

ダラダラ

昨日はストーブは必要ないけど雨が降り止まず濡れると寒くなる気温だから一日中家の中にいた。それなりに雑用は貯まっているのだが「今日はダラダラしてみよう」と決めてかかった。

貧乏性はダラダラの仕方を知らない故に刃物研ぎ。これが間を開けすぎたので倍の時間がかかる。包丁で紙でも切れるくらいに研ぐと気持ちがシャキッとする。その包丁で始めたのが干し柿つくり。

昨年まではたいした数ではなかったが今年は大量。皮むきのあと竹串に差して干すが竹串が足らない。大きい柿は一個ずつ吊した。出来上がると毎日食っても相当期間食える。

午後から本気でダラダラ。JBL4343にキースジャレットを弾かせて板の間でゴロリ。知らぬ間にうたた寝。このごろ時間ができてもパソコンに向かうこと を体が拒否する。サイトに早期帰国旅情報をアップしないといけないが雨で絶好の機会でもPCを遠ざける我がこころと体。

ダラダラも身に付き始めたか。

一人旅

1300gの新生児はまだガラス箱だけど母親だけ退院。

自宅には私、婆ちゃん、カミサン、孫と母親の五人が同居。私の寝室を使っているので私は二階の板の間で寝ている。もっと窮屈かと思ったがそうでもなくプライバシーは守れるし皆が近くに感じられるし孫に遊んでもらえるしけっこう快適。

12月の終わりに台湾一人旅の航空券は手配済み。その旅の理由「窮屈で邪魔者だから」が今に早まって台湾へ行く訳が消え去って一人旅が余計に空しくなってきた。

行きますか、それとも戻ってこないけどキャンセルしますか。

竹林

久しぶりに早朝散歩。同じ桐生でも散歩道は長い間行ってないからどんな変化が待っているか楽しみだった。


好きな池の畔はこの時期紅葉のはずが今年は緑のまま。それ以外の様子は変わっていないがその先にある竹林が奇麗に手入れして見違えるようになっている。


京都にある竹林のようだ。でもこの密度は濃い過ぎる。竹林は番傘をさして歩けるくらいの密度が地面に陽が入って竹に適している。

って、地主さんに教えてもらったんです。

柿三昧

空白の自由行動で一番に行くところが桐生の山。池の畔に腰掛けて秋の静かな時を感じると日本の秋っていいなあと思う。

お借りしている山に柿の木が四本あって一本が富有柿で甘く、三本が渋柿。熟した柿から鳥がついばんでいくので地主さんに「食べないのですか」と聞くと「奥の畑に柿はたくさんあるから自由に採って食べなさいよ」と言われた。

旅に出る前に甘い柿を食べて行ったが12月に帰る頃にはないと思って出た。渋柿も干し柿にしたいけど今年は諦めていた。それが急な帰国で四本とも収穫時期の真っ最中。


富有柿一本ですごい量。会社へ持っていったり近所にも配るけど食べきれない。昨年までは高いから渋々買っていたのに.....。鳥が食べられるように残しています。これから渋柿を干すけれど皮むきだけでもたいへんだ。

贅沢とはこんなことを言うのだろうな。

???

予定外の日を過ごしているけど娘の顔をずっと見るわけでなく、洗濯掃除をするわけでなく、孫は幼稚園に行くしこんな時の男って何も手伝うことがない。言わば邪魔になるだけ。

この予定外の空白感は最高に気持ちがよい。何もしなくてよいというか何も決まっていないというか、何をしてもかまわないこの空白感。学校の先生に「はいっ、これから自由時間だっ」って言われたような嬉しさ。ずっとこのままでいたいよ。

おいおい、何しに帰ってきたんだ。

帰りたい

急な帰国に迫られて困った事が発生した。帰ると決めた町から120km離れた出発地の町に戻るバスの時刻を一番に調べた。一便だけあって午後二時半の出発。

町の情報センターで切符を買うときに自転車を分解せずに積めるか聞いたが曖昧な返事にすっきりしないまま発車十分前にバスが来た。運転手が「自転車は規則 で積めない、フォールディングバイクなら積める」と乗せてくれない。緊急帰国の説明をして懇願するがガンとして乗せてくれない。

このバスに乗れないと翌日にとれた飛行機に間に合わない。運転手について回って頼んだ。他に公共交通はないし小さなこの町にレンタカーもない。これしか帰る手段がないからどうしても乗りたい。乗客は数人で開けられた貨物室が空っぽでも乗せてくれない。

発車時刻が迫ったときに騒ぎを聞いた情報センターの責任者が出てきて私の事情を聞いて運転手と話してくれた。それでも運転手は駄目と云う。新聞紙でタイヤや本体を包み始めたとき「今日だけ許してくれるそうだ」と伝えられた。

ガラガラの荷物室に自転車を入れるときに涙が出た。「警察を呼ぶぞ」とまで云われなければならないことを頼んだのかと。三時間のバスの車中も気落ちして車窓の景色を見る気にも、帰国の荷造りを考える気にもならなかった。それくらい落胆していた、

帰国中に何度もこのことを考えた。同じ会社の鉄道は自転車を乗せられてこのバスに乗せさせない会社に問題があって運転手はその規則を守っているだけなのだ。運転手に何の非もない。非があるとすれば調べなかった私と乗せさせない会社なのだ。

規則に忠実である運転手を私は決して悪く思っていない。ただ、人は規則に忠実であればそれでよいかと自問して、自分は規則を破って人に役立つのであれば規則も破ると確かめた。

帰国

山の中のキャンプ場はネット接続ができず町の宿に着いた翌朝にネット接続ができた。一番に開いたメールは娘からで頭が重くとてもしんどいので病院に行くと母体の血圧が上がり胎児も動きが止まって危ないからそのまま緊急手術に入るとある。

携帯に電話をかけると話しはできたが泣いて泣いて聞き取れない。数年前に子宮ガンの疑いで片方の子宮を切除して残った片方で二児目の妊娠。体は強うほうでなく手術でどうなるか分からないのに旅を続ける気にはなれない。

カミサンにひと言「帰ろう」といって帰宅準備に入った。その時点で書き終えていた最後の旅日記をアップした。飛行機は最短の翌日便、バンコック乗り継ぎで昨日の早朝に関空着がとれた。宿のキャンセルや自転車解体とパッキングで半分徹夜して出発できた。

深夜のバンコックで婆ちゃんに電話すると手術で子供は生まれ母体共々生きていると分かったとき体中の力が抜けた。

到着の足で病院に行き1300gの未熟児は無菌室で面会できないが黄疸が出ていても命は大丈夫の様子。点滴で横たわる娘の涙顔が徐々に笑顔を浮かべたとき私の目に涙が滲み出た。

夜半に屋根をたたく雨音で目覚め、雨中走行を覚悟して朝起きるとこんな快晴。広い広いキャンプ場のコテージに泊まったが傍の木にコアラが寝ています。


手が届くところで寝ていて恐がりもせずに木を揺すられても寝ているのが可愛い。昨夜の雨でもじっとしていたんだろうな。


灯台を見に海岸へ降りたけど有料で17ドルと高いから戻って雨林の散策をした。


この辺りのナショナルパークは暑くないのに熱帯雨林の様相で美しい滝も沢山ある。


宿まで20kmの山中で初めての雨走行になった。降るときは急に降る。


そして三十分後には晴れて宿のある穏やかな砂浜の海岸に着いた。

このあと急変した事情でこの地で今回の旅が終わることになった。全ての予約のキャンセルやフライトの取り直しや荷物のことなど、頭の中がパニックで帰国してからいきさつを書きます。
朝食時に宿のご夫婦といろんな話しをした。奥さんはマレーシアの方でご主人はドイツの方。知り合ったきっかけまでは聞かなかったけど日本の震災には随分関心を寄せられて見舞う気持ちがひしひしと伝わってきた。


旅の別れには心残りもある。このご夫婦はきっと忘れない。


出会った人々の面影を浮かべる長い下りだった。


今日は一旦下って海岸に出てもう一度山に登る。


海岸近くの川。護岸のない全く自然な姿の川はいつ見ても美しい。


川の近くには牧場が広々とあってその入口で昼を食べているとホンダの四輪バギーに犬を乗せて老人が走ってきた。牧場の羊を散らすのを終えると我々の所へ来て話しかけられる。

親しみがほとばしる方でいろんな話しをした。思えば今回の旅はよく話しかけられる。下手な英語でも気持ちが行き来すると嬉しい。


もう一度山に向かうのはナショナルパークの中にあるキャンプ場が宿。もっと自然に近づこうという気持ち。


この辺りには野生のコアラが沢山いる。最初は何処にいるか分からなかったがよく見ると沢山いる。と、ここまでは晴天で良いことずくめだったけど次の瞬間前輪パンク、続いて後輪パンク。


押し歩きで宿のキャンプ場に入るやいなや土砂降りの雨。急変の天気はあたりまえでした。

2011-11-08 Port Campbell - Lavers Hill


グレートオーシャンロードの昨日と今日は断崖の傍を走る。崖から海を見下ろすような所に道路はなく少し離れているから海を遠くに見る。


大陸側は原野で何もない。とにかく大きな大きな空間を走る道。車はとても少なく何も通らない時間のほうが長い。アップダウンも少なく天候さえ良ければ自転車にもってこいの道。


今日も断崖の景観を見下ろす。


途中の展望所で昨日の三人と再び会った。今日は走りながらの会話でなく顔を見ながら冗談をたくさん交えて三十分の楽しいおしゃべり。時々聞き返すのはオーストラリア英語だし。「何日走ったのよ」「アイト」。


これが人気の「12使徒」でこれを最後に断崖の海岸を離れて森に入る。


標高四百にある宿を目指しての登り。


同じグレートオーシャンロードでも景観がガラッと変わる。


ついた山の宿は周りに何もなく二組しか泊まれない宿。なだらかな斜面の庭を持つこの宿の部屋からは山の森を通して海まで見渡せる、それはそれは素晴らしい景観の宿です。

それにしても今日も雨に遭わなかった。宿の主人に聞くと天気予報どおりの天気はないという。良い方に外れてラッキー!

明日は山中のキャンプ場でネット不可。一日飛びますが悪しからず。

2011-11-07 Warrnambool - Port Campbell


目覚めて外を見ると雨どころか雲ひとつない夜明け。しかし気温は6度でとても寒い。冬服に身を固めて出発。


グレートオーシャンロードと名付けられた海岸道が今回走る道。この道に入る前に寄り道をしたがいきなり道を間違えて引き返し。


何もない原っぱを走るうちに舗装がなくなった。不安は募るが海岸線に出られた。


大陸が波で浸食されて赤土の高い崖ができて珍しい景観が生まれたのだが、ひと言で表せば「荒削りの海」。


海が濃い紺色で赤い崖とのコントラストが美しい。


崖は垂直で滅多に降りられないが下に浜がある。


後ろから声をかけられたのが三人の若者でアデレードからメルボルンへの長旅の途中。日本が大好きで北海道に長期滞在したと云う。二人は亀とウサギのコス チュームで走っている。あとで思えばこれも日本が出所だね。10分くらい話しながら走ったけど彼らは若いから先に行ってもらった。


ロンドンブリッジと名付けられた処で眼下の浜に何かの足跡が沢山見える。近くにいた人に聞くとペンギンの足跡らしい。写真の浜の真ん中が線のように見えますが足跡で色が変わっているのです。右の緑がコロニーか。彼らが捕食に出かけたあとなのですね。

昼を過ぎると気温は30度近い。朝との寒暖差は二十度以上。途中で半袖半パンの夏服に着替えた。

2011-11-06 Geelong = Warrnambool


Geelong をあとにして走行開始の町 Warrnambool へ列車で向かう。切符は前日に購入済みで最後部の貨物車両に自転車を積み込む。


二時間の列車旅はのどかな牧場を抜けたり湖の傍を走ったり。


窓から見える木を見て苦労して走ったタスマニアを思い出した。暑さ寒さの中、あの時に見つめた背の高い木だ。


昼過ぎ到着で早いが宿に入って荷を置いて自転車散策。こんな可愛い建物はこの町に限らず其処彼処にあって思わず立ち止まる。


町から五分の海。サーフィンをする浜の向こうに南極が見えま(せん)。


この町の宿を探すときに「HOTEL」では宿が出ずにパブが出ることに気がついたが実際に行ってみると看板はHOTELだけどバンド演奏を楽しんでいる全館パブだった。昔は宿だったのかなあ。



明日から走行だけど予報は三日連続の雨。ずっと快晴ばっかりだったのに。
あ~あ。

2011-11-05 Geelong

一日中この町でのんびり過ごす日。宿から歩いて五分で海。大きなヨットハーバーが二つもある。


ひとつめは古いヨットが多く、船で遊ぶ人々も根っからのヨット好きという風情。


向こうに見える二つめのハーバーはすごい数のヨットが係留してあって大型ヨットが多い。海岸は大きな公園になっていて芝生の広場や木陰で皆が休んでいる。ほんとのんびりする空間だ。


これは私と同じベネトウの船で47.7フィート。ヨットを所有する方々を見ているとステイタスで持つという気持ちは微塵も感じない。生活の中で海を楽しむという気持ちが滲み出ている。


この三隻はこのあと沖でのレースに出て行った。三人乗りでエンジンなしのこれくらいのヨットが一番面白い。速いし転覆もするし、きびきびと動き回るから。


今夜は海にちなんでKATOSさんの魚を買ってきた。いろんな魚が取り合わせてあるのでクリーム煮にしよう。この四百グラムで230円。信じられない値段でこれ以上の新鮮はないという品。

できあがりの写真忘れたけど美味いっ。料理好きにはこの地は天国の様子。

2011-11-04 Geelong

今日は自転車組立と試運転。いつも手こずるのがカミサンのリアメカ。半分壊れていて廻り止めがなくなっている。廻ってチェーンともつれて往生するのだ。今日はどうやってもねじれがとれない。諦めてチェーンを切った。


もう一つ困ったこと。シチリア島で荷台が割れて使えなくなったので同じ物を買って通勤に使っていた。ところがコル鉄に装着するのは初めてでクイックシャフ トを荷台に通して締めようとするとナットが届かない。荷台の取り付け部が分厚いのだ。そういえば壊れたのも削って使ってたんだ。

ヤスリを買いに出かける前に宿のカウンターで聞くと「ヤスリありますよ」と出してくれた。助かった。削って薄くして取り付け完了。甘く見たけど半日かかったよ。


試運転で微調整とオイリング。


快適に町を走ったけど上品で小綺麗な町ですね。

昨日は牛ステーキ。今日はラムステーキとジャガイモのオーブン焼き。レストランを調べてきたけど自炊が進むのは食材が安い。


このジャガイモは十個ほどで2kgが120円。ラム肉は二枚で400gが200円。ドーナツ6個で80円。此処に住もかしら。


シンガポールから深夜飛行で到着がメルボルン。検疫は失敗のないように自転車も食品も全て申告して検査を受けた。焼き芋バナナで数万円のお灸は効いています。簡単な目視検査で素直にパス。


メルボルン中央駅から電車で80km移動してメルボルンには滞在しない。旅慣れてくると大都会に用もないのに滞在するのは避けるようになった。宿は高いし狭い。買い物や散策は意外と不便。


小さめの町に行くと人はのんびりとして落ち着きがあり宿や食事も意外と便利。今回はGeelongという町を基地にして自転車を組立て出発する。

地図の左の町へ電車に自転車を積んで行って海岸沿いを300km走ってこの町に戻る。


今日は宿の近くを小一時間歩いてみた。落ち着いた建物が多く広々とした空間が気持ちよい。人が少ないのは明るいけど時刻が八時を回っているから。


海には波静かな波止場。


魚釣りをする人に声をかけると釣った魚を見せてくれた。美味しそう。


さて、大きなマーケットで食料の買い出し。右の店の名前を見てください。私の店ではありません、地元の魚屋さんです。

2011-11-02 関空 = Seoul = Singapore

関空利用客増加のニュースを聞いたがやはり人が多くなったようだ。空港への鉄道もハードケースの数が多くなった様子。円高が続けばもっと増えるかもしれない。


出国手続前にふと気がついたのが「自動化ゲート受付中」の案内。聞くと無料でパスポートの有効期限まで並ばずに出国できると云うから登録した。自動化ゲー トでパスポートを読ませ指紋をチェックすれば十秒ほどで出られた。並ぶ方々を横目に飛行機に向かったが便利です。

ソウル経由シンガポールの二便はアシアナ航空で私のお気に入り航空会社。社員の対応が心地よいのと食事に韓国料理が出て美味いから。


今日はビビンバで自分で混ぜるのだが美味いし満腹。食後は久しぶりに持ってきた音楽倉庫。アビーリンカーンが心地よい。


シンガポールへの便での夕焼け。ダイナミックな雲がこの旅の躍動を象徴してくれていると良いのだが。

旅へ


出発します。韓国とシンガポールを経由してオーストラリア南部のメルボルンに入ります。メルボルンから基地にする町まで電車に乗って宿に入るのが明日の夕刻。行きは長旅です。

道中でのネット接続は無理なので明日の夕刻にアップします。オーストラリアは日本より2時間先の時差。ほとんど時差なしの感じ。



それにしても気候は寒暖が激しく変わる。真冬と真夏の自転車服装を持って行きます。

でわっ!

壊れたバッグ

旅行荷物は自転車を三つのプラ段自作箱に入れて残りの部品や日用品をひとつのバッグに入れる。重量を二人で四十キロ以内に納めるためにバッグ自体が軽くないと駄目。

布製でキャリーのついたコルナゴのバッグを愛用してきた。使わないハードスーツケースの重量が8kgで布バッグが2.5kgだからその差は大きい。ところ が布の端が裂けてきた。中身が飛び出るほどの裂け方で修理するか買い換えるか考えた末に自分で修理。


裂けた部分が布のつぎあてができないところでプラ段を内側から両面テープで貼って底の硬いフレームにドリルで穴を開けて細い針金で縫った。たぶん十回くらいの旅に使えるはず。

物は大事に使ってやらないとね。ちょっと前まで靴屋さんも鞄屋さんも修理をするのも商売だったしみんな修理して古びても使っていたのに.......。

別れ

昨日お葬式に参列した。高校を卒業して就職した会社の当時常務だった方。

私が二十歳過ぎに労働組合執行委員をして春闘で数十年ぶりにストを打ったとき、常務は交渉の机の向こう側で私はこちら側で激論を毎日のように交わした相 手。カミナリも落ちたしツバも飛んだ。相手の言葉に涙も流した日々だった。二ヶ月に渉る紛争は裁判所の調停に揃って出て終わった。

その常務が社長になり二十年ほど前には引退されたのだが亡くなった。九十一歳。お葬式の最初から涙が滲み出て出棺まで涙は止まらなかった。あの頃をつぶさ に思いだし出来事のひとつひとつを辿ると、あの方が私のような若造を相手にしてくれた大らかな気持ちへの感謝が充満した。

遺影を見ると往時の勢いがなくとも大声で叱られそうだった。大きな大きな傘を無くしたような気持ち。もう会いたくても会えない。

さようなら。

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