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変える暮らし

そんなに遠くない前に子供に云った言葉が「テレビばかり見てはいけません」「テレビゲームはやめなさい」「食事中はテレビを消しなさい」だった。その示すところは情操教育から見てそれらは弊害であると思ったから。

Wikipediaによると情操教育とは「感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにする」教育を指す。

あの子供への注意も最近は聞かなくなった。それどころか大人も子供も携帯やパソコンやゲーム機に夢中になっている。以前の言葉に照らすと明らかに情操教育上良くない環境に皆が浸っている。

ペンで字が書けないのは多くの方が経験しているが、字の持つ意味やニュアンスという情緒から遠ざかっているからだ。絵心という目から感じる情緒も薄れている。詩や歌心もしかり。私自身それを強く感じる。

現在の便利と云われる道具に弊害を感じる私は行動を変えると決めた。何をどのようにするか。長いので明日以降に書きます。

暮らし

娘の職業は郵便配達。今が一年でいちばん多忙な時期。朝六時過ぎに保育園が休みに入った孫を連れて来る。パンと珈琲を食べて仕事に向かい、帰ってくるのは午後九時。

凍てつく日も雨の中も単車で郵便配達。もう何年になるか覚えていないが「辛い」という言葉は聞かないが厳しいことは想像できる。一時は癌と診断され子宮を片方切除し、それでも一児を産んで二歳半。

仕事にも育児にも一生懸命の姿を見ると「あんたは怠けていませんか」と我を見る。

がんばろうね。

食費を半額に

我が家の二年前と今日の違いのお話しです。

食費が高くつく理由。それは今日の献立を考えてから買い物に行くから。材料は必ず手にはいるが良い素材で安いかというとそうはいかない。高くて良くない素材でも買ってしまう。便利と云われる生活環境の落とし穴。

食費を半分にして美味しいものを食べるには、安くて良い素材を見つけてからそれを使う献立を考える。安くて良い素材を見つけたら数回分買って日を変え料理を変えて食べる。日本古来の保存法を活用する。これでたぶん半額近くに落ちる。

一昔前は献立を選べなかった。漁師の家の献立は男が漁から帰るまできまらない。あるいは捨てるほど獲れたた魚があると干したり漬けたり毎日それを食べた。農家は裏畑の売れない野菜を見て献立を考える。それが石器時代からの本来の食生活。

便利になって献立を先に考えられるから逆転するのですね。いつか我が家の電気料金を書きましたが、食費を書くと驚きますよ。

女子供

足の小指がしもやけ。小学生の頃に経験したけど六十年ぶりのしもやけ。 こんなに痒かったっけ。

婆ちゃんもカミサンも例年よりひどいと云うから今年は冷たいんだね。

この痒み子供みたいじゃない。かいかいかい、かゆい~

氷点下

気温が零下でも自転車通勤ができる自信を持った。

服装は気温3度の時とほぼ同じ。違うのは靴の上にコンビニ袋を被せ、手の甲に使い捨てカイロの足裏タイプを貼る。水産用ゴム手袋は空気の層がなくなるので 山用にしてコンビニ袋を被せてゴムでとめる。それでも指先は30分間冷たいけれど辛抱できる程度。手足のコンビニ袋は意外に効果大。

工夫をもうひとつ。使い捨てカイロを何回かに分けて使う。連続で8時間の発熱を五日に分けて使うのだけど、原理は空気に触れて酸化する時に発熱するので空気を遮断する。


使用後にジッパー袋に入れると次の零下の朝に開けたときに再発熱。費用は五分の一に減っちゃった。

二時間弱の通勤走行の後は気温が低いほど爽やかでアフタースキーの感じ。これはれっきとしたウインタースポーツだと認識を改めました。

冬は首のつく部位を保温すると暖かい。自転車に限らず散歩でもなんでも。

首も手首も足首も動脈が外気に近く血液が冷やされる。リストバンドしかりスパッツしかりマフラーしかり。足先や指先を保温する前に手足首を保温すると暖かい。私は婆ちゃんにもらったハンカチーフを一日中首に巻く。保温目的と冬服の汚れはほとんど首だけだから。

首、手首、足首......もうひとつ首があったよな。乳首。この部位は誰がどのようにして暖めるのですか。

手書き

会社からお客様に出す年賀状。昨年までは年始挨拶に回る先にも賀状を出していたが今年は挨拶と重複させないことにした。それで年賀状の枚数は減って経費の節減に貢献したのだが、遠方のお客様には挨拶に行けないから年賀状を出す。

昨年までは挨拶文も宛先もプリンターで印刷していたがやめた。すべて手書きにした。理由は気持ちを込めて一枚ずつ丁寧に扱うため。

硯と墨と筆を会社に持ち込み、何年ぶりだろうか墨を擦ると香りが漂い気持ちがシャキッとする。一文字ずつ丁寧に筆を滑らせると何とも云えない心地になる。 忘れていた大切な何かを取り戻した。数十枚の表裏にかけた時間は印刷より長い。だが、気付いた大切なことの重みは大きい。

相手に心を伝えるべきを、賀状を出すことが目的化していたのだ
。「ありがとう」が口先だけの言葉で心が伝わらないように。

ストーブ

帰宅後は二階の大部屋でひとり過ごしているが暖房しない夜の部屋は寒い。寝室は冬中暖房なし。すなわちこの寒波を暖房なしで過ごしたが昨日の夜から炎ストーブに火を点けて一階へ間借りに降りた。

身の回り最小限の道具を連れ添えて食卓の一画を春まで間借り。やっぱり炎は暖かい。ストーブの上はやかんや鍋がわんさわんさと押しくらまんじゅう。何を炊こうかあれこれ思いめぐりてまた暖かい。

尻と顔

ケツはいつも衣服で守られてるからから弱虫だ。寒風の中を露天風呂へ歩くだけで風邪ひきそう。雪原で大用を足そうものならくしゃみ三回ルル三錠。

ところが顔はちょっとやそっとでへこたれない。雨にあたれど風吹けど大丈夫。同じ皮なのに強者と軟弱者、随分違うものだね。

ケツと同じく過保護は身も心も軟弱人を作る。だから暑い寒いを避けてばかりはタメにならぬを忘れるべからず。........ハックション!

傾斜は

いつもの日曜に戻った。気の向くままに過ごすというのは昨日と同じ、朝一番、二人で買い物ツーリングは野菜に米にDIYにと四軒廻る。


里山で残り物の柿を収穫。渋柿だから干し柿に。熟した柿は実を取り出して冷凍しシャーベットを作る。

自宅でこまごまと用を片づけていくと気分もすっきりしてくる。底へ向かう傾斜は天に向かい始めた。

太宰治「斜陽」の一節。

幸福感といふものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光ってゐる砂金のよふなものではなからうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明かりの気持ち、......

今の気持ちの象徴として机の灯り籠に収まった。

ミルクとパンの朝食後、寒風を歩ける姿で黙って家を出た。ひとりになりたい、静かなところに身を置きたい、誰にも会いたくない。何もかも忘れて気の向くままに今日を過ごそうと黙々と歩く。

足が向かった先は県立図書館。太宰の全集に手が行き大きく静かな部屋で「斜陽」に没頭した。気がつけば夕刻。

帰りに同じ道を歩きながら思った。気が落ち込む背景に生活脱皮がある。生活を変えているから歪みが出ているのだと。脱皮自体はとても良いことだから今はじっと自分を見つめていよう。


歩きながら拾った街路樹の実はなんとも云えない姿。今の気持ちの象徴として机の灯り籠に収まった。

気持ち

気が落ち込んで治らない。朝、大声を出すようなことがあってから気が落ち込んでいく。大声を出すようなことではないと思えば、なお落ち込んでいく。落ち込んでも直ぐに戻るのが普段だけど今日はどうしたんだろ。

いいか、どこまで落ちるか見極めとこ。

通勤の五条坂。民家がたった三軒の集落に野良猫が5匹いる。山科から登ってくるおばさんが餌を与えている。会ったときに話したが餌代が生活に響くし猫を見殺しにしたくないし困っていると云っていた。

二十日ほど前に餌を置いている山の窪地にフェンスが張られ「猫の餌を置かないでください」と札が下がった。おばさんは餌を置かなくなった。朝夕に通ると猫 たちはお腹を空かして道端で誰かが食べ物をくれるのを待っている。猫たちがいる三軒の集落に食べるものは何もない。

三日見ていて可哀想でたまらなくなって餌を与えることにした。帰りに寄るイオンの魚屋さんに「捨てるアラはないですか」と聞くとツバスの頭を二つくれた。

猫が食べられるように出刃で細かく刻んで煮た。毎朝五匹分を荷台にくくって走る。猫も二日で覚えて私を見ると擦り寄ってくる。時たま五匹が居ないときがあるのは同じように思う人がいて餌を与えているようだ。自分一人より心強い。
.......
自宅のグーちゃんを含めて野良猫に縁のあるかとけんです。

氷点下



いよいよ冬将軍の到来。天気予報の最低気温が連日氷点下。毎朝走れるかどうか。

辛いことは続かない、楽しければこその自転車。私は「何が何でもやりとげなくては」という事はしない。例えば旅の計画が無理だと分かればその時点で変える。自転車通勤も「辛い」に入ったら必ず変える。

正直なところ今までの気温は充分楽しんでいる。会社についたときの心地よさは他の季節で味わったことのない境地に入る。さあ、この一週間はどうなのだろう。

めぐりて春夏秋冬

朝 自転車に凍える手 白い息

いつもの大きな交差点 長い信号は一息の休み処
蝉泣く頃は我 木陰に寄り 今朝は意図せず陽溜まりに寄る

あの蝉は地中で七年の眠りに就き
日差しを遮ったプラタナスの葉はなく 真っ直ぐに陽が届く
 
このひとときに夏を想い 冬を愉しむ
ああ白い息 凍える手

間抜け

テレビを見なくなって久しいが最近は1秒も見なくなった。年単位で見ていない。テレビに関心が沸かない。見なくても何の不自由もないし時代から取り残されていると感じたことはない。

見ていた頃は動く映像と音がないと間抜けだから癖や習慣で電源を入れていたように思う。小学五年でキャンデー屋の店先へ行って立ち見した頃ころから長い時間テレビを点けたがこれからも見ない。このまま生涯見ないだろう。

手紙

大内さんから一太郎で書かれた近況をメールで送ってもらったが生憎開かないので読めないと伝えていた。昨日、手紙が届いて「開けないと云われたから印刷郵送です」と書いてある。その完結の心構えに敬服。


内容をつぶさに読んだ。冒頭に免許を持たない大内さんが運搬用の実用車で買い物に出かけ、スポーツ車で旅や散策を楽しむとあり、80歳半ばで私もこんなふうに生きたいと感じた。

手紙には島原半島一周の忘年会旅の様子、小学六年を対象の講演内容、宮崎自転車旅が便せん四枚にぎっしり書かれていた。これを書く時間、パソコンに向かう大内さんを想うと立派だなと感心する。

子供に寄せた言葉の中のひとつに強く感じたことがあります。「昭和48年発行の『戦争中の暮らしの記録』を読むと(中略)平和で豊かな現代のあなたたちはなんと幸福な時代に生まれてきたことかと思います」です。

今の子供達は平和で物質的に豊かな社会に生まれ育ったけれど、決して戦争直後の子供達の「心の豊かさ」は越えていないと思ったのです。何でも欲しい物を手 にしながら死に至るまで同級生をいじめる子供達。そのまま大人になっている今、物の豊かさと心の豊かさは反比例するように思います。

写真の封筒は二度使い。その心が今に求められるから校長が大内さんに講演を頼んだのです。

くふう

ウインドブレーカ困りごとの三つ目。下りになると冷えるからファスナーを締めたい。ところが裾がついて上がって閉まらない。両手離すとサーカスだし。


「Loft」の値札は二十年前の買い物。衣料品など値札を結わえている「輪っか」で一本一円と安い。ファスナーの端は丈夫だからキリで細穴を開けて「輪っか」を作る。(写真は2着2個)


登山用具がヒントの股ザイル。これを走る前に履いて輪っかをパチン。これでブレーカーの裾がついて上がらないからファスナーは簡単に閉まる。

開けるときは首が支柱になっている。締めるときの支柱にアレを考えたけど......常に堅くないんだな。走る二時間堅くなれって酷だし、締めるのに使われるより、締められたいって云うのです......

アホ。

くふう

冬、ウインドブレーカを着て自転車に乗る困りごと。走って暑くなってファスナーを開けたいが三枚手袋がゴワゴワで紐がつかめない。

手探りでやっと喉元の紐が見つかったが今度はファスナーが咬みついて動かない。こうなると不服の停車。


第一工夫は長いストラップ。手袋でも馬鹿みたいに簡単に掴める。

第二工夫は写真右下。咬まないように太い丸紐を入れる。咬む部分は筒状が多いからちょっと切って丸紐を入れて要所をとめて塞ぐ。ファスナーが咬むのは自転車ブレーカーに限らない。咬むたびに嫌な思いをするから丸紐。

第三工夫は面白いのだけど長くなるからア・シ・タ。

腱が堅

二三か月前から足裏が痛む。靴が合わなくなったとか自転車通勤で歩くのが減ったとか考えたが当てはまらない。「強い痛みがあって歩くものつらい」足底腱膜炎でもなさそうだ。結論は硬直化と診た。

足を丹念に調べると気がつかなかったことが見えた。足裏に腱があって堅くなっているのだ。足の親指を手で天に向かって曲げていくと足裏に痛みが出て腱が浮 かび上がる。それを反対の手で丹念に伸ばすように押し込むと痛みがあるが柔らかくなってくる。親指だけでなく五本の指それぞれにある。

朝ストレッチの部位が増えた。足裏ストレッチ一ヶ月になるが以前の痛みは消え去り、とても歩きやすくなった。思わぬ部位が堅くなっているのだ。

冬の自転車通勤

真冬に毎日自転車に乗るのは初めて。寒いから乗るのを敬遠していたがこの冬から通勤。夜明け直後は最低気温3度と寒い。まず心構えを「自転車で通うんだ」と整える。

出発時服装。レッグウヲーマの上にロングタイツ。足首に登山スパッツ。上は耐寒下着に長袖綿シャツとジャージ。その上にウインドブレーカ二枚。耳当て。手袋は散策用の上に自転車冬用。その上に水産用ゴム手袋。

これが三百円で効果大。小さい方はカミサン用。

漕ぎだして30分はペダルをクルクル回すと早く暖まる。汗を少しでも感じたら素早くファスナーを開ける。汗の処理で思いっきり寒くなるから。二つめの山でブレーカーを脱ぐ。

会社に着く頃にはうっすらと汗.。
寒くて冷たい通勤でなく暖かく心地よい通勤。白い息が爽やかだ。

面影いまも

すべての年賀状をやめると決めたが二枚だけ残す。相手はどちらも未亡人で主人と私が友人だった。

一人は勤めていた頃の五年後輩で心分かち合い、私を慕ってくれていた組橋薫。私が結婚する頃に退社して香川の実家で町工場をやり始めた。子供が三人できた あと交通事故の被害にあって長期に入院し、半分薬物中毒のようになっていく。そこまでは音信があったが十年以上年賀状だけの行き来になっていた。

奥さんから喪中の知らせがきてその葉書を握って香川の実家へ飛んだ。仏前で涙が止まらなかった。黒枠の写真は面影こそあるが白老化し可哀想な面持ちだった。奥さんと長々はなし帰ったが未だにあいつを思うと心が痛む。

もう一人は松本忍。同級でサッカーを共にした友人は肝炎で死んだ。


二人の奥さんと年賀の行き来をなくすと、私の心の痛みは深くなる。年賀だけでも行き来があると二人と離れないでいられると感じる。身勝手な言い分だと思うが我が心のよりどころを、どうしても失いたくない。

それが二枚の年賀状。

何が大切なのか


[札幌 さとこちゃん]

気持ちの問題だよね(^_^) それがいやいや着ているなら全然マイナスだけど、納得して、気に入って着てるならプラス。かとけんは気に入ってるなら良いよねぇ~♪

[加藤建三]
さとこちゃん、ありがとう。ちょっとだけ書くわ。

あの記事の第一印象を「貧乏くさい」と思った方もいるかもしれない。二十年前から着ているガウンの話で私の性分そのもの。二十年付き添った物に愛着を感じ る。それが我が身に働き続けてくれた物なら、なおさら愛着を感じる。単純にもったいないという気持ちもある。これも性分。だから簡単にゴミ箱に捨てたくな い。

使えるのに欲しい新製品が出たからと次々と買う人がいる。今まで使っていた物に愛着があると思うが希薄なのか、あるいは愛着などどうでも良いことなのか。私はそういう次々と手に入れることを嫌う。

次々と物を手に入れるのは片方で捨て続けるということ。そういう方に見受けられるのは「こんなことを知っている」「こんな物を持っている」「こんなことも できる」という、人に先んじて人を見下ろすことに優越を感じている方が多い。その優越以外は空っぽ。

私から見ればそういう人の心は必ず貧しい。そういう心の貧しい「貧乏くさい」人になりたくない。

秋深し



枯葉の絨毯を踏みしめ、カサカサと音をかきわけて歩く朝の里山。

池の畔で足音をこらえるのは冬鳥が驚くから。
キジが長い首を伸ばして飛び立った。赤い頬は私を叱っているようだ。
見慣れない黒い水鳥が二羽、水面から飛び立つ。鵜のようだ。



今日は気持ちが良いから遠回りしよう。
歩くほどに気は晴れる。

古き良き友


さっき脱いだばかりのパジャマ。なんだかズボン上端が変。擦り切れて破れて婆ちゃんに頼んで接ぎ当てならぬ継ぎ足しだ。パジャマが擦り切れるには何年かか るか、かれこれ十年。継ぎ足したのが四年前だから十四年着ている。あと十五年は着る。もう一度擦り切れたら....

パジャマの前におまえが擦り切れてるって聞こえたわ。


これは今の家に越してきた時に買ったガウン。冬だけの家着だけど二十年着ている。六年前に肘のところが擦り切れて穴が開いたからパッチ。襟の内側は接ぎ当て。婆ちゃんは上手なのだ。

実は接ぎ当て時にあの方は見かねて新品ガウンを買ってきた。わたくしは横目で見て「返してきなさい」。二着も要らないし捨てて新品などもってのほか。

このガウンはあと五十年は着られる。着るつもりのかとけんをどうか笑わないでやってくれ。今度は街着のツギハギ見せるから。

誰だっ、「おまえの人生ツギハギだらけ」って云った奴は。

さよなら


機能がファックス、スキャナー、コピー、プリンターの多機能機を自宅からなくすことにした。。パソコンを使い始めた20年前から使っていた印刷機を何故なくすか。

使用頻度がどんどん減っている。場所をとる。FAX待ち常時通電は待機電力を使う。プリンターは\12,000と安いがカートリッジが白黒1個2千円以上は客を馬鹿にしている。最後のhpの消費者に対する姿勢で愛想をつかしたのが決定打。

なくても大丈夫。会計事務所との間でファックスを使っていたが半年前からPDFメールに変えた。税務署監査で印刷が必要だがPDFで保存し監査時はそれを見せる。年賀状はやめた。どうしても印刷が必要な事はない。もし必要になったらPDFにしてコンビニで印刷する。

ヤフオク5,350円で売れて新潟へ。さよならプリンター。

足踏み


娘が大学時代から持っているミシンを借りた。小学校か中学で学校のミシンを踏んだことがある。器用に縫って誉めてもらったことを覚えている。

今になって何故にミシンか。古布を加工して役立つ物を作るため。古着にせよカーテンにせよ使っていないものがけっこうある。生地だけ使えば面白いものに変わるのにと前から思っていて実行していなかった。

冬の夜更けにゴトゴトとミシンを踏む音、ってこれは踏まないんだ。第一作ができたら写真でお見せします。楽しみがひとつ増えました。

窓越しに

月曜の朝、車で出勤途中の山科交差点。信号待ちでふと歩道を見ると朝の自転車通勤で出会うMTBの同年代の方が停まった。冷たい空気で吐く息が白く、顔から湯気が立ちそうに元気いっぱい。

この方は京都から山科へ通う方で最初に見かけた半年前は五条坂をぎりぎりの速度で登ってきた。体が脂肪だらけだったから。今、白い息を吐く体はきりっと絞まっている。

暖房に守られた車窓越し。元気いっぱいに寒さを跳ね除けるこの方を見ると、風邪で走れないといえど我が身がじれったくなった。翌朝から自転車で会社に向かったのはこの方に背中を押されたから。

ありがとう。

ゲラ刷り!

「蹴球部室かとけん通信簿」第1号が完成したぞ。何の変哲もないメールだと笑うんじゃねえ、かとけん特製の肝いりメールだ。

備前の住人に云わせると在校時の写真見て「こんな奴、おったんか」と云うくらい陰が薄かったみたいだから濃い影を見せてやる。まあ、スライディングタックルを後に見てゴールまっしぐらに進むかとけんをイメージしてくれ。もちろんハットトリック。


これは二年前、米国西海岸のシスコからロスへ南下する道中にあるビッグサーという断崖の絶景道。お相手は誰だかナイショ。

二人で一ヶ月の自転車旅の写真だ。俺は自分の写真を残すのが大嫌いだが、この場合は何回も出会った米国人が無理に俺のデジカメで撮りやがったのが残っていたんだ。


次は今年10月のベネチア。相手は誰だろうがほっとけ。ミラノからベネチアへ自転車で十日走ってベネチア三泊のひとときだ。イタリアは20日ほど。その足 で北米はNYの北方にあるプリンスエドワード島を十日ほど自転車で走った。相手はナイショだと云っただろ。

合計一ヶ月の旅は欧州経由北米から太平洋を経て日本への地球をぐるりと廻る旅。どうだ、これでも影が薄いか。なにっ、薄いって。しゃぁない、どう薄いのか とアンタのコイ~イところを短く書いてブシツに持ってこい。全員そろったら第1号附録をガリ版で刷って送るからな。

正月に間に合うかなあ......「スマン......汽車が遅れてん」はやめてくれよなっ、なっ、なっ。

と、ふざけた自慢話のようだが勝手に解釈してくれ。綾部のグランドでの試合。網野高校相手に攻め込んで俺と渡辺が敵に向かったとき、芦谷の絶妙のロングパ スが渡辺の足下に落ちてゴールが決まった。あの頃は誰もが芦谷の上手さと真面目さを知っていた。芦谷が言葉にしてそれを云うような奴じゃないが皆が一目置 いたのはそれを体で感じたからだ。

あれから数十年の時をそれぞれが一生懸命生きた。だが、一人としてあの時のように今の仲間を感じられない。あたりまえだ。傍に居なかったんだ。

俺は皆ともう一度一緒に生きたい。只の思い出話の相手なんかいらない。年賀状だけの挨拶もいらない。もう一度今を一緒に生きたいのだ。そのためには空白の 数十年の変化を生々しく伝える必要がある。自慢話に聞こえようが馬鹿げていると思おうがありのままを伝えないでもう一度一緒に生きるなんてできない。だか らいきなり自分を書いたんだ。

俺は今、思いっきり生きている。自分に与えられた時間と空間を最大限楽しんでいる。その一部を知ってもらいたくて書いたんだ。通信簿は笑いも涙もみんな書く。嘘は書かない。

なあみんな、死んだ忍があれほどまでに生きたいと思い続けた今日という一日。あんたは忍に見せても怒鳴られることのない生き方をしたか。きっとした
よな。なあ、もう一度肩を組んで濡れた土の地面に向かって、渡辺のかけ声を合図に気合いを入れて闘おうや。みんなで闘おうや。忍も絶対に肩を組んでくる。

闘う相手は網野高校でも山城高校でもない。今を生き、明日に生きる自分そのものだ。

綾部高校昭和39年卒!!

年賀状は高校時代に仲がよかったサッカー同窓生八人にも送らなくなる。そのことをメールで知らせるとなんだか寂しくなって......。

「そうだブログを開いて仲間だけで交歓しよう」。それを皆にメールするが返事が来たのが三人。これではブログは無理だわ....「やめる」と連絡。

その連絡の後にメールが届いて七人になった。既にやめると云ったのでそれなりに話は進んでいるし....戸惑った。

そうだ不定期にメールを送ろう。その名も「蹴球部室かとけん通信簿」にしよう。今の通信簿と中身は違うが目的はコミニケーションで同じ。

......見てみますか? ......あしたゲラ刷りを載せるかもね。

Becky!

メールソフトの選択は以前から何度もしてきたが「Netscape」が動いていたことと使い慣れていたから変えるまでには至らなかった。今回はサーバーを変えて「Netscape」が動かないという避けられぬ壁の前に立たされた。

いくつかの候補からの選択に時間はかからなかった。というか「Becky」しかなかった。朝からインストールし一番に接続確認。やはりサーバーの指定に細かい設定があってそれを変えると繋がった。「Netscape」にその指定ができなかったのだ。

次にHTMLメールの作成。これは実に「Netscape」と同じ機能でどちらも遜色がないのだが、「Netscape」はバグでフォント指定が効いてい なかったことが今になって分かった次第。とりあえずここまでで安心が走りそのまま「Becky」にしようと決めていた。

夜半まで向かっていたのは今までに送受信したメールで必ず残しておく必要のある数千にも登るメールの移行。これが驚くほど簡単に移行できた。インポート機能でフォルダーごとすべて入ってくる。当然HTMLのまま。

これを機に保存の是非を見直すために作業は中断したが今のところ「Becky」は素晴らしい。Macユーザーさん御免、Winソフトです。

http://www.rimarts.co.jp/becky-j.htm

「Outlook」は使いたくないのですが理由は機会を見てにします。

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