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ボランティア -3

二つめの現場は歩くのがやっとのお婆さんと奥さんの二人暮らし。幸い津波は床下くらいだったから水による被害はなかった家。地震で家具が無茶苦茶になって二人では動かしようがないので要請が来た。

家財道具はこれほどまでに動いて倒れるのかと驚いたが、何よりも二人がその家具や冷蔵庫の下敷きにならなかったことが幸いだった。あの状態で45日間の生活をしなければならなかったのはボランティアが全く足りていないことを表していた。

家具や電化製品を元の位置に置き直し、壊れたガラスや食器も怪我しないように取り出した。だが余震でもう一度倒れる心配がある。棚受けや転倒防止金具は持 ち合わせがない。しかたがないから奥さんに「早急にホームセンターへ行って係員と相談して金具を買い、もう一度VCに電話してください」と云って帰った。 それでも二人はとても喜んでくれた。

三人で行ったが二人は東京から車を走らせてきた若い人だった。私は何故にボランティアに参加したか。正義感みたいなのが一番の気持ち。義援金だけでは気が 納まらなかった。旅行に行く時間も金もあるんだから手伝おうと思った。東京の若い二人も「何かしたいだけです」と云っていた。

ボランティア -2

石巻専修大学構内がボランティアセンターでもありキャンプ場でもあり避難所にもなっている。隣の運動公園は自衛隊の大部隊が野営を行いヘリも頻繁に発着する。

VCに到着するとその時にいる十人ほどでチームを作りリーダーを決める。VCの人が場所と作業要望を伝えると十人は道具を積んで誰かの車や単車で現場に向 かう。最初の現場は海岸から1kmほどの住宅街の中。半分以上の家が流されたり傾いて倒れそうな壊れ方で自衛隊や救助隊によって車が通れる隙間の幅だけ瓦 礫が撤去されている。一見してゴミ処理場の中にいる様子。

片平さんは同年配のご夫婦で津波が来たときは玄関を出たところにいて異様な轟音が聞こえ、あっという間に水の塊が押し寄せ、夫婦が二階へ逃げるのが精一杯だったと云われる。近所に死者は多く家の前にも遺体が浮いて流れたと云われた。

家も庭もことごとく水が壊していった。我々はその床下に潜って積もった泥を掻き出す作業をした。前日までのボランティアが畳を出し床板をめくってくれた後の作業。泥と云っても重油が混ざっているから匂う。これを床下から出さないと油の匂いは消えない。

泥を掻く作業中、自分の家のごとく、自分がこれからも住むと思って掘った。片平さんの顔には悲壮感が時々顔を出す。あたりまえだ。この歳でこの状態を乗り 切って普段の生活ができる状態に戻すにはどれほどの労力がいるか、想像を絶するのはあたりまえだ。誰かが手を貸さないと二人でできっこない。自衛隊は床下 まで面倒は見られない。頼むにも業者はいない。ボランティアしかないと思った。

一生懸命の作業を終えて床下から泥が消えたとき、私はなんとも云えない充実感が湧いてきた。片平さん夫婦は心からの礼を皆に言っている。皆の顔にも片平さんの顔にも付いた泥は笑顔が消していた。

ボランティア -1

伊丹で最後の一席がとれて無事仙台着。空港と云うより廃墟で荷物も手運び。空港カウンターはちゃぶ台並べた状態。頑張る職員の前に気持ちは引き締まり目は潤む。

空港でこんな高いところの鉄製の看板がもぎ取られてると写真を撮った。デジカメを見て思ったのはこれから出会う光景は驚きの場面ばかりだと思うが、その写 真を撮りに来たのではない、報道も記録も目的ではない、カメラを構えると効果のある写真が撮りたくなるが、それでは何も感じ取れないのではないか。このボ ランティアの最中は写真を撮らないと決めた。じっと現場を見つめ、この災害をしっかりと感じ、もっともっと奥深く考えるのだ。

バスで仙台駅に向かうと海岸から随分内陸なのに広大な農地には車や船が散乱して手のつけようのない状態。人の移動を優先してか公園に山と野積みされた車はグチャグチャでプレートが付いたまま。津波という自然の持つ力にあらためて驚かされた。

一方で広瀬川の畔に咲く桜は満開で何事もなかったかのような華やかさ。これも自然の姿だ。仙台市内は閉まった店が沢山あるが宿の近くのコープが開いている。街は平静に戻ったように見えるが人々の力強さも垣間見た。

さあ、これからバスで石巻へ向かう。

と書いてサーバーにアップするが接続できない。メールの送受信ができるのに......。いろいろ試すが駄目でバスが出るから出発した。

作業を終えて帰ってから手を変え品を変えやってみるが駄目。結局宿と違う場所を探してのアップで数日遅れでごめんなさい 。

出発

伊丹空港へ向かいます。石巻で復興ボランティアです。

伊丹から何処へどの便で飛ぶかが未定なのは65歳からの割引は空席があるときだけだから。伊丹から仙台空港と山形空港へ二社で数便飛んでいるからどれか一席くらい空くだろう。何回も飛行機に乗っているが予約なしで空港へ向かうのは初めて。

仙台駅の東横インが宿でバスで石巻へ通う。四泊の予約だけどもう少し居るかもしれない。来る人は保険に入ってくださいとあって京都の福祉協議会へ行ってボ ランティア保険に入った。三百円で一年間の事故などの補償だけど六百円に増やして地震でも津波でも効くのにした。

ところで海外自転車旅の日程が決まった。シチリアから北米へ渡るのを諦めてイタリア単純往復にしたらとれた。7月8日出発で8月帰国。シチリア周辺で三週間はゆったりできるぞ。

さあ、頑張っていこう。ってどっちを頑張るの.......。

旅へ

海外自転車旅に腰をあげた。キャンセルした世界一周航空券のルートがあるのでそのまま注文すればよいのだが、スターアライアンスの貯まったマイル期限が六月に迫っている。それを使ってイタリアはシチリア島から北米の西海岸を走るべく便を決めて7月出発で予約にかかった。

全部で五便乗るが日を変えても満席が一便はある。ルートを換えて全日空と電話で決めにかかったが駄目。マイルで乗れる席数が少ないのだ。通常切符のオンライン予約で見るといくらでも空いているのに乗れない。頭に来るけど駄目は駄目。

世界一周航空券とマイルを貯める旅のスタイルを変えるべき時期かもしれない。マイルはコストに入っているがそれを元々なくした格安航空会社の乗り継ぎかなあ。

ダラダラ見テレビ

力道山、兼高かおる世界の旅、長島巨人、シャボン玉ホリデー、8時だョ!全員集合、日本百名山、NHKスペシャル......

実にテレビをよく見た。テレビを見なくなってどれくらいか忘れたが今回の震災でもテレビは見ていない。ネットと新聞で情報を得ているが不満なし。テレビって今は必要がないことは確か。

力道山を見るためにアイスキャンデーを買いに行って店で見させてもらったのが小学生。高校時代は寮生活でラジオ。就職して寮の娯楽室にテレビがあったが外で夜遊びするので見なかった。結婚して帰宅後のビールに始まる夕食時のテレビはボヤッとするため。

今、テレビなしの生活で見たいと思わないのは何故だろう。銭湯のサウナに入ると嫌でも見るがお笑い番組なんて不愉快。一昔前は食堂も旅館も銭湯の番台も喫 茶店までもテレビがあったが今は吉野家にもマクドにもない。NZの宿でテレビがあったのは一軒だけだった。

三種の神器ともてはやされた1950年代後半から人々はテレビの前に群がったままだが.........今の私には必要を感じない。

ためいきの出るよな あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる 乙女ごころよ
金色にかがやく 熱い砂のうえで
裸で恋をしよう 人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた 約束は
二人だけの 秘めごと 
ためいきが出ちゃう

ああ恋のよろこびに 

バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た 
恋のバカンス

これでも見たくない?

欲しかったんだ


こんな物を買った。送料入れて\9,600-は安いか高いか使い方による。主に単車のリヤカーにする。


こんな状態がなくなって合法的に楽に積める。会社と自宅の間でも自宅と山でもちょっと大きい荷物だと軽四輪を使うがこのご時世......。

リヤカー単独でも使う。山では木にせよ土にせよ地道の坂を担いで運ぶのは重すぎるから。夜になると大津港辺りでチャルメラ吹いてラーメン屋台に早変わり。........まではやらんけど、けっこう使い道は多いと思う。

何方ですか「かっこわる」って聞こえたけど。


これは2005年に旅した山形の光景。いいじゃない。

どうも

風邪のようす。孫の治ったインフルでなければよいが今日は会社を休んで体を休める。

休めるのだぞっ、山へ行ってはいかんぞっ。

三日で治しきらないと。

お便りから

山の大切なことです。

[唐津 浜田さん]
元々百姓だった我が家には山が5町(5ha)あります。殆ど植林していましたが台風などで被害を受けたり、最近の木材の現状などから放棄してしまった山が殆どです。

桐生の地主さんは手が回らずこのままでは荒れるというところで加藤さんが現れて、安心されたことでしょうね。でも加藤さんという人を見られたんですよ。初 対面で分からない人に自由に使えとは言えませんよ。最初の記事を読んだとき地主さんのことを思ってしまいました。

本当にめったに無い良い山です 思い切り楽しんでください。それが地主さんも喜んでくれることになるでしょう。

[加藤建三]
地主さんの先代があの山中に田畑を開拓されたのですが、牛馬と人手であれだけの土地を開拓するには相当の労力と費用がかかったと思います。私の傾ける情熱など足元にも及ばないことで、毎日毎日土と水と闘われたのでしょう。

時代の流れと悪行政のためにあの水田でお米を作る値打ちがなくなり、政府の援助で杉を植林したが二束三文の木材を手入れする経費も出ないから放置せざるをえない。

私が山に入ると荒れ果ててはいませんでしたがもうちょっとで手がつけられない荒れ方でした。こうして日本中の畑や山林が放置されて荒れていく。これは日本全体が荒れていくことです。

私は身を自然の中に置くことが好きだから山の手入れをしますが、生計を立てる仕事として山を見ると、とてもできないです。

皮肉なことに、だからこそ山に縁のない私が山に入れるという結果。こんな現実が桐生の山です。

グーちゃん

猫のグーちゃんは長生きしている。人だと八十歳くらいなんだけど毎日外に出て走り回ってる。


グーちゃんは返事をする、「グーちゃん」て声をかけると「うん」という。録音機に撮っておこうと思いながら未だないのはまだまだ長生きすると思ってるからか。ほんとに「うん」っていうんだから。

一番に朝起きるのが私で二番がグーちゃん。起きたら二人はストーブの前でくつろぐ。今朝は山仕事で疲れて朝寝坊。すかさずグーちゃんが起こしに来る。ドアの前で声を出して呼んでいる。無視して寝てるとドアをカリカリかきむしって起こされる。

私が起きるとストーブの前に座るグーちゃん。二人は今日も火を見ながら朝のひとときをくつろぐ....。

とことん

桐生の山の感想を通信簿の読者の方々に尋ねました。有り難いお便りが来ましたが全部掲載できませんのでひとつだけ。「羨ましい」というお言葉が全員の方のお便りにあります。

私自身こういう結果が生まれてきて「まさか」という気持ちでいます。私の生活は「とことんやってみる」ことの連続。自転車旅で日本の津々浦々のみならず海 外を走る。ヨットも半端な大きさのヨットでは気が済まず40フィートに乗る。酒をやめたのも、薪ストーブも行き着くところまで進む生活が生み出した結果で す。

今回の桐生の山も薪を加工して保管できる場所をとことん探した結果生まれた事象で、中途半端に庭先で辛抱していたら出会えるはずがなかったことでしょう。良いことばかりではありません。薪を燃やして消し炭でCO中毒になったのも「とことん」が産んだ災いで自業自得。

でも、私はこれからも行き着くところまで行く生活を変えません。結果、リスクはあっても面白く楽しいのです。私はこんな性格が好きです。

この一年

私の生活をガラッと変えてしまった薪ストーブの火。薪ストーブがこれほどまでに楽しいものだとは予想はしていたが思わぬ実際だった。そのひとつひとつを今季は紹介しなかったのは意識してのことで、ひいき目の評価を避けたから。

来期はどんな苦楽があるかを書きますが一年の経過を振り返ってみた。


前期の暖房はそれまでのファンヒーターを買い換えて遠赤外線が出て料理にも使えるこの石油ストーブだった。この遠赤外線の有り難みが薪ストーブにつながった。


この写真は昨年の春、河原に鉄板薪ストーブを持ち込んで楽しんだ休日。これが薪生活の始まりで夏も庭でストーブを焚いて料理を楽しんだり風呂も沸かした。


10月には鋳物薪ストーブを買うと決意。半月後には壁や床をぶち抜いた。


12月にこのストーブに火を入れてシアワセを感じる。

薪を乾かしたり保管する場所を探して土地を買う寸前で思わぬ出会いがあった。そして桐生の山は薪に端を発してストーブ生活のみならず、大げさかもしれないが人生を変えてしまった。


NZでも偶然に薪ストーブを毎日のように堪能した。ちょうど一年の間、炎のような生活だった。

生活道具の中で抜群のシアワセを創り出してくれる薪ストーブ。今朝は暖かいから薪に火を点けなかった。まだ寒い日があるから点けるがもうすぐ暑くなると半年のお別れ。

薪ストーブに火を点けるのが一日の始まりだったが、薪ストーブのない生活ってどんなだったかなあ。

桐生の山 3 最終




池と小屋の間に炭焼き窯があって使いたいが手が廻らない。


炭焼き窯の上の水田跡で椎茸を栽培する。この竹一本で原木が三十本は並べられる。竹はまだまだ並べられるが食べきれない。


その上の五段目水田跡で此処にブドウを植えようと思っている。


その上に六段目水田跡があるが利用構想は今のところなし。この上の池や林は省略。

私がこの山で手がけたのは道路脇の杉や檜の枝打ちと間伐。竹林の手入れ。造作では......。

この石段を作ったのは広場から小屋への近道。


右は公道に添って流れる谷川に作った堰と洗い場。山仕事って長靴も手袋もすごく汚れるんだから。左が洗い場横の竹で作ったタワシ入れ。



最大の造作は薪小屋工房の建築。幅12m、奥行6m、高さ5m。およそ構想はまとまったがじっくり建てる。

これで概ねの紹介は終わりですが、二月に使い始める前、地主さんに会いに行ったときに書いた記事で締めくくります。

「使っていない土地だから自由に使ってください」とご夫婦からあらためて云われて嬉し かった。賃料は最初から意識されていない様子で、話の最後に封筒を差し出すと「いらない」と返される。とにかく受け取っていただかないと使うにも使えませ んと云って無理に受け取ってもらったが、月額五千円の五年分で三十万円ですと云うと「えっ、そんなにっ」と驚かれた。

海外旅で応援お礼

一昨日の記事。海外へ行くときにシャツに書いて走る文。

胸:日本人です。応援をいただきありがとう
背:今も、これからも、貴方と共に日本はがんばります。重ねてありがとう

この文をイタリア語と英語に翻訳してほしいと通信簿の読者に頼みましたら返事が来たので発表です。

[熊本 大内さん]
取りあえず、英訳してみますが、君のシャツに印刷するには長すぎます。もっと短くて気の利いた文句があるといいね。

I'm from Japan ! Thank you for your kind support.
We all Japanese will stick it out from now on.Thank you again.


[東京 山西さん]

なにを突然むちゃぶりしてるんですかぁ~
目が覚めるわ~
僕はたくさん海外に行ってても英語は駄目なんですよ~
本格的なのは大内さんにお任せするとして、(すみません!)

Thank you WORLD!
GANBARU NIPPON!
Go Go Tomorrow!


これでどうでしょう?
つーか、僕の英語はコレです!バカなんですよ僕!
でも、気持ち伝えましょう!


[加藤建三]

高校時代を思い出すよ。京大合格間違いなしの優等生と、何でもええから答案出しとけ落第生。大内さんは84歳で優等生は間違わん、偉い。
落第へっちゃら男はいつも愉快だわ。

[宇都宮 齋藤さん]

ご指名ありがとうございます。少し文法がおかしくてもよろしければということで!お許しを

日本人です。応援をいただきありがとう
sono giapponese! ti ringrazio per avermi tirato su di morale

丁寧な表現ならこちらがいいかと

grazie molto per incoraggiamento
フレンドリーな言い方ならこちらかな

今も、これからも、貴方と共に日本はがんばります。重ねてありがとう
adesso e adesso in poi giappone con voi fare sforzi !grazie di cuore.

重ねてありがとうということで心からありがとうという表現にしてみました
チョットした間違いもあるかと思いますが心広きイタリア人なら解かってくれるかな?と思います。

しばらく勉強サボっていたのでまた一からイタリア語勉強しなきゃと思いました!イタリア車やジャパンカップなどでイタリア人といきなり合う時かなり表現忘れているので勉強したいと思わされました!


[加藤建三]
おおきにおおきに。落第も優等もわからんは。伊語は。
実際に三人の文が印刷できたら載せますんでお待ちを!

桐生の山 2


ピンク矢印が今日の写真で黒矢印が前回の写真。


一段目の水田跡から少し道を上っていくと断線して倒れかけた電柱があって電線をつないでワイヤー張りの工事中。


その道を上がっていくと幼稚園の運動会場が二つは作れる広さの二段目と三段目の水田跡広場。この広場が山全体の中心地で先代が植えられたケヤキの大木が五本植わっていてその高さは三十米に達する。


広場の右奥に地主さんの椎茸原木が並ぶ。この奥にも竹林があって竹の子が沢山とれる。


広場から上にひとつ目の小屋。昔、芝や薪を入れていたので風通しを良くした竹網の壁。


その上にひとつ目の池。この冬の大雪で倒れた檜の大木が写真右の水面に写っている。


池の前に土壁の小屋があって中は畳を敷いていたそうだけど今は土間。

つづく。

お便り

[熊本 山口さん]
これくらいのことしかできませんが、本日、熊本の自転車仲間で義援金の送金をお願いしてきました。

ひさしぶりに東北のお酒を飲んでみようと思います。


[加藤建三]
山口さん、いいですねえ、東北のお酒を酌み交わす。

私がボランティアの宿が取れたときに「嬉しい」と思ったのは、やっと何かができるという嬉しさです。山口さんが義援金の送金をされたときと同じ気持ちだと思います。

時間がないひと、体力がないひと、お金がないひと。人それぞれに力になれる方法は異なっても、仲間を助けたいと思う気持ちは全く同じだと思う。
そしてどんな形にせよそれが実現したときに「仲間になれた」という安心感と嬉しさが湧くのだと思うのです。

海外へ旅に出たくなる大きな魅力に「人とのふれ合い」があります。言葉や風習が違っても人と人が触れあうことの喜びが旅への誘いです。キャンセルした海外 旅に今年中に再出発しますが「日本人です。応援をいただきありがとう」「今も、これからも、貴方と共に日本はがんばります。重ねてありがとう」と背中に書 いて走ります。

あんなに日本を心配してくれる世界の人々に気持ちを伝えたい。

桐生の山 1

桐生にお借りした山はこれからも度々出るので全体が分かるように数回で紹介します。


左上が私の自宅。自転車で10分かからないところが桐生にお借りした山。


緑色が六段の水田跡で平地。水色が三つの池。茶色が小屋。一番上の水田跡まで車で上れる。とにかく広い。


これが公道から見た入口の道。


上からふり返った写真で公道が写っていますがこの先50mで行き止まりだから車も人も通らない。写真の左側に幼稚園の運動会が出来る広さの水田跡がある。


水田跡を囲む斜面の一部に栗の木を三本植えた。木の間隔が20m以上だから相当広い斜面。


この斜面の左が竹林で傷んだり枯れた竹を綺麗に掃除をすると地主さんが喜んでいました。 つづく。

ボランティア確定

仙台駅前で宿が確保できた。4月24日から五日間の予定で行く。仙台石巻の災害復旧バスは18日までの予定なので24日にバスを出しているか、石巻以外の作業かもしれないが復旧作業は山ほどある。

リュックに入れたテントと寝袋は持っていかない。主に清掃用品を持つが衛生を保つための着替や消毒薬も多い。食事や体の洗浄など心配はたくさんあるけれど 被害を受けた方々はそれが毎日なんだからがんばらなくっちゃ。一番心配なのが放射能に汚染されること。感知できないし情報はまったく信用できないし。

何はともあれ実際に復旧のお手伝いができることに勇気が沸く。
がんばろう東北、がんばろう日本。

災害復旧に


来週の水曜出発で動いた。伊丹から山形空港へ、バスで仙台に入る。

石巻市災害ボランティアセンターがガソリン不足や交通事情の悪さに対応して仙台と石巻間をバス運行してくれるので仙台から石巻へ毎日通う。とにかくぶっつけでも行って可能なところを手伝おうと予約に入った。

飛行機もバスも乗れそうだが宿がない。ガスが止まっているから暖房も風呂もないけれど復旧支援者用に営業をがんばっているところはある。だけど満室でとれない。支援に行きたいが行けない人ばっかりだと思う。

もう少し宿が復旧するのを待ってみる。

春が来た

今朝は久しぶりの朝寝坊。
春の海 ひねもす のたり のたりかな
で今日を楽しもう。

昨日の日暮れ時、庭の木蓮の花や新芽が顔を出した木々を見上げていて飛ぶツバメを見た。

こんな早い時期にと三羽のツバメの飛ぶ姿に引きつけられた。思えば季節の到来を強く感じさせてくれる生き物だ。田畑で餌となる虫が動き始める時期なのだね。

水田に水が入るとカエルが合唱を始める初夏。
寒くなって夏服を換える頃の虫の音で秋を知る。

ツバメの姿を見つけると「春なんだ」とあらためて想う。

棺桶、その5最終

骨壺の最後のひとつは伏見稲荷の隣にある京都深草墓園に納めてくれ。市営で永年納骨が六千円だ。俺の母親がここに眠っている。カミサンもここに納まれと誘ってある。


京都の町並みを見下ろす小高い丘にあって桜が綺麗で墓地とは思えない公園のようなところだ。読経も神父も要らないから風呂敷に骨壺を包んで六千円と一緒に渡せば塔の中に入れてくれる。

俺には娘も孫もいるが子々孫々など考えられぬ今、自分や家のお墓は要らない。墓標もいらない。自分の遺骨は人々が共に入る深草墓園が心地よい。

棺桶に来世の夢に包み、大好きな地球の方々に散骨し、暮らしの殆どを過ごした京都を見晴らす丘に眠る。かとけんはそれがいい。

おわり。

棺桶、その4

骨壺を棺桶に入れておくから火葬のあと骨を拾ってそれに入れろ。骨壺は全部で七つある。すべて木製で自作だ。七つのうち六つの骨壺に地図を入れておくから其処へ行って散骨してくれ。

ひとつは幼少を過ごした思い出の舞鶴の海。宇野の爺ちゃんと貝掘りをした海だ。


もうひとつ決めているのはスイス・イタリア国境のリヴィーニョという村を流れる小川に散らしてくれ。自転車旅で行った天国だ。

イタリアは遠いところだから航空券を入れようと思ったが永年オープンチケットなんて無いので現金を入れる。格安航空会社の最安チケット分だ。間違っても現 金を火葬するなよ。骨壺を機内へ持ち込んではいかん。火薬と間違って没収されるし四百ドルの罰金が待っている。わからんようにクッキーに見せかけて預託手 荷物に入れるんだ。

あとの四つの散骨場所はこれから生きているうちに行くところだから未定だが、行けないかもしれないから次の四ヶ所の地図を入れておく。


北海道の旭岳、氷点下15度だ。


阿蘇のミルクロードは兜岩展望所、牛串と缶ビールを供えて。


イタリア山岳のドロミテ。


カナディアンロッキーの氷河湖。

散骨が終わったら木製の骨壺は俺の愛した薪ストーブで燃やしてくれ。最後のひとつの骨壺は......。

.......つづく

棺桶、その3

死んで風や雨になって廻りたい地球の場所を棺桶に筆で書いておく。その地の風景を絵の具で蓋に描く。カナディアン ロッキーの氷河を流れたい。恐ろしいNZのミルフォードサウンドも死んでしまえば怖くもなんでもない。あの全面滝の絶壁を流れ落ちたい。.....そんな 行きたいところを思いっきり沢山書き込んでおく。

自作の棺桶の中で静かに目を閉じて、息を閉じたかとけんが新しい風の旅、新しい水の旅に出発するのだ。夢は生前だけに終わらない。生前に死後の夢の準備をしておくのだ。

棺桶に一緒に入れて欲しいものがいくつかある。ひとつは紙袋に入れておくから必ず見ないで入れてくれ。カミサンには内緒だがむかし愛した女の写真が五枚入っている。神戸のきみちゃんに、M君に、Fちゃんに.......。

死んだ後だし写真くらい持って行ってもかまわんよな。なにっ、「入れる写真を今も持ってるのか」って勝手だ。

.......つづく

棺桶、その2



元々ドケチのかとけんが棺桶を作るきっかけになったのが家族に宛てた「私が死んだら」という文章の中に「葬儀はしないでくれ」と書いたとき。葬儀屋ってぼ ろもうけしてるのがお袋の時に分かった。何で六十万もかかるのか不合理だし葬儀自体が形式化プログラム化して人任せ過ぎだ。

葬儀しないで何処にどうして葬ってもらうのか。と考えてまず棺桶を自作しておくと決めた。寝室で棺桶に入れてもらって線香を焚いて一晩たったら大津聖苑へ 持ち込めば一万二千円で火葬してくれる。京都中央斎場は一万五千円だから大津市で燃やせ。別に棺桶に入れなくとも燃やしてくれるが俺の棺桶は夢なんだ。

ストーブで燃やすために集めた材木の中から奇麗な杉板で作る。俺の葬儀費用は一万二千円。
棺桶のみならず葬ってもらうことに夢と希望を託したひとつひとつが楽しい。

.......つづく

棺桶、その1

こころ新たな記事が棺桶のはなし。

棺桶と聞いて何か暗くない? 重くない? かとけんは明るく軽い棺桶をイメージしてる。人は何時か死ぬ。できれば行方不明でで死にたくない。きちんと棺桶に入りたい。だから生きているうちに自分で自分の棺桶を作っておく。

作ると決めて悩んだのがその棺桶を使う日まで何処に置くか。毎晩その中で寝るのか。座卓には使いにくい。部屋に立てて洋服ダンスにと考えたり......どう考えてもしっくり来ない。身の丈六尺、どでかいもん。

と、今年早々に一挙解決した。桐生薪山に棺桶小屋を作るのだ。山いちばんの明るい丘に神殿のように厳かな社を建てる。その中には俺しか入れない。好きな曲 が流れている。ヴァンヘイレンも中島みゆきもモーツアルトも。愛犬ラグーの写真。私を愛した女達の写真がずらっと四つ切りで壁を飾る。

連れて行くコル鉄も部屋に居る。お香を焚いてゆったりと座り小鳥の囀りを聞きながらお茶をすする。

.......つづく

フレー、フレー、フレー

ここんところのかとけんの振れよう。滅多にない振れの大きさは東北大震災なみであります。その被害に遭われた皆様に「ごめんなさい」。

そして方法を変えて再出発の通信簿ともどもこのサイトを大切に育てようと思っています。なんせ、振れても沈んでも残る言葉の数々の中に夢と希望が垣間見え、それを読むだけで元気が取り戻せることを初めて知ったくらいですから。

再出発の話は「棺桶」ではじめます。明日から数回の連載予定。

通信簿の廃刊

通信簿はこのサイトと同じ内容でメールマガジンとして知人に配布していましたがやめることにしました。以下がその挨拶文です。

今日で通信簿をやめることにしました。最近の書きごとが少し歪んでいるなと思 い振り返ってみた。自分の元気、喜び、悲しみ、溢れる感動を伝えることが通信簿の使命と心して、決して強要したり自慢したり答えを求めるようなことはしな いと決めて書いていたのに、読者と触れあえる距離だったのが手が届かなくなり、声も届かない距離になっている今に気がつきました。

メルマガというのはそんな歪みがあって読みたくないと思っても押しつけてきます。以前は「邪魔になっていませんか」と尋ねて押しつけをなくそうとしました が、誰もやめると云ってくれないのは云えないのです。読む、読まないを常に選べる場で初心に戻って書いていきます。

名簿を開いて一人一人を丹念に思い浮かべました。楽しかった日々、懐かしい日々、笑顔溢れる姿が目の前に現れて涙します。通信簿はやめますが今後もお付き合いください。

長い間読んでくださって有り難うございました。どうかお体を大切にして人生を謳歌してください。さようなら。

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